第9話 嘘つきと卒倒の果てに

1.


 俺が新聞を読むようになったのは、いつからだろう。

 小学生の時は、スポーツ面しか見てなかった。あとは、大きな事故の写真なんかを見かけると、親父に内容を訊いたりしてたっけ。

 中学生になってからは、少しずつ社会面とかも読むようになった。言葉の意味が分からない時は、親父に教えてもらったり。

 でも、しょせんは他人事。嘆いてみたり非難してみたりしても、どこかよその世界のこと。

 だから、新聞記事を読んで震えるなんて、初めての出来事だった。

『暴力団員の車 川に転落 2人死亡』

 死んだ2人の顔写真は載っていなかったけど、場所は俺たちがあの2人と遭遇した辺りから、明らかに近い。

「どうしたの? 洋太。震えてるわよ?」

 お袋が心配そうに言って、俺の額に手を当てた。また風邪で熱が出たと思ったようだ。

「なんでもない。熱も無いし」

 そう答えても納得しないお袋に、新聞記事を指差す。震えないように密かに苦労して。

「車で川に転落して溺れ死ぬって、どんだけ苦しいのかなって」

「まあ大変ねぇ。こういう人たちも家族はいるでしょうに」

 ……いや、俺が訊きたいのはそんなことじゃないんだけど。

 ちょっとイラッとして、だから親父の一言が不意打ちとなった。

「洋太、お前昨日の夜、どこにいた?」

「自主練だっつーの」

「嘘だな。今朝洗った洗濯物に、お前のソックスもアンダーシャツも無かった」

 しまった、今日は親父が洗濯する日だったのか。

「……ごめん嘘ついた。ツレとメシ食って遊んでた」

 お袋に嘘ついて支給してもらった夕飯代を返すから。そう言って部屋に逃げた。くずかごに八つ当たりして蹴り上げ、悪態をつく。

「くそっ! なんなんだよクソ親父! チクチク追求してきやがって」

「そのクソ親父から忠告だ」

 またも不覚。親父が後をつけてきたことにまったく気づかなかった。

「勝手に部屋に入ってくんな!」

「お前、俺に相談したいことはないか?」

 ねぇよと反発しようとして、親父の目つきが気になった。いつもの人を見下すような、かつえぐるような目つきに、心配げな色が浮かんでいるんだ。

 こんな眼を見るの、初めてだ。

 おまけに声色にまで、心配が滲んでいる。

「早めに相談しろよ。クソ親父からの心からの忠告だ」

 ああそれから、と続けて親父が手に持っていた紙片を突き出してきた。

「なんだこれ……棋譜?」

「そう、俺とお前の棋譜だ。いつのか分かるか?」

 これは……

「初めてやった時の……だよな?」

 うなずいた親父は、続いてとんでもないことを言い出した。これを全部覚えろっていうんだ。

「意味分かんねーし……」

 語尾が消えゆく。何かある、という思いが断ち切れないから。親父はそんな俺の心を見透かすかのように、しかし謎かけのような台詞を吐いた。

「お前が俺に相談しないという選択の結果、その記憶が必要になる時が来るかもしれないからだ。来ないに越したことはないがな」

 頼んだぞと言い残してゆっくりと部屋を去っていく親父。その後ろ姿を眺めたあと、俺はお袋に返すお金を探した。

 親父の言葉に動揺している自分を受け入れられなくて、イライラしながら。


2.


 夕方。部活を終えて集合場所に向かおうとした俺を、スマホの着信音が引き止めた。純からだ。止められていた自分のスマホを返してもらったって言ってたっけ。

『今から、会いに来てくれないかな?』

「え? ああうん、いいけど」

 なんでと訊く前に、待ってるねと一方的に言われて、通話は切れた。

 困ったな。さっさとラベルの処理を済ませたいのに。純の記憶を取り戻すためなのに。

 でも、カノジョの呼び出しとあらば、行かないっていう選択肢は無い。

 電話をかけた先で、深那美はいたって朗らかそうな声だった。

『そかそか。じゃ、6時にゴエティアね』

(ずいぶんアッサリだな)

