永遠じゃない

@monJ

永遠じゃない

 ジンギスカン&バーベキューコーナーにはむかしの電信柱みたいな木製の柱があって、てっぺん近くに古ぼけたホーンスピーカーが括り付けられていた。よく自治体が公園とかに設置して不審者情報を流したり夕方になるとチャイムとか「ななつの子」とか流して小学生に帰宅を促すあれだ。音質は悪い。うっすらと流されているBGMはピンク・フロイドの「SHEEP」、デヴィッド・ギルモアのギター演奏は超絶技巧のはずだが中学校の軽音部ばりによれよれにしか聞こえない。

 湿った土と獣のにおいがあたりいちめんに漂っていた。向こうの丘まで広がる牧草地は、じき冬も近い時期でおおかた白茶けていたが、羊たちも牛たちも色味を気にするそぶりなく草を食んでいる。バーベキューコーナーの中にも二匹ほど羊が紛れ込み、炉やテーブルの周りをうろうろしていた。牧草地とは大人の胸ほどの高さの柵で隔てられているはずが、どこからか入りこんだのか。羊は草を食み、肉となり、人に食され糞となって草を肥やす。ああすばらしき輪廻転生。

「みなさん、たくさん食べてくださいね!」

 『My kiss,My melody』のメンバー三人が、声を弾ませて言った。食事の前のミニライブのおかげでそれなりに湧いていた場の雰囲気が、一瞬にして白けた。

 「食べ放題」と札の立てられた、炉の隣のテーブルに用意された肉は少なかった。目算したところ2キロ。鶏胸肉と豚ロース。羊はない。終わってる。二十八人で足りるわけないだろ。かといって野菜が多いかといえばそんなこともなく、干からびたキャベツと玉ねぎばかりが大皿に転がっている。

 こんなことだろうと思ったんだよね。

 古澤芳文は、

「じゃーん、俺からも差し入れー」

 台車に載せて運び込んだ大型クーラーボックスをあけて、肉を入れたビニール袋をひとつ取り出した。あらかじめ切り分けてタレをしみこませておいたラムと豚のスペアリブ、鶏胸肉。しめて5キロ強。ひとり500グラムの計算だったが、予想より参加人数が多いので割当は減りそうだ。とはいえアイドル当人たち含めて六人は女子だから大丈夫だろう。

 クーラーボックスには肉のほかに、パプリカやコーン、ソーセージなども詰めてあった。テーブルに追加された具材に歓声があがる。横に近づいてくる気配がした。

「持込み大丈夫なのフルさん」

 小声で問いかけられた。友人で古参の黒田だ。芳文はうなずき、

「牧場に確認済み。そもそも炉とテーブルしか予約してないんだって。具材は運営の持込み」

「それでこの量かよ。舐めてるな」

 黒田は舌打ちした。

「差し入れあとで割り勘しようよ」

「いいよ、好きでしたし」

「今日は車も出してんでしょ。悪いよ。……小遣い大丈夫? 奥さんに怒られるんじゃないの」

「向こうも遠征に行きたいって言うから」

「また宝塚? 奥さんも好きだねぇ」

 芳文は笑ってごまかした。

「ビールは持込不可だっていうから買って来れなかった。売店で買ってね」

「調達してくる」

 黒田は去っていった。牧場のスタッフが炉の火起こしまではやってくれている。気の回る参加者の何人かが大皿ごと具材を持ち上げ、トングで炉の網の上に置いていく。炉の傍らで待ち構えていた羊が、落ちてきたキャベツをキャッチし、咀嚼した。BGMはツェッペリンの「天国への階段」に変わっていた。ひどいスピーカーのせいで、歪んでひび割れたギターソロ。ジミー・ペイジが怒って墓から飛び出してきそうだ。死んでないけど。空になった大皿がテーブルに戻されてきたので、芳文は、差し入れの肉をどーんとのせた。ついでにソーセージや野菜も。袋に入ったままより扱いやすいだろう。肉と野菜が焼けるにおいが漂ってくる。黒田が戻ってきた。

