第10話 Love is over
1.
バスは5分も遅れて来た。急いでそれに乗り込み、後ろのほうの座席にどっかりと座り込んだ。
行き先は、タワーパーク。あの森だ。
電話を切って、急いで地図を広げた。勢いがつき過ぎて破れそうなくらい。
そして見渡すまでもなく、見つけたんだ。あの赤丸を。全部処理したはずのラベルが、また現れたんだ。
「なんでだよ! わけ分かんねーし!」
って愚痴るのもそこそこにカバンを引っ掴むと、教室を飛び出したんだ。
停留所でバスを待つあいだ、深那美に電話をかけた。でも、電話に出ない。何度かけ直しても。
そのあいだ、まるで焦る俺をあざ笑うかのように、トロトロ進むバス。運ちゃんのアナウンスものんびりしてて、めっちゃムカつく。
くそっ、なんでバスってこんなに遅いんだ!
乗ってくんな! 降りんな!
客が乗り降りするたびに、声にならない罵りを上げてにらむ男子高校生。運チャンのバックミラーには、きっと要注意人物として映っているんだろう。
でも、折り返し地点のタワーパーク前で降りた時、運チャンは何も言わなかった。もしかしたら俺の気迫に押されて声が出なかったのかも。なんてことを考えながら一息ついて、すぐに走り出す。
持ち帰りの荷物は置いてきたのに、体が重い。ちっとも前に進まねぇんだ。
くそっ、走り込みが足りねぇ。これからは毎晩ジョギングとダッシュだ。
タワーパークの園内は雪かきがされていたが、今日も夕方から雪が降る予報だからか、客はいない。そんな通路をブツブツつぶやきながら駆け足で進む。
なんだよ恋人たち。ホワイトイルミネーションじゃねぇかくそっ。
そんなくだらないことを考えていたのは、嫌な予感を少しでも紛らわそうとしたからだった。
あの森に深那美がいる。きっと。必ず。
そして、不吉なことが起こる。たぶん。必ず。
俺の脳に流れた電流が正しければ。
それを食い止めなきゃ。深那美を止めなきゃ。
止めたあとどうするかなんて、止めてから考えればいいんだから。
いま行くぜ。
頼む、待っててくれよ。
森の入り口で、通学カバンも投げ捨てた。当然のことながら、除雪なんてされていない中を突き進む。
突き進めるんだよ。深那美の通った跡があったから。あのゴツいブーツの足跡を、懸命にたどる。陽が落ちてきて暗くなり始めたけど、このあいだのように気味が悪いなって言ってられない。
もう既にシューズはぐちゃぐちゃで足が冷たい。枝から雪も落ちてきて濡れるし。サッカー部のバカ野郎。ワンゲル部に転部してやる。
やがて、予感は例の場所で最悪の現実と化した。
両手でマカロフを構える深那美が、そこにいたのだ。このあいだの清楚な格好で、すぐ前に生えている大木の幹に銃口を押し当てて。
「やめろ! やめろ、深那美!」
俺の心からの叫びも空しく、引き金は引かれた。
発砲音とともにラベルが弾け、光が打ちあがる。
俺は目の前の出来事を理解することができない。
だって、
「お前……撃てないんじゃ……」
今さらながらの問いかけに、深那美は銃口から出る煙をふうっと吹くと、
「ウ ソ」
と言って微笑み、そのまま後ろにゆっくり倒れた。
走り寄ろうとした俺に、さっきの光が襲ってくる! 思わず腕をかざして防いだが、光は腕を通り抜けて、俺の目を貫いた。
その刹那、俺は全てを思い出した。
俺と純がカレシカノジョである、その先の、痛恨の記憶を。
それをひとまず脳の片隅に追いやり、倒れたままの深那美に駆け寄って、傍らにひざまずいた。冷たい雪の上から、頭を抱え起こしてやる。
彼女の微笑みは弱まっていた。力のない声が、三日月形の口から漏れる。
「これ、おねがい……」
震える手から落ちそうなマカロフを手渡されて、
「あとね…これにぜんぶ、はいって……るから……」
もう持ち上げる力も無いのか、ポケットから取り出したスマホは雪の上にこぼれ落ちた。それを拾い上げて、握り締める。
「お前……お前の魂で……」
俺のつぶやきは、彼女のうなずきで肯定された。
やっぱり、そうだった。
深那美は小学生のころ、自分のことを『オレ』って……だからあのラベルの『オレ』は……
彼女の形のいい唇が、ゆっくりと動く。
「よかった……これで……だ……だいすきな、ようたが、しあわせに……」
「お前……なんで……なんでそれを……」
涙は、彼女の言葉に含まれた絶望で、こぼれ落ちることを許されなかった。
「だっておまえ……オレのこと……ふりむいてくれなかったじゃん……」
言い終えるのを待っていたかのように、彼女の体の輪郭がぼやけた。どんどん細かくなって光の粒になった彼女は、まるで空気に溶けるように音を立てて消滅していった。
あとに遺されたのは彼女のスマホとマカロフ、そして主を失った衣服のみ。
雪の上に出現したその生々しさに俺は震え怯え、その場から逃げた。ひたすら、逃げられるはずもないのに、ひたすら。
2.
