第6話 侵入する非日常
1.
部活を終えて、純の病室にやってきたのは5時過ぎだった。
「洋太君、大丈夫?」
病室の前で待っていてくれたお母さんが声をかけてくれるけど、声を出す余裕が無い。
今日の部活はきつかった。
しばらくやってなかっただけで、こんなに動けなくなるなんて思わなかった。なんというか、肝心なところで脱力してしまうのだ。
いつもは檄を飛ばすだけの顧問ですら、
『調子が悪かったら休んでいいんだぞ』
って言い出す始末。
それでもなんとか踏ん張って部活を終えて、夢中で自転車を漕いで、今ここにいるというわけだ。
お母さんが親切にも開けてくれた扉の向こうには、
「あ、やあ」
身の毛もよだつってのは、こういう状態を言うんだろう。
ベッド脇の丸イスに座って和やかな顔をしているのは、なんと深那美だったんだ。
「お前、こんなところにまで……」
どうしてこんなに、深那美が突然現れると怖くなるんだろう。
俺の抱いた感情など知る由も無い深那美は立ち上がると、純に向かって小さく手を振った。
「じゃね、バイバイ」
「うん、バイバイ」
からの、
「ごゆっくり」
なぜかじっとりした眼でにらまれてタジタジになった俺は、深那美を見送ることもせず、代わりに温まった丸イスに座った。
そしたら、見れたんだ。
「洋太君、あたしね、ちょっとだけ思い出したんだよ!」
夢にまで見た、弾ける笑顔だったんだ。
嬉しくて躍り上がりたくて、でもここは病院で。
自重した俺は、質問も自重せざるをえない。
未来に触れないように、恐る恐る。
でも、そんな心配は無用だった。彼女自ら、思い出したことを話してくれたんだ。
同じクラスになって、好きなアーティストが同じだって盛り上がったことを。
「でね……」
ちら、と母親を見やる純。なんだか気まずそう。
「あら、お邪魔だったわね」
俺が止めるのも聞かず、お母さんは病室を出て行った。にっこにこだったから、気分を悪くしたわけじゃないだろうけど。
ツィツィ、と袖をつままれて振り向くと、純が軽くむくれていた。
「もー、なんでママを見つめるの」
「いや、単に見送っただけじゃん」
もしかして、ヤキモチ焼いてる? お母さんだよキミの?
「で、なんの話だっけ?」
「あ、でね、その……」
頬を染めてモジモジし始めた。ああああ、かわいいなぁもう。
「一生懸命お話してる洋太君が、その、かわいくて……」
本当に思い出したんだ!
「でも、そこから先が……」
「先が?」
「真っ暗なの」
一瞬がっくりしたけど、大丈夫。
「てことは、学校のみんなのことは分かるんだよね?」
「え?! あ、ああ、うん、多分」
クラスの女子がお見舞いに来たがっていたことを話して、了解を得たんだけど。
なんだろう、浮かない顔だ。
「どうしたの?」
純はまたモジモジしだした。
「えと、あたしは、その、洋太君のお話がしたいの……」
「俺も、純の話がしたい」
二人で見つめ合って、照れた後、急に思い出したことがあった。
「そうだ! 俺たちの話も大事だけどさ」
「うん?」
俺は、例のアーティストのライブが年明けにあることを話した。
「それまでに退院して、一緒に行こうぜ、ライブ」
「わあ……うん! がんばるよ、リハビリ!」
もっと話がしたかったのに、現実は非情である。
看護師長さんがやってきて、面会時間終了だと告げられたのだ。
でも、俺は幸せだった。やっと、いわゆる馴れ初めまで戻ってきたんだ。
がんばれよ、純。俺もがんばるから。
一緒に行こうぜ、ライブ。
2.
「ゆうべはおたのしみでしたね」
「お、おう」
部活が終わって、カフェ・ゴエティア。相変わらず北風が強く、ヤン車は今日もキュイキュイ鳴いているだろう。
こうして体調がいまいちになって初めて気づいたことがある。
ここのイス、すごく座り心地がいいんだ。なんというか、包まれてる感?
