第21話 己が信じた道
シスター視点
朝日が目に刺さり意識を取り戻した私はハッとして目の前のベッドに横たわる弟の手を取り、規則正しく刻む脈拍にホッと胸を撫で下ろした。
……どうやらいつの間にか眠ってしまっていたらしい。
ロランの冒険者仲間の方々が交代での休憩を申し出て下さったのに断りを入れて自分が看病していたというのに、コレでは意味が無いではないか……。
私は昨日から続く自己嫌悪が更に増して行く事に頭を抱えてしまう。
昨日の、あの絶望的な状況から弟ロランが奇跡的な生還を果たした翌日、私から顕現したらしい天使から『峠は越えたようだけど、しばらくは絶対安静』と言われて商業都市まで戻り、いつも弟たちが拠点にしている宿の一室へと運び込んでいた。
昨日までは良く分からない管や水、マスクなど色々と繋がれていた弟は、今では何も付けられていない。
まだ目を覚ましてはいないものの、規則正しい穏やかな寝顔を浮かべている。
そんな光景に安心すると共に、私は湧き上がる罪悪感で頭が一杯でした。
私は昨日まで、自分の事を敬虔な聖職者であると思っていました。
教会の教えを、司祭様たち上の方々が指示された通りに人々へ信仰と共に癒しを与えていく……そんな自分は紛れも無く正しい側にいるのだと。
自分は聖職者でありシスターであるのだと……。
それが、錯覚であった事を昨日、嫌と言うほど思い知りました。
私は、弟の死を眼前に突き付けられて……そんな根拠の無い自尊心は粉々に打ち砕かれてしまったのです。
私は……己が不幸に対し、呪ったのです。
ロランに危害を加えた魔物を『何故私の弟なのだ』と。
ロランの仲間たちを『何故弟を守らなかったのだ』と。
救援に来ていた『車輪の誓』や『炎の椋鳥』の方々に『何故もっと早く来なかったのか』と。
そして……私の最後の希望、ロランを奪おうとする神に『何ゆえ私たちにばかりこんな残酷な運命を寄こすのだ!』と……。
自らの絶望に任せて世界の全てを呪っていたのです。
信仰するべき神に対してすら……聖職者が聞いて呆れます。
しかし、そんな自分勝手な呪いを振りまく私を他所に、あの方たちは全力で、必死にロランを助けて下さいました。
昨日の地獄のような出来事……あの場にいらした誰一人として欠けていてもロランの命は助からなかったはずです。
特に昼間私が暴言を吐いた『ハヤト・ドライブサービス』の店長さんとリンレイさん。
心情的にだって私を助ける義理など無かったはずなのに。
『緊急事態だ。契約は後で良い』
そう言って私から天使を顕現させた店長さんの顔を思い出すたびに、自分の所業が恥ずかしくなってきます。
命の掛かった緊急事態、そんな時に金より命を先に選択するような人物のどこが俗物だと言うのか……。
視線を下に向けると目に映るのは私を聖職者として証明してくれ、そして神の使徒である証、銀のロザリオ。
昨日弟が助かった事が神の采配によるものだとするのなら……。
私は重い溜息と共に首からロザリオを静かに外す。
銀の鎖で繋がれたロザリオは極軽い素材で作られているはずなのに、今の私には両手で持つ事すら重い。
神を信じず、神を呪った……そんな者にコレは相応しくない。
昨日、私は確かに信仰を捨てたのだ。
「教会にお返ししなくては…………」
昨日までは自分のアイデンティティそのものであったはずのロザリオなのに、今では威光を借りていただけの借り物に過ぎなかった事が……心から情けなかった。
そんな時、不意に扉から控えめなノックが聞こえました。
「ゴメンください、ハヤトです。シスター、弟さんのお加減はどうでしょう?」
「!? 店長さん」
それは弟にとって、そして私にとっても命の恩人の声。
私が慌てて扉を開くと、そこには昨日とは打って変わった穏やかな笑顔を浮かべた店長さんが佇んでいました。
……考えてみれば私は初対面からずっと、彼の不機嫌な顔しか見ていませんでしたね。
店では困ったような、それでいて迷惑そうな顔、試しの洞窟では切羽詰り、大事を前に慌てるような顔を。
