第36話 リンレイ師匠の早朝特訓

「うおお!」

「甘い」

「うわったっと!?」


 俺が勢い良く突き出した拳を、リンレイさんは慌てる事もなく自然な動作で、俺からするとスリ抜けたんじゃないかと錯覚する程アッサリとかわした。


「くそ……まだまだ!」


 当然俺は自分の拳の勢いそのままに体を泳がせ、何とか踏ん張って振り返るけど、そこには既に彼女の姿は無い。


「残念、ほい」

「うわららら!?」


 そしてまたもや勢いをいなされ、更に彼女は指一本で俺の体をチョイっと押しただけで俺はフィギュアスケーターのようにクルクル回って尻餅を付いてしまった。


「ぐう……敵うとは思っていなかったけど、ここまで差があるとは……」


 俺は自分の見積もりが遥かに甘かった事を現在実感している。

 黒龍の一件があってから数日後の休日。

 早朝からトレーニングに精を出すリンレイさんとカタナちゃんを目撃した俺は、少々思うところもあって彼女に稽古を付けてくれるようにお願いしたのだ。

 取り合えず俺がどの程度素人なのか見てくれる事になり、『好きに打って来い』とどこぞの師範のようなセリフを言う彼女に遠慮なく好きに攻撃を繰り出してみたが…………結果は思った以上に散々だった。

 いや、正直自分が強いと思い上がっていたワケじゃない、むしろリンレイさんに潰されるくらいは覚悟はしていた。

 しかし現状俺はたった数分で息も絶え絶えなのに、彼女は呼吸一つ乱れず、更に開始から一歩も足を動かしていない。

 そして何より“俺は”何度かいなされ転ばされているのに、今のところ怪我一つしていないのだ。

 これは完全にリンレイが怪我をしないように配慮してくれているからで、実力差を喩えるなら『有段者が不良をボコボコにする』程度ではなく、『力士がイベントで子供をあしらう』くらいレベルが違う。

 ここまで違うと悔しいなんて感じる暇も無い。


「はあ、はあ、はあ…………う~~~お……ここまで違うか……」


 へばって肩で息をする俺にリンレイサンは構えを解いて、呆れたように言う。


「当たり前でしょ? 私は生まれた時から武術のみで生きて来た。オマケに今もって実戦を繰り返しているのよ? 一般人と変わらないハヤトに遅れを取るつもりはないわ」

「むう……」


 全く持ってその通り……ぐうの音も出ないからムウと言っておこう。


『でも珍しいね。創主様がこんな実戦訓練を進んで教わろう、なんて……』

「……別に今までも、やろうと思わなかったワケじゃないが」


 座り込む俺に笑いながら観戦していたカタナちゃんがチョコチョコと寄って来た。

 確かに彼女の言う通り、俺は今までリンレイさんにこうした実戦訓練的な事を施してもらおうとはしなかった。

 まあ戦いが怖いとか無いかと言えばウソになるけど、一番の理由は『プロの仕事の邪魔をしてはいけない』と思っていたからだ。

 どう考えてもリンレイさんやバルガスさんみたいな職業戦士にしてみれば、俺みたいな素人は足手まといにしかならないだろうし、その考えはこの一方的な組み手を見れば間違っていなかったと思う……だが。


「ここ最近、意図しなくても俺が前線に出る事が多かったじゃん? なるべく最前線には出ないように心がけているつもりだけど……」

「何を言っているの。黒龍の時はまるっきり最前線だったじゃない、忘れたの?」


 ジト目で言うリンレイさんに、俺は思わず顔を背けてしまう。

 まあでも、あの時はあくまで運転手だったから直接攻撃していたワケじゃないし……。


「ミフィさんが前線に立てずに悩んでいたけど、今回彼女は車霊を持つ事で克服出来たじゃない? それに比べて俺は相変わらず直接は何にも出来ないワケで……」

「別に気にする事じゃないと思うけどな? ハヤトは自分に出来る仕事をキッチリとこなしたじゃない。何より貴方にしか無い能力のお陰で今回は大いに助かったし」


 俺の能力、車霊契約者には『スマフォ』を通じて通話する事が出来る『オーナー・コール』で商業都市トワイライトの情報伝達が出来た事は確かに僥倖だった。

 その事に付いては特に思うところは無い。

 ……無いのだが、俺としてはその能力に付属する『契約者を呼び出す』事に若干の抵抗があったのだ。


「まあ……連絡手段としてのあの能力は良いと思いますが、問題は契約者の人たちを召喚獣のように呼び出す事に抵抗があって……」

「はあ?」


 俺の言っている事が理解できないのか、リンレイさんは目を丸くする。

 この前発覚した俺の能力『オーナー・コール』は車霊契約者と遠方でも通話が可能になり、さらに『了承』を得るとこの場に召喚出来るという変則的な召喚士のような能力だ。

 しかし使いようによっては非常に便利といえる能力だが、俺はこの『召喚する』事には少々抵抗があった。

 これは日本にいた頃、RPGをやっていた時に召喚士を使った時にも思った事だが。


「危険を召喚した人に任せて自分は楽をする……ってのはどうも抵抗が……」

「…………はあ~アンタらしいって言えばそうだけど」

 ゴン!!

「いで!?」


 俺がそう言うとリンレイさんは呆れたように溜息を付いて、俺の額を指で弾いた。

 いわゆるデコピンなのだが、石でもぶつけられたように瞬間目の前に星が飛んで頭が後方へ持っていかれる程の衝撃……ってか物凄い鈍い音だったけど?