「キモい」
「心を読むな!」
なぜか顔を真っ赤にした深那美と、今日は今までのまとめをすることにしていた。
ラベルは全部で13枚。その全てが、この市内のどこかに貼られている。
俺たちのバイトは、ラベルをマカロフという名のピストルで撃って、それに封じられた光を解放すること。
それは同時に、突然倒れた純の記憶を取り戻すことにもなる。なぜそうなるのかは不明。
今日までに処理したラベルは6枚。残りあと7枚だ。
ラベルはなぜか貼られたところから移動する。原因をバイトの依頼主である黒幕さんに尋ねたが、教えてもらえなかった。
ちなみに、黒幕さんの正体も不明。
射撃には深那美用意の特別製の銃弾を使用する。
その深那美は、年明けに引っ越してしまう。彼女がいなくなると銃弾を供給してくれる人がいなくなるため、タイムリミットはあと半月余り。
改めてまとめてみると、健闘しているような、苦戦しているような。
要点をまとめた紙とにらめっこするのも飽きて、顔を上げた俺はぎくりとなった。
いつものすかした男が、3人に増えていたんだ。
「どうしたの?」
深那美にわけを話しても、笑われるだけだった。気にならないのだろうか。
運ばれてきたカフェオレを口にしつつ、
(あの店員さん、誰かに似てるな)
ついちらちら店内を見回してしまう。いかんいかん、純に怒られるぜ。
深那美はしばらく黙ってホットレモネードをすすっていたが、コトリとテーブルに置くと口を開いた。
「最終的にはあれだよね」
彼女の言う『あれ』とは、不法侵入のこと。
「……犯罪なんだけど」
「マジチャカ持ち歩いてる時点で何をか言わんや、だよ?」
そうにやりとして一転、深那美は溜息をつくとイスの背にもたれた。天井を見上げながらぽつりとつぶやく。
「冬じゃなかったらよかったのになぁ」
「なんで? 日が今より長いから?」
彼女は元に戻ると、首をゆっくりと振った。
「盆踊り大会とか、町民運動会とかあるじゃん。地域丸ごと無人になるんだよ? 行かないおうちもあるけど、被発見率が断然違うと思う」
「……お前、やっぱ怖ぇ」
でもいくらキレイゴトを言っても、ラベルの処理がはかどるわけじゃない。
またお互いに黙って飲み物をすすりながら、テーブルの上に広げた地図を眺める。プロパンボンベはまだ動いてないな。
そういえば、地図をもらった時点では学校にもう1つあったはずのラベルも消えてしまった。でも数が変わらないってことは、移動した先で処理したってことなんだろうか。
「明日も部活?」
「うん。今週はずっと部活」
「そっか……」
悲しげな深那美は、またもたれてうなだれた。
なんでそんな顔、するんだよ。部活なんだからしようがないだろ。
そう言おうとして、でも口が動かない。
あるわけがないのに、解決策がそこに転がっているかのように視線をさまよわせる、情けない俺。
まるでこいつをいじめてるみたいじゃんか。
とたんにジリジリし始めた俺は、思い付きをつい口にしてしまった。
「ま、ほら、こうやって部活終わってからお茶すればいいし」
すると、ぱあああああああっ、と輝く笑顔。ちょっとかわいく見えて、俺は純に対するやましさを覚えて眼を背けてしまった。
「うん! じゃあ明日と明後日はわたし1人でがんばって見つけてくるね!」
「お、おう、よろしく――「ねぇねぇ、土曜日の部活は午前? 午後?」
攻め込まれてるし、俺。
「午前だよ。それはそうとさ、一つ頼みがあるんだけど」
小首をちょこんと傾げる深那美に、黒幕さんと会わせてくれないかって頼んだ。お前を信用しないわけじゃないけど、ラベルの移動のこととか、直接尋ねてみたかったんだ。
深那美の反応は、いまいちだった。
「どうしてもっていうなら、訊いてみるけど……」
「けど?」
「会っても無駄だよ? あれ、嘘つきだし」
「お前もでまかせ上手だけどな」
あんまり好意的な答えじゃなかったのが残念で、つい意地悪を言ってしまった。
「んふふ、まあね」
地図の上に頬杖を突いて、微笑む深那美。そこは否定しないんだな。俺の心がシカッと痛んだのに。
そこへ、攻勢第2波が来た。
「あ、そうだ」
「なに?」
「昨日、純チャンにつねられたりしなかった?」
「全然。なんで?」
深那美は腕を組んで考え込み始めた。
「おっかしいなぁ。洋太君とほぼ毎日お茶してるんだって告白しといたのに」
「!! マジか!?」
「うっそー」
驚愕の余り立ち上がってしまった俺は、この怒りのやり場に困って、悪魔的な笑みを浮かべる女子をにらみつけることしかできなかった。
3.