「あれ、いいの?」

 プルタブをあけたノンアルコールビールをひとつ芳文に寄越しながら言った。バーベキューの焼きはじめは交流タイムということになっていて、 『My kiss,My melody』の三人は、紙皿と割り箸を片手にファンたちに立ち混じっている。「あすす」と「ともにゃん」はいい。ファンたちに平等に声をかけようと努力している。問題は「かすみん」だった。取り巻きを従えてテーブル席に陣取った男の傍から離れようとしない。

 男は髪を赤くに染めていて、ミュウミュウのシャツと皮パンを着た、中途半端なイケメンもどきだった。イケメンと言い切るには顎がしゃくれて目は細い。二十八人中、本人をふくめ八人を引き連れてバーベキューイベントに乗り込んできた。取り巻きに焼けた食べ物を持ってこさせて、自分は座ったまま、食べ散らかしては喋り散らかしている。声が異様に通る。関西弁だ。

 ……アリゲーターガー、知ってる? ワニみたいなんやで、歯ぁとかギザギザでー、まあワニや、ワニやワニ。好物が蛙やねんて。そんで俺、体じゅうに生きた蛙いっぱい括り付けられてお堀にやなあ、こんな企画、誰が考えたんやっつーの!

 面白くもない話に、「かすみん」は笑っている。

 マイキス……『My kiss,My melody』という気取った名前を縮めてこう呼ばれている駆け出しアイドル三人組の、「かすみん」はセンターだ。センターは、いちばん魅力があって、人気があるメンバーがつとめるポジションということになっている、いちおう。

 ホーンスピーカーから、ひび割れた歌声が途切れ途切れに聞こえてくる。……目の前にふたつの道があり、どちらでも選ぶことができる。だが行く先は遠いだろう……やっぱりZEPは最高だ、帰りの車で聞こう。行きは持ち寄ったCDを順番に流して、どの新譜がいいとか、新人の誰それが期待できるとかで同乗の連中と盛り上がったけど帰りはみんな寝ちゃうだろうし……芳文は溜息をついた。はじめこそ「かすみん」を遠巻きにしてファンが何人か、話しかけたさそうに様子見していたものの、いまや彼女の興味はしゃくれ男一択とあきらめて、「あすす」や「ともにゃん」のいるほうに去っている。古参のオタたちは時おり、物言いたげに芳文を見やる。面倒ごとになると俺マターってやめてくんないかな。

 二十八人中八人の男については、芳文にも責任がないこともない。

 芳文は、「かすみん」たちに近づいた。しゃくれ男が芳文に気づいて片手をあげた。芳文はにこりとした。

「忙しいって言ってたじゃないですか和田さん。今日、来るとは思わなかったなあ」

「小川さんに言われてん。マイキスはフルさんの推しやからって」

「ええー、まさか俺のためですか」

「この子ら地上で出世したら恩着せて番組に呼べるでしょー。フルさんの推しは外れないって評判よ。そうそうアゲハちゃんこんどまた『アフターアフタースクール』の収録で会うよ」

 和田はテレビ番組のタイトルをことさら大きな声でいった。

「へえー、元気にしてますか」

「元気元気。アゲハちゃんもフルさん元気かなあって気にしてたよ。正確には、フルさんの毛根元気かなあ……って」

 和田が意地悪くいう。芳文は力なく笑い、額を手で隠した。

「残念ながら危篤に近づいてたって報告しといたるわ」

とりまきたちがどっと湧く。笑い声に隠れて囁きかわすのが聞こえた。

 ……誰? テレビの人?

