3. 極上の涙

『……フィネル、今、なんと言いました?』

『この赤子を、育てる』

 フィネル自身、確かにおかしなことを言っていると思う。

『……人間なんですよ? 赤子とはいえ。わかってますか?』

 妖精らのなかでも、年長者であるキキは、難しい問題にため息をつく。

『わたくしらの使う「言葉」の音と、人の言葉の音では、大きな違いがあるんですよ? ここはいっそ、あなたという「竜」がいるということを示すべきです』


 人が人でないものの言葉がわからないのは、使う「音」が違うからだ。そして、ほかの言葉を知る術を持たないから、話が通じないのだ。

 だったら。


『なら、私達の音と、人間の音、両方を教えれば、いいんじゃないかい』

 キキはもう、ため息しかでない。

『この子は見ての通り、「泣く」ことしか、自分ではできないんだ。一から教えれば、何も怖いことにはならないんじゃないかい?』

 そのとき、眠っていた赤子が目覚めたようで、また泣きだした。

 「涙竜」であるフィネルは、何とはなしに、そっと涙を拾った。

『…………?』

『フィネル?』

 無言でなにかに驚くフィネルだが、もうひと舐め、赤子の涙を拾う。と。

『……美味い』

『へっ?』

『美味いじゃないか、この子の涙! 初めてだよ、こんなに美味い涙は』

『……フィネル、なにふざけて――』

 キキの言葉がおわるまえに、ほわりと、フィネルの体が輝く。「いい涙」の証だ。しかし、良すぎる。

 それはキキらもわかるようで。

『なに、このエネルギー……?』

『たった数滴で、こんなに力が? ……まさかこの赤子は』


『――極上の涙、か。そんな子に出会うものなのか。この老いぼれが』

 この世界の、「涙」には、様々な効能があるものがある。負の感情からは毒の涙が。喜びの感情からは美味い涙が。それらは、妖精らには「エネルギー」として伝わるものだ。

 涙竜たちの言い伝えに、こんな伝えがある。

 ――世界のどこかの、輝く涙のなかには。我らに無限に力を与える、極上の涙がある――。

 フィネルらが感じたのは、まさに「極上の涙」だ。本能が教える。


『……いいかい、みなのもの。この赤子は、今から私の子だ。人間にも、ほかの涙竜にも、悪用されてはならない。……これは、人間の手には余るもので、涙竜たちには、利用されてしまうだろうから、ね』

 

 この赤子は、あまりにもフィネルの心を揺さぶる。このような子は、不思議で、異端だ。

 だが、この時のフィネルの本能は、「母性」だ。


 ――守りたい。小さなこの命を、この翼で。


 過去の「極上の涙」に関する歴史は、散々なものだった。支配するか、されるか。竜と人の、どちらに極上の涙のものがいるかで、勝敗が決まっていた、と言っても過言ではない。

 ――世界は、変化なんぞなくとも、平穏が一番だ。もう、仲間が傷つくのも、自分が誰かを傷つけるのも、勘弁したいのだ。




 そこから、老竜と妖精たちによる、前代未聞な「涙竜と妖精による、ひとの子の子育て」が始まったのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る