 なんだか振られたみたいで、それもまた寂しい。

 自分の身勝手さにちょっと呆れながら、病室に到着した。

 室内にはお母さんの姿が無かった。おうちのことをするために帰ったらしい。

 斜めに起こしたベッドの上で、純はご機嫌だった。

「だいぶリハビリが進んだからね。もう来週から一般の病室なんだ」

 昨日また一つ解放したからだろう、純はますます俺のカノジョに戻りつつある。それが、雰囲気で分かった。

(あ、この感じ……)

 そう、分かる。あのライブの夜と同じだ。

 俺はベッドの縁に手を突くと、純を待った。まだ十分に戻っていない腕の筋肉を一生懸命使って、起き上がってくるカノジョを。

 腰をひねるような格好で向き合う。その潤んだ瞳を見つめているうちに、自然と、まるで引き寄せられるかのように、瞳が大きく近づいてくる。

 俺も顔を近づけて、唇をそっとカノジョのそれに触れ合わせた。空いた手で首に手を回し、ゆっくりと唇を押し付けて、そのまま。

 やがて唇を離すと、彼女は閉じていた目をうっすらと開け、まるで酔っているかのようにほんのり顔を赤らめた。すぐに顔を伏せ、細い肩を震わせている。

「……泣くなよ」

 俺の言葉に、カノジョはしばらく反応しなかった。やがて涙を拭って、つぶやいた言葉。それは、

「やっと、戻ってきた……」

 それから顔を上げると、そこには満面の笑みがあった。

「これからもよろしくね。あたしの大好きな、洋太君」

「うん。俺の大好きな、純」

 微笑み合うと、また雰囲気がやってきて。

 今度は軽くキスすると、純は俺にもたれかかってきた。

「ねぇ」

「ん?」

「毎日、会いに来てくれないの?」

 一瞬、言葉に詰まってしまった。

 ラベルの処理をしなきゃいけないこともある。

 でも、なんだろう……純の表情に、なんとも言えないものを感じたんだ。

「も、もちろん、会いに来るよ。でもさ、自主練は行かせてくれよ?」

「むー……」

 とたんに泣きそうになる純をあやして、またいちゃついて。

 そしてお母さんが戻ってきたのを潮時に、俺は自主練に行くと言って病室を出た。

 ごめんな、純。でもこれは、君のためなんだから。

 俺、がんばるから。


3.