 ……一般人。TOさん。

 ……まじで髪やばいって。

 大きなお世話だ。

「あのー、タマテバコ!の和田さんですよねっ」

 華やいだ声がかけられた。「あれっ、ばれたー?」、しゃくれの男が大げさに顔をしかめる。今回のバーベキュー会の参加者ではない、ハタチそこそこの学生めいたグループが、イベント用に貸切ったテリトリーの中に入り込んでいた。男女各数名。全員が髪型を整えていて、服も流行のそれ。女の子たちは、メイクも上手で雰囲気も可愛らしく、素材的にはマイキスのメンバーにも負けないレベル、と、芳文はすばやくチェックする。

「いっしょに写真イイですか」

「プライベートなんだよねえ」

 いやそうにしながら、和田が手招きをする。歓声をあげて学生(多分)グループが近寄ってくる。「かすみん」は、微妙な表情でテーブルから離れた。知名度が限定されるインディーズのアイドルとはいえ、自分メインのファンイベントでまるっと無視されるのはいい気分ではないだろう、たしかに。マイキスのメンバーとファンたちのいるあたりに近づいていくと、気づいたファンのひとりがうれしげに話しかけた。「かすみん」はファンに微笑みかけた。しゃくれ男のとなりにいたときより、表情に強さが出て、魅力が満ちた。芳文はどきりとした。「アイドル」の顔に切り替わっている。そのへんにいるかわいこちゃんの顔ではなくて。

 どこがどう違うのか、説明するのは難しい。顔立ちよりこういうところなんだよな。俺が見たいの。

 タマテバコ! の和田のまわりでは、学生グループと、二十八人中八人たちが混ざって、スマホで撮影会が始まっていた。遠目に、運営スタッフが困惑した顔をしているのが見える。会費制のクローズドなイベントだ、部外者の乱入は望ましくない。放置すれば界隈で悪評が立ちかねないが、テレビにも出ている芸人にクレームをつけて機嫌を損ねるのも回避したいのだ。本人を含め八人も連れてきてくれたことだし、ラジオで今日の話でもしてくれれば、つぎのライブの動員にも繋がるかもしれないし。

 芳文はノンアルコールビールを片手に炉に向かった。二回転めの具材がちょうど焼き上がったところだった。いいにおいがする。ハナマサで大量買いした安い肉だが、アウトドアで食うと不思議と美味い。

「フルさん」

 紙皿を片手にした若いオタがひとり、炉に近づいてきた。たしかまだ大学生で、顔色は悪く、痩せている。忌々しいくらい髪が多くて、名前は、ええと、アカ名は「たじたじ」だ。

 話しかけてきたわりに目を合わせない。

「食ってる? ライブ始まったら食べるどこじゃないよ。若いんだから肉食ってよ。ソーセージも」

 芳文はトングで肉を掴み、持ち上げて揺らした。「たじたじ」は眉をひそめた。

「ちょこしゅがの新曲、聴きました?」

「え、ああー……」

 たしか誰かが今日車に持ち込んできたCDの中にあったような。

「問題になると思うんだよなフルさん木崎Pと仲が良かったですよね言っといたほうがいいと思うけど」

 目をそらせたまま、早口の切口上で一息にそこまで言い切り、煙を吸ったらしく咳き込んだ。芳文は首を捻った。

 ちょこしゅが……「ちょこれーとぶらうんしゅがー」のプロデューサーとは、懇意というほどではない。

 長く地下でウォッチャーをしていると顔見知りも増えて、挨拶したりもするから、若いオタには親しげに見えるのかもしれないが。新譜、新譜、どんなだったっけ。

 ええと、あれか。不器用ーなボクーが君にー背を向けるたびー君がこぼした涙をー。

 たしかにベースとドラムスのサンプルが、それ多分高いやつけどお金出して買った? 大丈夫? とは思いはしたものの、著作権意識の伸び代がある界隈としてはさほど珍しくはない、特徴もない、耳なじみのいい、みんな大好きマイナーのカノンコードだなあとしか。

「似過ぎですよ。とくに二番の歌詞。歌詞カードつけてないの、ハルカカに訴えられないようにじゃないのかってみんな」

 えっ、そっち?