いずれも私がさせていた事を考えると本当に申し訳なく思います。
「おはようございます。容態はどうですか?」
「お、おはようございます。おかげさまで峠は越えたようで……今は落ち着いています。宜しければ……」
しかし店長さんは昨日の事など無かったかのように話して下さいます。
私はそんな彼にどんな顔をして良いのか分からず、取り合えず部屋へと招き入れた。
促されるままに用意した椅子に座る店長さんは弟の穏やかな寝顔を見るとホッとしたような表情を浮かべた。
「あの重傷からよく生き残れたもんだよ……さすが魔法だな」
なにやら昨日弟に起こった奇跡を魔法のお陰と言っているような……そんな“的外れな”事を呟く店長さんに、私は精一杯頭を下げた。
「昨日は……その……ありがとうございました。弟を救っていただき……」
「ん? ああ、俺としたら仕事だったから……そんなに気にしなくても」
謙遜するように言う店長さんですが、彼の『仕事』と言う言葉で私は思い出した……ハヤトドライブサービスで提示されていた値段の高額さを。
ただの運送でもあの値段だと言うのに、今回はそれ以上の働きを彼等に強いているのです。生半可な金額では済まないはずです。
それら全てが今はまだ傷の癒えていない弟が全て背負うのは……。
「店長さん、弟の命を救って頂いたのに関わらず、誠にあつかましく申し訳ないのですが、お願いがございます……」
「は? 何でしょうか」
「昨日、弟の救出、並びに蘇生や治療の代金は私が必ずいたしますので、しばしの猶予をいただきたいのです」
私がまだ小さかった頃、貴族だった我が家は膨大な借金を返す事が出来ず、ある大商人に爵位を買い取られる形で没落したのだ。
商人への支払いが滞ればどういう事になるのか……私は身をもって知っていました。
ハヤト店長があの時の商人ほど悪質だとは思わないですが、それでも一介の冒険者でしか無い弟に背負わせる訳には行きません。
……どのみち私はシスターを辞める……こんな私などでも最悪奴隷商にでも身売りすれば何とか支払いの足しにはなるはずです。
私は悲壮な覚悟でそんな事を考えていました。
しかし、店長さんは不思議そうな顔で頬を掻いて言う。
「支払い? 今回の出動は冒険者ギルドの要請だから全部向こう持ちだぜ? 弟さん……ロランさんもキッチリ登録してるから」
「……は?」
「だいたい、弟さんの事を抜きにすれば今回アンタは俺たちの要請を『受けてくれた』側だぜ? むしろ俺の方が報酬を払わねーと……」
「はい??」
私は一瞬何を言われているのか理解できなかった。
『貰う』ではなく『払う』……確かに目の前の人物が発した言葉なのに。
教会で治療や解毒、解呪を行う場合には必ずその都度お布施を頂いていました。
それは冒険者ギルドからも受け取っているお布施とは別にです。
『ギルドと教会はあくまで別。神の御業に対する対価を一括りには出来ませんよ』
司祭様は教会に訪れた冒険者たちに私たちが治療を施す際にそう言っていたのに……。
「あ、でもシスターには昨日車霊を現出させちゃったからな……」
シャレイ、昨日弟が死に飲み込まれる寸前に店長さんが私に授けて下さった天使、キュウキュウシャと言う名の召喚獣。
召喚士(サモナー)の存在は知っていますが、まさか自分が契約する事が出来るなど思いもしませんでした。
ましてや私の知識、いえこの世の概念とは全く違う治療法を授けてくれるあの召喚獣のお陰で弟は現在も呼吸を止めずにいられるのだ。
授けてくれた店長さんには感謝しても仕切れない。
しかし私は命ですら要求されても構わない心境でしたのに、またもや店長さんは私の覚悟をスルーするようにありえない事を呟きます。
「すみません、昨日は緊急事態でしたから了承も無しに勝手に現出させちゃって……」
「……え?」
「押し売りみたいになっちまうのも良く無いけど、この場合どうすりゃ良いかな? 支払いの確認も無しに払えって~のも……」
謝罪して更に妙な事を悩み始めた店長さんに今度こそ私の方が慌ててしまいます。
何を言い出すのですかこの方は!?
