いじめとスクールカースト

囲会多マッキー

第1話

 私は、小さい頃から仲のいい幼馴染がいた。


 毎日一緒に遊んでいたことが原因なのかもしれない。と今でも考える時がある。


 小学校1年生になり、楽しい日々を過ごせると思っていた。


 しかし、帰る途中でランドセルを捕まれそのまま投げ飛ばされたのだ。


 小学1年生が小学4年生に抵抗するのは中々難しいことである。


 それからは毎日のようにやられ続けた。


 私は親との約束、「暴力はしてはいけない。」というのを忠実に実行してしまっている。


 私は親に「学校に行きたくない。」と毎日のように言っていたが、「行かないと今度は行きにくくなるよ。」と言われ、ほぼ毎日無理やり学校に連れていかれた。


 冬になるまで誰にも気づかれず毎日やられていたある日。


 ――ランドセルの中に雪を入れられた。

 家に帰るともちろん親に気づかれ

「何でこんなに雪が入っているの?」

「入れられた。」

「誰に?」

「――君のお兄ちゃんに。」

「それで、学校に行きたくなかったの?」

「・・・うん。」

 そして、今までの事をすべて話すと、

「なら、学校に言ってみ。」

「分かった。」

 次の日学校で

「先生、僕、――君に殴られたりしてる。」

 というと、先生は

「・・・ほんとに?」

「うん。」

 そして、先生は叱ってはくれたがいじめが止むことはなかった。


 また殴られたりしている傷を見られて親は学校に問い合わせたりしてくれたが、確認が出来ないと下手に動けないのであろうが(今はモンスターペアレントがいるから。)もう少し早く動いて欲しかった。


 そして、1年生の終わりも近づいた頃、祖父が動いてくれた。

「どこで、やられてる?」

「――の前の信号のとこ。」

「なら、――の駐車場で見てみるわ。」

 それからは不定期で見ている祖父がいる時はいじめられることは無かった。


 しかも、向こうも祖父の車を覚えてしまったのか祖父がいる時には決まっていじめるどころか近づきもしないのである。


 これはあとから聞いた話だが、「家に――君が私に悪口とか殴られたりしている。」ということを言いに毎日来ていたそうだ。


 親はその時に私がいじめられていることに気づいているので、「もう来ないで。」と言ったそうである。


 それから私は人を信じることが出来なくなった。話しかけてくる人にも1枚、2枚とフィルターをかけて本当の気持ちを伝えることが出来ず、生活を続けた。しかし、周りは積極的に話しかけてくれて本当にありがたかった。私の場合は、自殺まで行かなかったが、対応が遅れるとニュースで流れるような『自殺』ということに発展してしまう。学校はモンスターペアレントなどを恐れたり、犯人扱いをしてしまうことになるので追及出来ないのであろう。

 この後は何とか数人とはとても仲良くなり、時には喧嘩もし、和気あいあいと生活し、小学校を卒業した。

 しかし、私の学校では1学年の人数が少なかったのでカースト制度は目立たなかったが隣の学校などではやはりあったのだ。そのことは中学生になってから知り合った同級生から聞いた話なのだが、組織化をして万引きなどの犯罪行為までしていたらしいのだ。スクールカーストというのは学年の人数が増えるほど多くなり、ある日を境に無くなる。そしてカーストの下の方にいたやつはどんどん落ちていく。自信がないからである。それはいじめも原因のひとつなのであろう。私の感じたことは1度でもいじめられるとカーストの下に行き、逆に猫を被って周りにはよく振舞っているやつは上に行く。そんなカースト制度を取っ払うことが現代の学校では必要であると考えられる。

 私はいじめを受けていたが、今でも生きている。だから、「死」という選択はしなかった。しかし、「死んではいけない。」というのもいじめられている側としてはなかなかのプレッシャーにもなるのである。「死んではいけない。」と頭ではわかっていても心が耐えきれない。心は幼いほど弱いものである。

 私がいじめられていたのは、まだテレビで取り上げられる前のことであったので社会的に知られていない頃であったが、私がいじめられていたように昔からいじめは存在した。私が考えるにいじめというのは無くならない。今後も永遠に。心のない人がいなくならない限り。しかし、逆にいなくなったらコンビニなどのお店の店員や、ボディガード、警察官は必要ではなくなるのだ。それでは警察官などの職がなくなってしまう。だから、いじめが悪いことだと学校などの公の場で語ってもいじめは無くならない。私はいじめられた後の対応を充実が重要であると考える

 しかし、先程の学校での対応ができない理由。それは学校側としてもめんどくさいのだろう。いじめというのはたくさんの人が関わっている。その人達に1人1人話を聞いて叱って。そんなことをするのはとても大変なことである。メディアなどでも批判がされているが、1番の問題は社会なのではないのか。

 会社でのいじめ、つまり過労などはニュースでも取り上げられる。無理やり仕事をさせるから子供がそれを見て別の子に何かをさせる。上司と部下との関係も同じだろう。上司から誘われると断るにも断れない。全ての上司がそうではないだろうが、断りにくい雰囲気を作ってしまっていることは事実である。スクールカーストというのも同じでカーストの上にいるやつは下のヤツに命令し、それを断るといじめたりする。そんなことが長年続いているのである。

 いじめは一言で片づけることはできない。しかしながらそれで苦しんでる人に対しては「死ぬな」という一言でなんとかなると思っている人が多いのである。子供が苦しんでる時には親や地域で支えていくことで、いじめやスクールカーストが減少できると思う。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る