 芳文はずっこけそうになった。正直インディーズシーンのオリジナルには、似たような楽曲など佃煮にするほどある。

「木崎さん人脈あるから。ハルカカがオリジナル歌えなくなったらかわいそうです。先にリリースしたのに」

「あー、こんど聞いておくよ」

 目的語を伴わずに返した中年の小狡さに「たじたじ」は気がつかなかったようだった。「おねがいします」とわずかに頭を下げ、適当に具材をとってテーブルに戻っていく。芳文も紙皿と箸をとってきた。偽酒の缶と箸を脇にはさんで肉を皿にのせる。野菜もほどほどに。曲はいつのまにか「インヴィジブルタッチ」に切り替わっていた。ジェネシスか。この観光牧場にはプログレファンがいるらしい。友達になれるかもしれない。相変わらず音質はひどいけど曲はすばらしい。ピンク・フロイドも、ツェッペリンも、ジェネシスも、ミュージシャンが現役の舞台を去っても楽曲は生き残っている。これからも聴き継がれていくのだろう。もしかしたら永遠に。インディーズアイドルの「オリジナル」歌謡とは強度が違う。

 ふいに切り裂くような音がして、芳文は眉をひそめた。見れば、さきほどミニライブで使ったアンプとマイクを、運営スタッフが微調整しているところだった。食事が終わったあとに、またライブが行われることになっている。あらためてメンバーは着替えるのだろう。今日のイベントのために衣装を新調したとメンバーがSNSで発信していた。どんな衣装かは見てのおたのしみ。食事前のミニライブのときには、到着した私服そのままだった。それもまた風情があって可愛らしかったが、せっかくのおニューだ、明るい日差しの下で撮影してネットに上げてやりたい。食事のあいだに眼レフを調整しておかなきゃ。

 名曲にときおり混ざる耳障りなハウリングはギターの唸りと思い込め、ない、こともない。強引か。芳文は鼻歌でサビを追いかけた。

 彼女は見えない手を持っている。触られてもいないのに、俺を引き寄せるんだ。

 若いころは演奏にばかり気がいって、歌なんて飾りですよと思っていたが、年を取ったいまは、この詞が心につき刺さる。

「これ、ほんとに俺らも食べてもいいんですか」

 さてテーブルのほうに行こうかと振り向いたとき、学生風の男から話しかけられて驚いた。タマテバコ!の和田と記念撮影していたグループのひとりだ。初冬だというのにうっすら日焼けして、茶髪を器用に遊ばせている。革ジャンの中にパーカー。靴はホーキンス。デニムのウェストベルトに安物ではないとひと目でわかるウォレットチェーン。メガネをかけている。芳文は首を振った。

「さあ? わからないね、こっちも、スタッフじゃないから」

「なんかのイベントなんですか」

「なんだと思って入って来たの」

「和田さんが。プライベートって」

「そりゃ和田さんはね」

 よく通る関西弁の声はとどまることを知らずに話し続けている。

「そっちも、バーベキューしにきたんでしょう、ジンギスカンかな」

「合流したら、って」

「和田さんが言ったんだ」

 確認する。学生風の男はうなずいた。やれやれだ。芳文は空を仰いだ。

 さーて、どうするかな。

「江藤くーん」

 テーブル席で談笑しているひとりに目を合わせて呼ぶと、男は走って炉までやってきた。芳文をTOだと称する輩もいるが、マイキスのTOは彼だ。トップオタ、つまりファンの取りまとめ役。江藤は学生風の男を一瞥すると芳文に目線だけで訊ねた。なにか問題でも?

「そっちでメンツは抑えられるかな。和田さんが合流させたいみたいで」

「ぅえっ、はあ」

「ひとり五千五百円。飲み物代は別」

 芳文は学生風の男に向き直った。

「有料イベントなんで、タダで同席ってわけにはいかないと思う。今日はタマテバコ!のファンも同じ額払って参加してるから、七人。ほんとは当日参加はナシだけど、お金払えるなら運営さんには俺が話すよ。どうする」

「なんのイベントなんですか」

 学生風の男は、苛立ったようすでまた訊ねた。江藤が遠慮がちに言った。

「『My kiss,My melody』って知ってる?」

 学生風の男は訝り顔をした。知らないか。だよな。芳文と江藤は顔を見合わせる。

「江藤くん、テーブルのほう見てやって。大丈夫って言ってきて。ここで揉めてるとメンバーが心配しちゃう」

「すいません、お願いします」

 江藤が駆け去った。学生風の男は不服そうな顔をしている。芳文は言った。

「ファンイベントだよ。アイドルの。みんなでバーベキューやって、交流して、ライブもする」

「アイドルのイベントって、この人数で?」

 バカにした口調だ。

「多いほうだよ。二十人も連れてこられりゃあ」

 ライブに十人ファンを連れてこられればアイドルは成立するとよく言われる。都心から離れた不便な場所に、お笑い芸人のファン含みとはいえ三十人近く集客したのだから、マイキスの今回のイベントは成功の部類だ。学生風の男はつぶやいた。