「ちょちょ、ちょっとお待ち下さい! 何故貴方が勝手をしたような事を言っているのですか!?」
「いや、でも了承も無しに出現させたのは迷惑にもなるだろ?」
私の言葉に困ったようにする店長さん……私は即座に理解しました。
この方はお人よしです……そして、ある意味私よりも世間から物凄くズレています。
「そんな事ありますか! 貴方が召喚獣を授けて下さらなければ弟が助かる事はありませんでした。私はあの時何を代償にしてでも、喩え命が対価であっても弟を助けるつもりでした。払えと言われれば全財産だろうと、喩えこの身であろうとも!!」
「こ、この身って……ちょっとシスター?」
「だと言うのに何なのですか貴方は!? 商人なのに、あのような高額な金額を提示しているのに……私などよりもよっぽど……」
聖職者のようではないですか……。
続けようとした言葉が出てきません……いつの間にか流れていた涙に覆われて……。
司祭様やBBKの人たちが『金の亡者』などと称している事が信じられません。
私は、私たちはとんでもない勘違いをしていた事を認めざるを得ませんでした。
その事が……申し訳なく……とてつもなく悔しい……。
「シスター…………」
「何故ですか!? 弟の死を前に神を、世界の全てを呪った私などが聖職者を恥知らずにも名乗っていると言うのに…………貴方は……」
それは紛れも無く八つ当たりでした。
気が付けば私は、あろう事か弟の恩人に対して自分の不甲斐なさを棚に上げて、感情をぶつけてしまっていました。
会話の前後も無しに、ただただ意味不明に泣き喚いて。
本当に……何なのですか私は……。
しかし、自己嫌悪がいよいよ極まった私に対してハヤト店長は穏やかな、真剣な表情で口を開きました。
「シスター、昨日の試しの洞窟で犠牲になった人数……分かります?」
突然問われた質問、私は店長さんがいきなり何故そんな事を聞いたのか分かりませんでした。
「…………新人の冒険者の方々が11名亡くなったと」
その事実も私の胸を締め付けます。
それは私が回復魔法で救う事の出来なかった人々に他ならないのですから。
しかし、店長さんは重く頷くと違う人数を口にしました。
「ではシスター、54名……コイツは何の数字だと思う?」
「昨日帰還なさった方の人数でしょうか?」
私が何となく言うと店長さんは首を横に振りました。
「違うな、昨日の事件でアンタが救った命の数だよ」
「………………え?」
「真っ先に緊急の治療が無ければ命を落としていた新人冒険者の総数だよ。アンタ弟の事にばかり意識が持っていかれていたみたいだけどさ、昨日一日だけでアンタはそれだけの人々の人生を救ったんだぜ?」
「…………それは」
「家の親父の口癖でね、『プロなら経過は問わない、結果で示せ』ってのがあってな。神を呪った? 世界を憎んだ? だからどうした、アンタは54名もたった一人で命を繋いで見せたんだぜ? それでどこがシスターに相応しくないんだ?」
「そ、そんなのはシスターとして当然の行いで……」
「うん、そうだね、当然の事だよね。シスターとして」
「…………あ」
そこまで私が言うとハヤト店長はニヤリと笑って見せました。
ま、まさか、乗せられてしまいましたか私!?
「神様が愚痴や呪い程度で破門にする程狭量なワケねーっての。自信を持ちなよ聖職者」
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