深那美のスマホはロックも掛かっていなくて、データを全部見ることができた。
といっても、俺が見たいのは、彼女が見せたいのは、恐らく写真か動画だろう。
アルバムの中の写真は、俺のワンショット、もしくは俺とのツーショットで埋め尽くされていた。中には盗撮に近いやつもあって、
「あいつ……ほんとに……」
自分の部屋に駆け込んでしばらく流した涙をまた流しつつ、動画を探す。
あった。たった一つだけの動画データが。
再生すると、予想どおり深那美が話しかけてきた。スマホの向こうの俺に向かって、あの揺れない瞳で。
おほん。この動画を見てるってことは……っていう定番はさておいて、顛末を話すぜ。
ある日、オレの家にあの黒幕が現れたんだ。んで、オレの両親を魔法陣の中に閉じ込めちまった。2階の寝室の床にな。
その上で、オレにこう言ったんだ。
『直正洋太と丹波純の愛の記憶を解放したければ、お前の魂で銃弾を作って、ラベルを撃ち抜け。期限は30日だ』
ってな。全部で13枚あるそれを撃ち抜けば、両親を解放してやるって。
もうわけ分かんなくってさ、純チャンに連絡を取ろうとしたんだ。そしたら、倒れちまったっていうじゃん。
でな、学校に行って、ショック受けて落ち込んでるお前を見たらさ……なんかこう、助けてあげなきゃって……。
で、黒幕の野郎に掛け合ったんだ。任務遂行のためになんか力をくれよって。そしたら、魔女にしてくれたんだよ。
そりゃいろんなことできるようになったけどさ。お着替えとかワープとか、一瞬で。
でもよ、魔女だぜ? せめて魔法少女的なこう、かわいい格好でもさせてくれりゃいいのによ。
……黒幕の野郎はよ、遊びなんだってよ。ヒトの記憶と運命をもてあそんで、楽しいんだって。ちくしょう……くやしいよ……
……う…………ごめん。泣かないつもりだったのに。
ああそうそう、てわけだから、バイト代も黒幕の野郎じゃなくって、オレから出したんだ。
ま、セーゼンゾーヨってやつ? 洋太のために、有意義に使ってくれよ。
でな、謝らなきゃいけないんだ。いろいろ嘘ついてて、ごめん。
マカロフも、本当は撃てるんだ。魔法使えばいいんだから。
だから、その、最初に外したのは……よ、洋太と一緒にいたかったから、なんだ。
一緒に自転車で走り回って、お茶して、いろんなこと話して、一緒にいる時間を作りたかったから。
……一緒に、いたかったんだ。
そもそもさ、高校の入学式で洋太を見つけた時から、口調も仕草も一生懸命直したんだぜ? 女の子っぽく。『オレ』なんてなかなか直んなくってさ。
だから……だから……その……かわいいって言ってくれた時、すっごくうれしかった。
なんか、小学校で別れて以来の5年分を取り戻した感じ。すっごく、楽しかった。
ごめんな。純チャンに隠し事させちゃって。
ご飯もさ、ほんとはそんなつもりじゃなかったんだ。その場のノリっていうか……でも、うれしかった。洋太にオレの料理食べてもらえて、おいしいって言ってもらえて……ありがとう。
…
…
この2週間ちょっと、洋太と……………ほんとに、ありがと。
いつまでも、元気でいてね。
では!
最後はピシッとした敬礼でとびきりの笑顔を見せた深那美は、しばらく動かなかった。
俺はその笑顔に耐え切れず、哭き続けた。
ただひたすら、彼女との記憶が脳内を駆け巡る中で、膝から床に崩れ落ちて。
そして、自分の無力さに絶望して。
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