「地下アイドルか……」

「地下と地上については解釈違いで血で血を洗う抗争になるから。その言葉、ここでは使わないほうがいいよ」

 いい加減腹が減ってきたので、芳文は皿にとったラム肉をひとつ口に放り込んだ。硬い。すぐには噛みきれない。

「参加するんならもちろんなんでも食べてもらってかまわないし、いまからまだライブもあるよ」

「……相談させてください、お金も絡むんで」

 渋い顔で言い、若い男は仲間たちのもとに帰っていった。固まって話し合っている。すぐいなくなるかと思いきや、どうやら女の子たちがゴネているようだ。和田にイベント後の飲みに誘われているらしい。テレビに出ているお笑い芸人と近づきになれるチャンスを逃したくないのだ。全員それなりの容姿だし、自信があるのかもしれない。

 ようやく炉から離れた芳文は食事のテーブルに向かった。「第二陣焼けてるぞー、早くしないと焦げるぞー」、と皿を持ち上げると、食べ足りない盛りのオタクたちが歓声をあげてテーブルから立ち上がる。マイキスのメンバーたちもいっしょに炉の近くにまで立っていく。おにく! おにく! うれしそうな声があがる。

「あのー……」

 さて、いよいよ箸をとって食べ始めよう、としたところで声をかけられた。芳文は嘆息した。今日の俺のお肉は冷める運命らしい。

 顔をあげると、さきほどの眼鏡と、もうひとり、別の学生風の男がそこにいた。こっちも靴はホーキンス。ラコステのオレンジ色のダウンジャケット。ふたりともボンボンか。

「お金、どこに払えばいいんですか」

「うん、こっち来て」

 食べどきを見失った肉を内心で惜しみながら、闖入者たちを運営に繋ぐべく、芳文は席を立った。

 飛び入り参加者たちが持っていた具材も追加投入されてバーベキューは和やかに終わり、メンバーたちは着替えにハケた。

 運営スタッフたちが機材の準備をするあいだに、オタたちは協力してゴミを片づけ、椅子やテーブルを寄せライブのスペースを作った。紛れ込んでいた羊たちもどうにか追い出した。芸人の取り巻きたちも飛び入りの若い男たちも手伝ってくれたが、女の子たちのほうは、芸人にべったりだった。「なんですか、あれ」、不満そうに誰かが言う。「メンバーのかわりに来賓の機嫌とってくれてんだよ。ありがたいよね」と、江藤。落ち着いた受け答えはさすがにTOだ。

 マイクテストが終わり、メンバーたちがやってくる。ファンたちは精一杯の拍手と声援で迎える。

 おたのしみだった新しい衣装は、セーラーワンピースだった。ブラウスの部分が白くて、襟とリボンとスカートが色違いのチェック柄だ。三人ともよく似合っている。日光の下で白い生地は露光のコントロールが難しい。ライブハウスでは明るい色ほど映えるので、着回しを考えると正しい選択なのだが……芳文はMCのあいだに微調整した。彼女たちがいちばん可愛い瞬間を撮りたい。来年のいまはもうふつうの女の子かもしれない。半年後には、いや、来月には、かも。一部の、運と能力に恵まれた特別な女の子以外は、ファンたちの前から静かに立ち去っていく。もっと日の当たる場所に上っていける、運と能力に恵まれた子だって、ファンから手が届かなくなるという意味では、いなくなるのと同じだ。