 カフェ・ゴエティアで、また増えたあの男を見ないようにして、俺は深那美の向かいに座った。

 今日の面会の内容を問われて、もちろんいちゃついたことは省いて教えると、彼女は満足げにうなずいた。

「いいんじゃない? 日曜日にまとめてやろうよ」

「それしかないか……」

 そうつぶやいただけなのに。

「イヤラシイ」

「な、なんだよ?」

 意表を突かれた俺の鼻先に、深那美はコーヒースプーンを突きつけてきた。

「顔がにやけてんだよ、このスットコドッコイ!」

「そ、そうか?」

 自分の顔を撫でてみても、もう遅い。

「うん、『これであと2日、純とイチャイチャできるぜフヒヒヒヒ』って顔してた」

 ああ、カフェオレは今日も苦いぜ。

 なぜかプンプンし始めた深那美に、今朝から考えていたことを尋ねてみることにした。

「なあ……昨日の、あれだけど」

「あれ? ああ、アレね?」

 にやり。怖い笑顔だ。勇気を奮って問いかける。

「お前がやったのか?」

「違うよ。勝手に走って行っちゃったから。川に向かって」

 嘘だ。でも、そう断言できる証拠が無い俺は、微妙な追求しか口にできなかった。

「やましさとか、ないのかよ……」

「ないよ? 前にも言ったじゃん」

 彼女の口が形作る三日月が、大きくなっていく。

「洋太君のためならエーンヤコーラ、って」

 怖いよ、お前。そうツッコむこともできなかった。口の中が奇妙に乾いたせいだ、きっと。

 質問を変えよう。

「前から、その……ああいう、ほら、魔法っていうか歌っていうか、使ってたのか?」

「うん」

 これはあっさり白状した。体育館裏に呼び出された時、呼び出した女子たちに同情されるようになったのも、魔法を使った結果らしい。

「すっげぇ広範囲に効くんだな」

「ん? なんで?」

 カプチーノを飲む手を止めて、不思議そうな魔女。本当に意味が分からないようだ。

「だってさ、SNSで拡散されて、みんなお前に同情してんじゃん?」

「違うよ」

 彼女はゆっくり首を振って、髪を掻き上げた。

「わたしが魔法をかけたのは、わたしを呼び出した5人だけだよ。ほかの人たちは、その5人の言葉にこもった熱意と、野次馬根性と、SNSの同調圧力。それが全部混ざった結果だって思ってるんだ」

「お前、ちゃんと考えてるんだな」

 えっへんと胸を張って、またすぐに、見るなイヤラシイと叫んで。本当に騒々しい。

「お前、積極的なのか奥手なのか、どっちかにキャラを固めろよ」

「洋太君がちゃんとわたしを見てくれるなら、ある一方向に固めて・あ・げ・る」

「ごめん」

 膨れっ面になった深那美を放置して、カフェオレをすすった。すまなさを隠すために……どうしても、どうしても顔を上げられなくて。

 俺の感情の揺れに気づいていないのか、深那美の快活な声は続く。

「ま、範囲魔法も使えるからさ、ヤーさんが束になってかかってきても、ダイジョーブ」

「不意討ちされたら?」

「ダイジョーブ」と魔女の笑顔が歪む。

「洋太君のこと、忘れないから」

「俺は死ぬのかよ」

 そんな会話をしているうちに、肝心の質問を忘れていたことに気づいた。

「でさ、ゴンドウさん、どうしよう?」

 警察官のゴンドウさん。今も恐らく制服の背中にラベルを貼り付けたまま勤務している、最大の難関。

「なあ、その魔法でちゃちゃっとなんとかできないのか?」

「……洋太君?」

「なんだよ」

 顔を上げると、深那美はテーブルに頬杖を突いていた。その唇から、いかにも小馬鹿にしたような口調で言葉が紡ぎだされてくる。

「わたしはね、未来の世界のネコ型ロボットじゃないの。あんなに都合よくひみつ道具は出てこないの」

「分かってるよ、そんなこと」

 俺はむくれた。深那美にならって頬杖を突いて、やさぐれる。

「でもさ、俺にできることないか考えても、まったく思い浮かばないし……」

 役に立たない頭を、俺は溜息とともに掻きむしった。頬杖を突いたままこちらを眺めている深那美に、もう一度問いかける。

「なあ、ほんとに何か方法ないのか?」

「わたしもいろいろ考えたんだけどね……いい歌詞というか方法が思い浮かばないんだよね……」

 そういえば、メロディはどちらも、いつか聞いたことのある童謡だったな。歌詞を変えれば魔法になるのか。

 とたんに昨夜のハプニングが思い起こされて、俺は震えた。その震えから、答えがこぼれでる。

「いっそのこと、襲うか? ゴンドウさん」

「うわぉ、刺っ激的ぃ!」

 口走った俺もバカみたいだが、受ける深那美もかなりバカっぽかった。そう指摘して冗談に流そうとして、次の行動は止めざるを得なかった。

「♪すみのためなら――「よせバカ、それはヤバイ」

 いろんな意味で。

「つかそれ、俺が襲うんじゃん」

「……洋太君ってさ、時々器がちっちゃいこと言うよね」

「っせーな、どうせ俺はちっちぇえ男ですよ。短絡的なことしか……」

 また、頭が一瞬だけ痛んだ。少しだけ顔をしかめて、でも、深那美の心配そうな声は飛んでこない。

 彼女は腕を組んで考え込んでいた。その目には思慮の光が渦を巻いているように見える。

「……そっか、襲っちゃえばいいんだ」

「お、おう」

 まさか、本当に?