そして俺は今、深那美と一緒にスーパーにいる。
悪魔女子は、効果的な脅迫手段を見つけたのだ。そりゃあもう、思わず首を絞めたくなるような。
『晩御飯のお買い物付き合って。あと、うちで食べてって。でないと、純チャンにばらすよ?』
お袋にはなんとか言い繕った。坂部よ、何回もダシに使ってごめん。
鼻歌が聞こえてきそうなほど上機嫌で、スキップに見えるくらい軽やかな足取り。買い物カゴをフリフリしながら、深那美は髪とスカートをなびかせてクルリと振り返った。
「洋太君、なに食べたい?」
「肉」
「……オッケー後悔するなよ」
またクルリと半回転すると、ぴょーんとひとっ飛び。他の買い物客が驚くのを尻目に、着地先の棚にあった大豆の水煮パックをカゴに放り込み始めた。
「ちょっと待て」
「なぁに?」
「俺、肉が食いたいって言ったんだけど」
「肉じゃん?」
にっこり。
「畑のお肉」
「動物でお願いします」
そかそか、と納得した深那美は、ほかにニンジンを入手した後、まっすぐ進んで白いパックトレーを手に取った。
「わあ、アマゴじゃん! これにしよ」
「おい待て」
「なによ?」
こいつ、素でやってる……?
「動物の肉――「魚も動物ですが?」
「ウシでお願いします」
俺の重ねての要請に、深那美は鼻を鳴らして応えた。
「直正家では、肉と言えばウシなんだ。ブルジョアめ」
「ちげーし。ウチでは牛肉は出てこねぇんだ。親父が嫌いだから」
昔請け負った仕事のせいで、ウシは嫌いになったそうだ。
「どんなお仕事?」
「さあ? あ、でも、お袋が昔言ってたな。親父が寝言で『熱い、牛、焦げる焦げる』ってうなされてたって」
「あははは、なにそれウケる~」
ほかにもいろいろ買い物をして、深那美の住む家に着いた。さすが独り暮らし、門扉のカギもしっかり掛けてある。それを開けて、
「入って入って……どうしたの?」
なんだろう、足が出ない。門を前にして、動けなくなっちまったんだ。
動悸が速くなって、じんわりと脂汗まで出だした。
息を整えて、右足。もう一度、左足。
我ながら奇妙な前進は、門を越えたところで終わった。ふっと見えない壁を抜けたかのように、体が動くようになったのだ。
膝に両手を突いて、一息ついて。
顔を上げた時、不思議な光景を見た。
深那美が眼を閉じて、突っ立っていたんだ。なんとなくだけど、どこか痛そうに唇を噛んでいる。わけが分からないまま見つめていると、やっと眼が開いた。いつもの笑っているような眼じゃなく、厳しさと悲しみが混ざったような眼が。
「……さ、入って。風邪引くよまた?」
真冬の汗を拭うと、さっさと行ってしまった彼女を追いかけるように、家に上がった。
2階建ての家は、しんと静まりかえっていた。彼女独りで住んでいるのだから当然なんだけど、なんとも言えない暗い雰囲気を感じる。
「気のせい、だよな……」
少し怯えて足が止まり、でもカッコ悪い姿を見せたくないから、胸をそびやかしてキッチンへ入った。
すると、
「お前……いつの間に着替えたの?」
そこには、長袖Tシャツにショートパンツ姿の彼女がいた。薄い青色のエプロンを身に着けて、ステーキ肉をなんか尖った道具で叩いている。
彼女は振り返りもせず一言、
「ごめん洋太君、ニンジン洗って」
「え?! お、おう」
テーブルに広げられた買い物の中からニンジンを選び出す。その時、脱いだ制服がイスの背にかけられていることに気づいた。
「欲しいの?」
こいつ、背中に目がついてるのか?
