あいつは「愚者」なんかじゃない ―司馬昭―
「もし仮に諸葛亮が生きていたとしても、この男を補佐していつまでも安泰にしておくのは不可能だったさ。ましてや姜維ごときではなおさらだよ」
とんでもない。
あの男は食わせ者だ。
表向きは能天気にヘラヘラ笑みを浮かべていたが、目は笑っていない。なんて冷たい目の光なのだろう。
確かにあの男は一国の主にふさわしい力量はないだろう。しかし、あの男は父親(劉備)と同じく得体の知れないしたたかさがある。私はあの男が気味悪い。
だからと言って、別にわざわざ殺す必要などない。あの男が愚者を演じるのは、私に対する色々な意味での賄賂だ。項羽が義帝を殺したような過ちなど、わざわざやらかす必要はない。
公嗣(劉禅)は元々姜維に対して冷ややかな目を向けていただろう。公嗣自身、父の世代とは違って「漢」に対する信仰などないだろうし、偽の投降をしてきた姜維に対する信頼など毛ほどもなかったようだ。
姜維は、あの国を傾けるために我が国を去った。もちろん、我々魏の者たちは呉にも似たり寄ったりの者どもを送り込んでいる。
「我が国」。そんな言葉を使う今の私の口元には苦い笑みが浮かんでいるのかもしれない。私はこれからあの曹子桓(曹丕)と同じ事をするのだ。「我が国」、これから簒奪者の汚名を得る私がこの言葉を使う。なんて滑稽な言葉だろう?
諸葛誕、公休。
なぜかあの男を思い出した。いや、あの男自身ではなく、あの男に従った者どもだ。
私はあの者どもに「降伏しろ!」と呼びかけた。しかし、あの者たちは「諸葛公のためなら死ねる」と言い切り、次々と首を落とされていった。最後まで残った者はいない。
結局、我ら一族は諸葛の者たちにはかなわないのだろうか?
公嗣は狸寝入りをするかの如く酒を飲んで暮らしているようだ。その愚者の仮面の下の冷ややかな目。あの男は孔明(諸葛亮)に対してもそのような目を向けていたのか、それとも実の父親同様に敬愛していたのか?
多分、孟徳(曹操)は泉下で我らを笑うだろう。「お前ら、もっとうまくやれないのか?」と。
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