 冗談を本気にされても、ついていけない。そんな俺を置き去りに、方法が定まったらしい瞳が俺を見すえた。

「日曜日に機会を見て、ゴンドウさんを襲撃しよう。洋太君を使って」

 また震え始めた俺を前に、彼女は悪魔的、いや魔女の笑みを浮かべたのだった。



 そんなこんなで、日曜日の午後3時。

 俺は昨日までの純とのアレコレににやけたり、警官襲撃というイベントへの不安から溜息をつき続けたり、忙しく表情を変化させながら自転車を走らせていた。

 ただいまの目的地は、街の中心から西に1キロメートルほどの場所。そこに向かって移動する赤丸――移動速度から見て、おそらくパトカー――を見つけたんだ。

 民家の敷地内に貼られていたラベルは、午前中に3つともボールに移動させた。金曜日に福来さんのコートからも移してきた。

 だから、いよいよ最後のラベルの持ち主、ゴンドウさんとの決着をつける時が来たんだ。

 いったん停止して、地図を確認する。たった1つになった赤丸が、ゆっくりと俺たちのいる辺りまで移動している。跳ねる心臓を押さえつけて、深那美を振り返った

「パトロールかな?」

「事故処理かもしれないな」

 深那美と2人で考え込んでも、埒が明かない。とにかくゴンドウさんを一刻も早く見つけて、その後は……どうしよう?

「早く見つけなきゃ」

「おう」

「雪が降りそうだし」

「そっちかよ」

 確かに、真っ黒な雪雲が空を覆っている。自転車だし、雪の中を走り回るのはちょっとなぁ。

 そんなことを考えながら10分ほど走り回った時、見つけた! パトカーだ! 交差点で信号待ちをしている。

(どうする? 自転車で追いかけるか? どうする?)

「どうする深那美……あれ?」

 俺が振り返った先には、ガードレールにもたせかけられた彼女の自転車だけしかなかった。

 そして、どこか遠くから歌声らしき音と指を鳴らす音が聞こえて、

「……なんだありゃ?」

 思わず声を出してしまった。なぜって、カフェ・ゴエティアの常連の、あのすかした男がものすごい勢いでこっちに向かってダッシュしてくるんだぜ?!

 そして男は俺に目もくれず全力疾走して、なんとパトカーの前に飛び込んだ!

 信号が青に変わって速度を増していたパトカーは急ブレーキをかけたが間に合わず、男を跳ねてしまった。

「! マジかよヤベぇ!」

 思わず駆け寄ろうとした俺の腕は、後ろから掴まれた。振り返れば、奴がいる。

「近寄って、どっちがゴンドウさんか教えて」

「え、お、おう」

 パトカーの警官は、2人とも車内から飛び出してきていた。道路の真ん中に倒れて動かない男に近づいていくのにあわせるように、俺も小走りで近づいた。

 いかにも偶然の目撃者を装って、警官の一人に話しかける。

「どーしたんすか?」

 警官のうちの1人は、俺を無視して民家の塀際にたたずみ、通行人への対応をしていた。

 もう一人はすぐに屈みこんで男の安否確認をしようとしていた。その背中にラベルが無いことにがっかりする。

 振り仰いだ警官は、『ちっうるせーな』とでも言わんばかりの青い顔で、

「その人が急に飛び込んできたんだよ。あ、いかんいかん」

 と言いながらパトカーに戻っていった。名札はちらりとしか見えなかったが、ゴンドウじゃなかった。

 てことは、あの偉そうな警官が、ゴンドウさんか?

 さっきの警官みたいに背中を見せてくれれば分かるのに。わざわざ近づけば、追い払われるのがおちだろう。

 どうする? どうする?

 ……よし。ここは度胸一発!

「あの、ゴンドウさん?」

 俺の破れかぶれの策だ。呼びかけて反応したら、こいつがゴンドウだ。

 好奇心丸出しでやって来たオッサンに対応していた警官は、手で追い払いながらこちらを向いた。

「ん? なにか?」

 そう言いながら、嫌そうな顔で近づいてくる。人をはねて困っているところに名前を呼ばれたんだから、そりゃ嫌だよね。

 ゴンドウさん。

 俺は振り返って深那美に合図を送ろうとしたが、結果的に無駄に終わった。

 彼女の姿はまた消えていた。でも、こっちの会話は聞こえていたらしい。またどこかで指が鳴る。

 その効果は、すかした男(色違い)7人セットだった!