「いらねぇし」
「着たいの?」
「着るかよ」
ニンジンを洗いながら、姉貴に頼み込まれて、彼女の制服を着させられたことを思い出してしゃべった。
「お姉さん、遠くにいるんだっけ?」
「ああ、大学院行ってるから」
兄貴ともどもな。おかげで俺の小遣いが……は言わない。カッコ悪いからな。
深那美は肉に塩とコショウをなじませると、俺が洗ったニンジンの皮むきを始めた。その表情は真剣で、俺が顔を見つめていることなんて気にも留めていない。
「洋太君」
「おう」
「レタス洗って」
気圧される、ってこういう時のことを言うんだろう。
俺は素直にテーブルと流しを往復し、レタスを洗った。
「こんなもんでいいか?」
「あ、もう少し中も洗って……うん、ありがと」
深那美はレタスを受け取ると、真剣な表情のまま言った。
「リビングで休憩してて。部活、疲れたでしょ?」
「ああ、まあ」
「でもね――」
悪魔女子の声が突然低くなった。上目使いなのに、かわいさどころか凄みさえ感じる。
「2階には上らないで。絶対に」
……きっとあれだ。寝室が上にあるからだよな。
「お、おう……あ、あのさ」
「お風呂、先に入ってる?」
「入らねぇよ」
真顔で言うなよ。怖いじゃねぇか。
トイレの場所を教えてもらった。用を足して出ると、眼に留まったのは風呂場だった。
(まさか、な……)
2階は行くな、って言われただけだし。ちょっとのぞいてみるだけだし。
抜き足、差し足、忍び足。そっとドアを開けると、生暖かく湿った空気が漂ってきた。ふたも閉まってるし、お湯が入れられているのは間違いない。
(怖ぇぇぇ……)
その時、俺は感知してしまった。人の気配だよ。背後に。人の気配がぁぁぁぁぁ……
ここで振り向くと、
①深那美が立ってる
②違う誰かが立ってる
③違う何かがいる
(①が一番まし、なのか……?)
決めるぜ、覚悟。怖いけど。
心臓のバクバクを抑えて、勢いよく振り向いた。むやみなファイティングポーズまでして。
でも、誰もいなかった。玄関からの暗闇とリビングからの光が交錯する、ただの廊下しかない。
声を立てないように安堵の吐息をついて、リビングに戻ろうとしたその時。
(? 声?)
深那美の声じゃない。
耳を澄ましたけど、外からじゃない。
2階……だよな? 家に入った時には何も聞こえなかったのに。
その声は、男性だろうか。いや、女性の声も聞こえる気がする。
何をしゃべっているのかは判別できない。うなっているようにも、うめいているようにも聞こえる。
誰かいる。何者かが。でも、誰が?
深那美の両親は引越し、あるいは転勤の準備でいないって言ってた。兄弟姉妹もいないはず。
……ダメだ。行かないほうがいい。俺の全身全霊がそう告げている。
俺はゆっくりと、音を立てないように回れ右をすると、リビングに戻った。幸い、俺の大冒険はバレなかったようだ。
それから15分ほど待って、やっと夕飯になった。
「お待たせ! ペコペコでしょ?」
さっそく食卓に座って、いただきます。
おかずはステーキにサラダ、それからひじきの煮物だった。母親の趣味なのか、盛り付けてある皿や小鉢は、かわいい柄で統一されている。
「この煮物、もしかして」
「うん、水煮を買ったから。煮込む時間がなかったからひじきが硬いかも」
「へぇ……ん、うまいぞ」
「よかったー」
あとはしゃべる暇もなく、ステーキやサラダをがっついた。ステーキのお替わりまでできて、満腹になったところで、俺はやっと対面に座る深那美に気を配ることができた。
その顔には笑みが戻っていた。俺とほぼ同じ量の夕飯をもりもり食べながら、でもいつものおしゃべりは影を潜めて、にこにこしていたんだ。
そのことを指摘したら、
「だってさ、男の子に料理作るの初めてだし……ていうか、洋太君にご飯作ってあげてるって思ったら、緊張しちゃって」
「緊張したんだ」
深那美は照れて、皿の上のレタスをフォークの先でイジイジしだした。頬も真っ赤だ。
「美味しいもの作らなきゃ、って……ど、どうだった?」
俺は逃げを打とうとして、やめた。一生懸命作ってくれた彼女に、それは失礼過ぎる。
「うまかったよ。ごちそうさまでした」
よかった、とつぶやいて微笑む彼女。笑顔が戻って嬉しいけど、もうすぐ8時だ。
時刻を言いわけにして、帰ると告げた。
「うん……ほんとにお風呂、入ってかない?」
「怖い。怖いから」
むー、と口を尖らせた深那美は、今度はかわいい上目使いになった。
「じゃあその代わり、またご飯食べに来て」
「なんで交換条件になるんだよ、それ」
「あとさ」
まだ何かあるのかよ。でも、彼女の真剣で頬をほんのりと赤らめた表情を前にして、強く出られない。
「再来週の日曜日、タワーパークに行こう。ね? お願い」
お前、分かってるか? 俺は純と付き合ってるんだぞ?
