第四話 私にとっての存在

 お恥ずかしい話ではあるのですが、私はこの歳になるまでこの大蔵省の官吏であるこの仕事に全くと云っても良いほど興味はありませんでした。大蔵省の官吏と申さばお国へ仕える大切な職業であると自負しては居りますものの、やはりこの仕事にやりがいを感じている訳でもなく、この仕事がとりわけ好きである訳でもありません。

 私はただ厳格な親に教えられた通り、その言葉になんの疑いも無く、ただただ無心にこの道一筋に歩んできました。この仕事に特別の思い入れがあった訳でもなく、これと云った夢がある訳でもなく、ただ只管に仕事をこなす何らかの永久機関のように毎日働く日々を無心に過ごしてきました。

 少々名のある家のの四男坊であった私には当然家督を継ぐ資格も必要もありませんから、私は実家に戻る所以ゆえんもないのでございます。特別に好いている女も好いてくれる女もおらず、許嫁がおる訳でもなく、かと云って駆け落ちをするような相手もおりませんで、男だらけのこの箱部屋でこのまま老いるまで働いて、そのまま一人で死ぬのが私へ与えられた天命なのであるとそう悟っておりました。

 唯一の救いであったのはかけがえのなき友人に出会えたこと、良き上司に恵まれたことくらいでありましょうか。

 今の仕事は決してつまらないものではありません。良き友人や上司のお陰でこの仕事を苦だと思ったことはないのす。

 それでも私は将来に向けたぼんやりとした不安に駆られて仕方がないのです。私の友人の黑澤にも許嫁はおるのです。周りの同僚にだって縁談話が持ち込まれたり、すでに祝言を挙げたものもおります。

 そんな中で独り身の私はこらえきれぬ寂しさと疎外感をひときわ強く感じ、将来の不安をどう足掻いても拭えないのです。

 そんなさ中に私が出逢ったのが婇なのです。

 何の気なしに友人に連れられて入った店で私は彼女に恋をしてしまったのです。私の灰色の人生にひときわ輝く一輪の花が咲いた心地がしました。

 私は彼女に溺れているのです。婇は魔性の女のような妖艶な美しさをもっているわけではありません。ですが不思議と彼女に惹きつけられるのです。彼女の底なしの愛らしさに私は魅了されているのです。

 彼女は私の暗い心を照らしてくれる、謂わば私の太陽なのです。どんな疲れも彼女に会えば吹き飛んで行ってしまうような心地さえするのでした。

 田舎の家から出てきて独りで暮らす寂しさを紛らわすように通い始めたこの店に、いつしか彼女に会うために通っているのです。

 この店はとても良いお店です。常連の私にとっては人情あふれる居心地の良い場所に感じられます。やすらぎを与えてくれるかけがえのない大切な居場所なのです。

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