 だがいまこの瞬間、彼女たちは「彼らの」マイキスで、「彼らの」アイドルだった。この瞬間に発せられる魅力は、呼吸を共有する自分たちだけのものだ。

 パフォーマンスがはじまる。セトリ1曲目は去年はじめてリリースした彼女たちオリジナル楽曲だった。どこにでもありそうな曲だ。盗作だと言われかないほどよくある、陳腐な歌詞とコード進行。聴いたはしから忘れてしまいそうなクオリティ、そんな歌を、アイドルたちは精一杯に歌い踊る。「かすみん」が、「あすす」が「ともにゃん」が跳ねるたび、オタたちも跳ねた。ファインダーを覗きながら、輝いている、と芳文は思った。女の子が、誰かひとりのものじゃなくみんなの偶像であろうと覚悟したときに生まれる、痛々しくて傲慢で儚い力が、わずか三十人の観客に分け隔てなく降り注ぎ、観客たちをも輝かせている。シャッターを切るあいまに顔を上げると、バーベキューコーナーにいた家族連れが幾組か、柵の向こうから驚いた顔でライブを見ていた。見知らない女の子たちに、聞いたこともない曲だ。いきなりの盛り上がりに、びっくりもするだろう。まあ、曲については、どこかで聞いたようなやつだけど。

 飛び入り参加の学生(多分)たちはどうしているだろう、と、気になった。

 首を回すとすぐそこで、和田が飛び跳ねていた。調子を合わせて飛び入りの女の子たちも跳ねている。楽しんでいるみたいでなによりだ。男子はどうか、と目をやると、仲間たちが困惑した表情をしつつ周りに合わせて動いているなか、ひとりだけ地蔵みたいに腕組みして立っている姿が目に付いた。芳文に最初に炉のところで話しかけてきた眼鏡のやつだ。

 彼は楽しげではなく、かといって退屈しているふうでもなく、歌い踊るマイキスを、生まれて初めて雪を見る人みたいな顔で眺めていた。芳文は写真とライブに意識を戻した。一曲目が終わり、MCがあり、二曲目がはじまり、また終わった。芳文は眼鏡のやつをもういちど見た。彼はまだ腕組みをしている。

 なつかしいな、と思った。

 最初にアイドルのライブを見たとき、俺も地蔵だった。

 なじみのライブハウスにカラオケセットが入ったときは、オーナーの正気を疑った。楽器ができないやつを出すのかよ、と文句を言った。うちも商売なんだよフルさん、とオーナーは困り顔をした。女の子たちはカラオケを使うので、セットチェンジの時間がかからない分、出演者がたくさん入れられると言う話は噂に聞いていた。お客もファンの数だけ回転するから、ドリンクの売上もあがりやすい。

 バンドブームも終わって、経営の厳しいハコが小娘やお笑いメインに商売替えするという話はあちこちで耳にしていたが、アマチュアバンド時代から懇意にしていたホームグラウンドのコヤが、そういうことになるとは思ってみもなかった。

 うちも、バンドを出すのをやめるわけじゃないよ。それにフルさん、女の子たちのライブ、見たことある? そんなに馬鹿にしたもんでもないよ。たしかにロックとは違うけど。

「あのなかに、有望そうなのでもいる?」

 肩をぶつけられる。黒田だ。話しかけてくる声が息切れしているのは、曲に合わせて跳ねまわったせいだ。二曲目にして汗だくになっている。和田に絡んでいる女の子たちを芳文が気にしていると思ったらしい。芳文は首をふり「あれ」、と眼鏡のやつを指さした。

「来月あたり、どこかのハコであの顔見そうじゃない」

「えーっ。ウェイ系の学生でしょう、どうかなあ」

「来るだけは来るかもよ。最近の若いのは多少のオタク趣味はたしなみってとこがあるから」

 セトリの三曲目は邦楽カバーだった。切なくメロディアスなイントロ。記憶の中で永遠にずっといっしょにいられるから、という甘い歌詞は、アイドルたちに人気があり、よくカバーされている。

 たどたどしい音程で歌いながらアイドルたちは背を合わせてターンする。遠くない未来、ステージを去った彼女たちは自分たちのことなど忘れてしまうだろう。自分もおそらく、彼女たちを。芳文はシャッターを押し、永遠でない瞬間を切り取った。

 


 


 

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