でもなぜだろう、あっさりきっぱり拒絶できない。
結局、夕飯は週1回でということに妥協してしまい、日曜のデートも約束してしまった。
4.
「はあ……弱いなぁ俺……」
帰り道のペダルを漕ぎながら、俺は自嘲していた。純にバレたら、と思うだけで背筋が寒くなり、胃が痛くなる。
暗鬱な気持ちで考えたのは、だからきっと純への言いわけなのだろう。
『またご飯食べに来て』
そうお願いしてきた時の深那美の揺れない瞳には、からかっている様子はなかった。それになんというか、嫌な表現だけど『誘ってる』感じが全くなかったんだ。
「寂しいよな、そりゃ……」
両親から電話くらいかかってくるだろうけど、一軒家に女の子独りってのは寂しすぎるし、怖すぎる。
……なんだか、自転車を走らせるのも億劫になってきた。調子に乗って食べ過ぎたかな?
その時現れたものに、俺は驚いて転倒しそうになった。
突如として闇夜から降ってきた翼有るヒトガタ。黒幕さんだったのだ!
自転車のブレーキを目一杯かけた。軋りを上げて、彼女の30センチほど手前でどうにか停止する。
「あ、危ないじゃないすか! いきなり」
「ふふふ、じゃあ荷台に立てばよかったな。これからはそうするよ」
「もっと危ないんで、やめてください」
言いながら自転車を降りると、黒幕さんは手で近くの公園を指し示した。
「私に会いたい。そう思っていたのではないかね?」
あそこで話をしようということみたいだ。俺はうなずくと、まだ収まらない動悸を鎮めながら彼女の後に従った。どうして会いたいってことが分かったのかは……訊くだけ無駄だろうな。
「さて、何か用かね?」
ブランコの1つに飛び乗り、両腕を前に組んだまま立ち漕ぎをする黒幕さん。絶対わざとやってるな、こいつ。
「教えてほしいんです。どうしてラベルが移動するのかを」
黒幕さんからの答えは、そっけないものだった。
「籾井君に答えた」
『黒幕さんは嘘つき』と深那美は言っていた。今の回答だと、あいつに答えを教えたようにも、できないと返答したようにも取れる。
俺は問い詰めることにした。
「どういう答えをですか?」
黒幕さんはじっと俺を見つめた後、くつくつ笑ってさらに立ち漕ぎを加速させた。
「自分で考えろ」
これも、解釈の余地がある答えだ。深那美が聞いたという答えそのものだし、俺に自分の頭で答えを想像しろとも取れる。
「深那美に言った答えを、一言一句変えずに、教えてください」
あえて文節を区切って、もう一度問いかける。
黒幕さんの目が、笑い始めた。続いて真っ赤な唇が開かれる。
「ヒントを上げよう。いずれ。それまでは自力で」
(この野郎、どうしても俺に深那美を疑わせたいのか?)
今確実に、俺の目つきは険しくなっているだろう。でも、黒幕さんは気にも留めない様子で、またしゃべりだした。
「いいかね? これは破格の高待遇だよ?」
「へー、ありがたいですね」
「嘘だ。私も仕事だからね」
もしこいつがツレだったら、蹴りを入れてるな。
「そろそろ帰る。君も調子が思わしくないようだし」
またくつくつ笑って、真っ赤な唇が三日月形に歪む。
「ラベルの処理をしているのだから、仕方ない仕方ない」
どういう意味だと尋ねる間もなく、黒幕さんの体は宙に浮いた。いや、斜め上に飛び出したのだ。ブランコの勢いを使って、闇夜に向かって。
バッサバッサに哄笑までミックスして、黒幕さんは騒々しく飛び去っていった。
唖然として見送った俺もまた、泡を食って公園を飛び出すことになる。音に気づいた近隣住民が家から出てきたからだ。
出入り口の鉄柵に引っかかってコケそうになるも、脱出に成功。ペダルを必死で漕ぎながら、胸のもやもやを息と一緒に吐き出すことができないもどかしさのまま、マンションが近づいてきた。
5.