「え?! え?!」

 俺とゴンドウさんがあっけに取られているあいだに全力疾走してきた男たちは、俺をスルーしてゴンドウさんに突撃! なんと、勢いに任せてゴンドウさんを近くの家のコンクリ壁に打ち付けてしまったんだ!

 うめき声を上げて後頭部を押さえ、ずるずるとうずくまるゴンドウさん。その跡には、あのラベルが貼られていた。

 パトカーの座席に半身を入れて、無線のマイクを握ったまま固まってる警官。渋々立ち去ろうとして、眼を剥いているオッサン。

 彼らが呆然としているには、わけがある。

 ゴンドウさんを襲った男たちも、跳ねられた男も、忽然と消えてしまったからだ。

 よし、この呆然を利用して、逃げよう。

「だめだよ」

 またいつの間にか背後にいた深那美は俺の腕を取ると、

「これでいなくなったら疑われるよ」

 仕方がない。しゃがみこんだままのゴンドウさんに向かって歩き出した。


5.


 駆けつけた警官から事情聴取されていたため、例の森に来たのは5時過ぎだった。

「話の分かる人でよかったな」

「ほんとだね」

 2人でうなずきあいながら森に入っていく。

 彼女はここに来ても、普段と変わらない感じだ。ざくざくと草を踏みしめて前を行くスピードも変わらない。

 俺は、そうは行かない。

 昨晩ここで、ああいう脅迫を初めて体験したんだ。深那美がした、その後始末のことも(彼女は否定してるけど)。夢に出てくるくらい、怖い。

 俺は黒幕さんと深那美に頼まれて、バイトをしてるだけなのに。

 純の記憶を取り戻すためにがんばってるだけなのに。

 なんであんなことに……

 ふと気がつくと、深那美が振り返って立ち止まっていた。

「どうしたの?」

 歩みが遅くなってしまったのを不審に思ったようだ。

「いや、なんでもない」

「怖いの?」

 その挑んでくるような表情に、カッとなって首を激しく振った。

「怖くねぇよ!」

 なにかからかってくるかと思いきや、彼女はこちらを横目で見つめながらゆっくりと向き直り、前進を再開した。

 雰囲気がおかしい。いつもの、なんだかんだいって朗らかでにぎやかな彼女じゃない。

 でも、俺には彼女について前進するっていう選択肢しかない。カッコ悪いけど。

 後ろで木々がざわめいた気がして振り向いても、誰もいない。

 そう、懸念があった。

 あのヤーさんたちが一匹狼とは思えない。組織に所属しているはずだ。

 そいつらに俺たちのことを事前に通報していたら。

 登下校の時に気をつけていたが、今のところそれらしき気配は無かった。でも、市街地だから襲ってこないっていう可能性はある。

 だから俺は前進するしかない。

 いざという時、深那美の魔法に頼らなければ、俺なんかたちまち捕まってしまうだろう。我ながらカッコ悪い、情けない話だけど。

 やっと目的の場所について、俺は地面にボールを転がした。

 深那美からマカロフと銃弾を受け取る。今回は一気に5発。でも、

「……どうした? 弾くれよ」

 彼女が銃弾を握り締めたままなのだ。うつむいて、明らかに何かをためらっている。

 やがて顔を上げた彼女の口から、驚くべき言葉が漏れた。

「洋太」

「お、おう」

「今までありがとな。これで最後だから、きっちり決めてくれ」

 何が驚いたって、小学生の時の男口調に戻っていたからなんだ。今までもちょいちょい口走っていたけど、今回は雰囲気まで、なんていうか男っぽい。

「返事は?」

「ああ、きっちりな」

 彼女が開いた手から、銃弾をつまんで弾倉に詰める。それをマカロフ本体にはめ込んで、スライドを引いた。

 ジャキッ!