「いつつ……リンレイさん? 一体……」


 俺は突然の暴力に抗議するが、リンレイさんのそれ以上に非難する視線に言葉を飲み込んだ。


「それは余計な気を回しすぎよ。私を含めて車霊の契約をした人はみんな、アンタが危険な時には力になりたいと思っているのよ?」

「いや、でも呼ばれる側にだって都合があるでしょうし……」


 リンレイさんの言葉は間違っていないと思う。

 自惚れるワケじゃないけど、今まで車霊の契約をした人たちは基本的に良い人ばかりで、多分『助けて』と頼めばいつでも力になってくれると思う。

 でも呼び出す時、俺がどんな厄介事に巻き込まれているのかは判断出来ないだろう。

 それこそこの前のように『命に関わる事態』だとしたら……。

 しかし、俺のそんな考えをリンレイさんは先読みしたように軽く一蹴する。


「誰を呼ぶのか迷うなら、その時はまず私を呼びなさい。どんな危険な時でも、どんな困難な難題に当たった時でも私はいつでも応じるから」

「……え?」

「どうせアンタの事だから相手に迷惑が~とか、まず真っ先に考えて『誰を呼び出すか』で悩むんでしょ? だったら、戦力が必要と思った時には真っ先に私を呼ぶ事を考えなさい。いつでも私は守ってあげるからさ……」

『おお~さすがリンちゃん、我が主様~、おっとこ前~~』


 リンレイさんの言葉にカタナちゃんはパチパチと手叩いて煽るが、俺はありがたいと思う反面微妙な表情を作ってしまう。


「あ~いや……」

「な~に? 今更私が鉄火場で役に立たないとでも言うつもり? 曲がりなりにもそれなりの付き合いだって言うのに」

「いや……それはこの世界の誰よりも頼りになると思ってますけど」


 軽く片目を瞑ってそう言ってくれるリンレイさんは実に頼もしいのだが……それはそれで男として少々複雑である。

 いつでも助けを呼べば綺麗なお姉さんが助けに来てくれる……ってのは……う~む。


「とは言っても……とっさの危機回避をする為に備えるのは悪い事じゃないわ。いつでもアンタが私を召喚出来る環境にいるとも限らないワケだし、確かに護身術くらいはね」


 しかし俺が己の漢気との葛藤をしている間に、リンレイさんは何やら『最低限の護身術を俺に仕込む』というところで結論付けたようで……スッと構えると、俺に手招きをして見せた。 

 不敵に笑ってみせて、誘ってくる銀髪の美女…………男として、立ち上がらないワケには行かない!

 俺は震える足に喝を入れつつ立ち上がった……。

 生まれたての小鹿のようにプルプルするけど……。


「宜しくおねがいします……」


             *


 一時間後…………。

 俺は疲労と脱水で一歩も動けない、潰れた蛙と化していた。

 途中何度かリンレイさんが攻撃も交えて指導してくれたけど、その攻撃も全て見えなかった。

 速いのは勿論、気が付かない攻撃を指摘されて初めて気が付く事が一体何度あった事か、百を越えた辺りから覚えていない。

 全てが寸止めなんだけど、確実に言えるのは一撃でもマトモに貰ったら死んでいるだろうという事。

 つまり俺は一時間の内、最低でも百回は殺されてる計算だ。

 ドラゴンを蹴っ飛ばしたり、大岩を棍棒でぶち抜いたりとリンレイさんにはパワーファイターのイメージがあったが、こうして対峙してみると動きの華麗さ流麗さが良く分かる。

 むしろコレこそが彼女『烈風の鈴音』たるリンレイさんの本当の姿なんだろう。

 俺は自分が潰れている傍らで、やはり一歩も動いておらず汗一つ流していない彼女を達人だと改めて思う。


「はあ、はあ、ゲボ……」

『あははは、大丈夫かねルーキー?』


 カタナちゃんが面白がって俺の頭を棒で突っつく……遊ぶんじゃない……。

 そんな敗残兵のような俺を見下ろして、リンレイさんは何か思案していた。


「ふ~ん……でも初めてにしては動き回る体力はあるのよね。そう言えば初めて会った時は息切れしたけど私を抱えて山の中を逃げ回ったりしてたし」

『何かこの新兵に見込みでもありますでしょうか? 軍曹殿!』


 どうやらカタナちゃんは現在新入隊の新人を監視する先輩、そしてリンレイさんは指導を担当する鬼軍曹って設定にして遊んでいるようだ。

 

「いや、う~ん……パンチもキックも、基本は全く出来ていないし、何より威力も無い。それでいて動作は全て大振りで無駄が多いし、軸がしっかりしていないからそもそも格闘技にはなってない……ノリで適当に動いている酔っ払いと大差ないな」

「…………」


 鬼軍曹(リンレイさん)の悪気の無い冷静な分析は正論なだけに明確な切れ味を持って、一言一言俺の胸に突き刺さって来る。

 事実は何よりも重く、痛い……。


「でもあんな動きでもここまで動いていた体力があるなら、少しは何とかなるかもね」

「…………うえ?」


 何とか顔を持ち上げると、リンレイさんはニッと笑ってみせた。


「落ち着いたら、今日は商店街に買い物に行こうか」

「へ? 何か足りない物でもありましたっけ?」


 基本的に店に住み込み、同棲状態の俺たちは必要物品、日用品の類は共有している。

 食料品についても昨日買い足したばかりだったけど?

 そう聞くとリンレイさんは“日用品じゃない”と首を振ってから目的を言う。


「本来冒険者だったら、登録後に一番に訪れる場所なんだけど……武器屋と防具屋よ」

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