日曜日。ツレ4人と街で遊んだ俺は、今度こそ坂部の家に来ていた。理由は単純、坂部の親が日曜日も仕事で不在だからだ。
買い込んだ菓子とジュースを適当に飲み食いしながら、ゲームで遊ぶ。でも、どうにも乗れない。
「洋太お前大丈夫か?」
「ん? ああ悪い。最近どーも……」
ちょっと考え事をしていたのだ。
昨日の午後、深那美が見つけたラベルを1つ処理して、残りは6つ。ようやく半分を超えた。
そして、これで全てのラベルの所在地も判明した。3つは個人宅の敷地内。残り3つのうち、1つは警察署前の駐車場、1つはあのヤン車、1つはクラスメートのコートの背中。
コートについては、深那美と一緒に処理方法を考えた。
彼女のコートは折りたたんで教室後部の棚に入れてある。授業が特別教室使用か体育なら、クラスは無人になる。
だから、その時に忘れ物を取りに行く振りをして教室に戻れば、処理ができる。
問題は音と光だ。先日の人体模型が置いてあった空き教室と違って、両隣は普通に使用しているんだ。
『忘れ物を取りに戻って、女子生徒のコートを手に取り、いじくりまわす男子生徒が発見されるんですね分かります』
そう言って悪魔の笑みを浮かべるあの女を思い出していたら、対戦の番が回ってきたらしい。コントローラーを駆使しながら……なんだこれ?
(画面が遠い……)
くらぁっときて、前のめりになってしまった。どうにか手と片膝を突いて支えたが、めまいがする。
坂部が機敏に動いて、水を持ってきてくれた。一息に飲み干して、やっと落ち着いたところで、俺は素直にギブアップした。
「悪い、俺の順番飛ばして」
ツレたちもさすがに無理強いはしてこなくなり、俺はみんなからちょっと離れて、壁にクッションをあてがって眺めることにした。
今までゲーム画面を見て気分が悪くなることなんてなかったのに。
(疲れてんのかな、俺……)
スマホを眺める気にもならず、ぼうっとしていたら、電話がかかってきた。仕方がない、出るか。
「? お母さん?」
慌てて出てみると、良く似た別人の声だった。
『あ……もしもし、洋太君?』
「純……!」
思わず大声を出して、みんなの注目を集めてしまった。急いで部屋から出て、
「ごめんごめん、突然でびっくりしたよ」
『うん、ごめんね。声……聞きたくなっちゃって』
純のかわいい声が頭ん中に響いて、もうめまいとかくらみとかなんて言ってられなくなった。
昨日光を解放したから、また記憶が戻ったんだ。それとともに、段々積極的になってる気がする。
俺の知ってる彼女に、どんどん近づいてる。それが嬉しくて、俺の声は弾んだ。
「リハビリ、どう?」
『昨日ね昨日ね、ついに端っこまで歩けたんだよ! ものすごいゆっくりとだけど!』
「マジ?! すげーじゃん!」
空いた手でガッツポーズをして、よし、よしとつぶやいた。
今してることを話すと、興味を持ったようだ。
『ねーねー坂部君に代わって?』
「なんでだよ」
『いいから』
なんだろう。不思議がりながら部屋に戻ると、ちょうど順番待ちだった坂部に純からのお願いを伝えた。ほかのメンツのあからさまなニヤニヤが実にウザい。
「へ?! 丹波さん? ……もしもし」
じっと聞き耳を立ててみたけど、聞き取れない。なんか坂部も困ってるし。
「いやマジいないって。おい野郎ども、声出せ」
……もしかして、この場に女がいるって疑われてる?
みんなの冷やかし混じりの喚声が部屋に響き渡って、電話の向こうにも伝わったようだ。
「あ、もしもし――うん、それもいないから。洋太、丹波さん一筋だし」
何の会話をしてるんだ、おい。
「あ、じゃあ洋太に代わるから」
『もしもーし。洋太君』
「純、満足したか?」
笑顔が見えるような声が返ってきた。
『うん! 明日は、何時ごろならかけていい?』
「そーだなー、5時以降なら」
もうラベルの場所も特定したし、ヤン車をどうするかだけだよな、とりあえずは。
じゃあまた明日、と元気に言って、通話を終えた。
心の中にじんわりと、温かみが広がってくる。なんていうかもう、純の天使のような声が未だに耳に残って、俺の心を温め続けてるって感じ。
あと6つ解放したら……
「俺、どうにかなっちまうかも」
そう小さくつぶやいた時、スマホがまた着信を告げた。
「んだよまた……深那美?」
天使の次は、悪魔から電話。聞かれないように、トイレに駆け込んで籠もる。
「もしもし。んだよ今忙しいんだぜ?」
『洋太君、大変なことになったよ』
詳細を聞いた俺は、便器の上にへたりこんでしまった。
最悪の事態が勃発したんだ。
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