 こんなに大きな音だったかと思うくらいの金属音が森に吸い込まれていく。

「いくぜ」

 片膝を突いて、ラベルに銃口を押し付けて。

 1発。

 2発。

 3発。

 4発。

 5発。

 5つの光が時間差をつけて宙に上がり、広がって消えていく。

「よっしゃ! 終わり終わりっと」

 振り向いて帰ろうとしたんだけど、深那美が動かない。その眼は大きく見開かれ、やがて顔全体が歪んだ。

「うそつき……」

 俺のこと、じゃないよな?

 ドギマギしながら待つこと数分、深那美は厳しい表情のまま、俺の腕をつかんだ。

「な、なんだよ」

「よく聞け。今後もしお前か純チャンに何か異常があったら、地図を見ろ」

 地図って、あのラベルの位置を表示するやつのこと? もうラベルは残っていないはずなのに、そんなもの見てどうするんだろう。

「返事は?」

「分かった。でもよ、なにがあるんだ?」

 深那美はまたもためらった。

「……なにもなければ、いいんだけど」

 その声は消え入りそうなほど小さく、降り始めた雪にも跳ね返らず消えていった。


6.


 翌日も午後3時を過ぎて、俺はカバンに教科書やノートを詰めていた。もうすぐ冬休み。置きっぱなしにしておいた物も、持って帰らなきゃいけない。

 明け方まで降り続いた雪のせいで、グラウンドはグチャグチャ。なんとなく気だるいのは、泥んこサッカーをしなければならないからだろうか。

 いや、それだけじゃないな。荷物をまとめる手を休めて、じっと考える。

 深那美が学校を休んでいた。風邪を引いたからと連絡があったらしい。

 嘘だ。たぶん。あいつが風邪を引くはずがない。

 小学生の頃は、いつ見てもTシャツにハーフパンツ姿で走り回っていた。夏はタンクトップに短パン、冬は長袖になってたけど。

 もっとも、高校で再会してからはすっかり女の子っぽくなってたから、弱くなってるかもしれないな。

 うん、『ぽく』なったよな。髪も伸びて、出るところは出て。

 脚なんてガリガリだったのに、あいつん家での格好ってば! ショートパンツで惜しげもなく露出させたあの丸みなんて――絶対わざとだ――目のやり場に困ったんだぜ。

 おまけに『わたし』ときたもんだ。あの頃は――

 脳内に走った電撃を、カバンの中からスマホの着信音が阻害した。純からだ。

『もしもーし、洋太君?』

 こんなときに……苛立つ気持ちを落ち着けてから、静かに返事をする。

『今、部活?』

 今から行くところだと告げると、上ずった声が返ってきた。

『あ、じゃあ、終わったら会いに来て!』

 雪で徒歩通学だからしばらくかかるよ。ただそう言うだけでいいのに、なぜか言葉がつかえてしまう。

『えーそこはダッシュでしょ!』

 なんで? 今それどころじゃないんだ。自分でもなぜそう考えたか分からず苛立つ俺を置き去りにして、純の声が密やかに変わる。

『あのね、二人っきりになれる場所、見つけたんだ。だから、ね?』

 正直、めっちゃ嬉しい。なのに、なんでイライラが収まらないんだ?

 カノジョのヒソヒソはお母さんの耳にキャッチされたらしい。お母さんの声が遠くで聞こえて、純が鋭く反応した。

『ちょっと待ってね……もーママ! いいじゃん別に』

 スマホから口を離して、なにやら抗弁していたカノジョの声が、ふつと已んだ。

 きっと俺には聞かせたくない話でもしてるんだな。つか、一般の病室、つまり他の患者さんもいる部屋に移ったんだから、そうそう声高にもできないだろうし。

 …

 …

 …

 …

 …

 …

 …

 …

 …

 あれ?

 不審を覚えた俺の耳に飛び込んできたのは、お母さんの動転した声だった。

 そしてわけが分からずもしもしを繰り返す俺に返答してくれたのは、お母さんではなかった。

『あの、丹波さんのお知り合いの方ですね? 今、突然意識を失われて……』

 看護師らしきキビキビした声に、

「分かりました」

 と、我ながら冷静に応えて電話を切る。

 すぐ行きますとは言えない。行くべきところは、病院じゃないんだ。

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