第18話 ブリザードの記憶

シスター視点


 わたくしの名はラティエシェル。

 幼い頃にはミドルネームもあったようですが、家が没落してしまってからはそんな物に意味はありませんでした。

 今でも思い出されます。

 寒くて暗い冬の日の路地裏で野犬や危険人物が闊歩する中、たった一人の肉親である弟と二人、身を潜めて震えていたあの日の事を。

 ひもじくて、苦しくて、何ゆえに自分たちがこんな目に合わなくてはいけないのか?

 一体自分たちがどんな罪を犯したというのだろうか?


「お姉ちゃん……大丈夫なの?」

「…………私は大丈夫、気にしないで」


 育ち盛りだというのに痩せた小さい体を震わせて呟く弟の姿に泣きそうになってくる。

 日雇いの仕事は力仕事の重労働ではあったのに、報酬は固いパンが一つのみ……とてもでは無いが二人で食べるには足りていない。

 私が食べるワケには行かないのだ。

『……弟だけは……この子だけは……私が守るんだ』

 あの時はソレだけが、その想いだけが私が今世で見出せるたった一つの存在意義だった。


 そんな極限状態であった私たちだったが、そんな状況はある日突然救われる事になる。

 ある寒い雪の日、とうとう力尽きて雪の中に倒れてしまった私は、その場から一歩も動けなくなってしまった。


「お、お姉ちゃん!? お姉ちゃんしっかりしてよ!!」


 必死に私を起こそうとして縋りつく弟の声だけが聞こえる。

 私は大丈夫だと言ってあげたいのに、最早言葉すら碌に出てこない。


『ああ……私はここまでなんだ……』


 朦朧とする意識の中、私が思ったのはそんな事だった。

 私たちをこんな状況に陥れた大人たちや世の中に対する怨嗟や絶望などではなく、ただ自分という少女が終わるのだという冷たい現実だけ。

 死に対する恐怖なんて少しも感じる事が出来ない、言うなれば全てに対しての“諦め”だけが去来していた。

 視界が徐々に全て黒に、闇に染まって行く事すらどうでも良い。

 恐怖心すら抱けないほど、自分が生に執着していなかった事に気が付き笑ってしまう。

 それでも、一つだけ心残りがあるのならば……。


『この子が……ロランが……幸せに……』


 優しい弟の事だ。

 間違いなく私の事が生涯のトラウマになるだろう。

 私を守れなかった事を悔やむだろう。

 あの日一人で食べたパンの事を一生後悔し続けるのだろう。


 もう声しか聞こえない弟の声に私は答えてあげたかった。

『貴方がいたから、私は決して不幸ではなかった』と。





 気が付いた時、私は王都にある教会の一室で横たわっていた。

 目を覚ました私に弟は涙を流して縋り付き、そしてそのまま力尽きたように眠ってしまった。


「ロ、ロラン!?」

「お前が目を覚まして安心したんだろ? 三日三晩は寝ずに看病してたからな……回復魔法で命に別状はねーって何回言っても聞きゃしねぇし、飯すら食わねーし」


 そう言って苦笑する大人が同じ部屋にいた事に驚いてしまう。

 大柄の無精ひげ、髪もボサボサで格好だけなら教会の聖職者なのだが、明らかに私が今まで見てきた聖職者に比べるとみずぼらしい。

 酒瓶を片手に話すさまは“単なる酔っ払い”のようにも思えた。


「だ、だれ?」

「……俺の事はどうでも良い。んな事より今はゆっくり休め、そんな若え時分で死んじまったら何にも出来ねぇからな」


 あっけらかんと、その男性はそれだけ言うと部屋から早々に出て行ってしまった。

 後で知ったのですが、その男性こそ気を失った私と、泣きじゃくる弟を教会へと連れて来てくれた恩人だったのです。

 しかも……彼こそ『放浪の大司教』と呼ばれ教会の最高位として敬われているヨシュア・カレドニア様である事を知った時、私はお礼の一つすら言わなかった当時を激しく後悔しました。


 それから、私たち姉弟は教会の系列である孤児院へと保護される事になり、決して贅沢ではありませんが、それでも生死に拘わる飢えの無い生活を送る事になりました。

 そんな折、成長と共に回復魔法の魔力の才能が自分にある事が発覚して、私は修道女を目指すようになりました。

 いつか、あの方のような立派な信徒として真に苦しむ人々に救いの手を差し伸べる事が出来るようにと。

 あんなに高潔な魂を持ったお方が最高位である教会です。

 きっと位が高い程に徳が高く立派に違いない……商業都市トワイライトへ配属になり1ヶ月……私はそのように考えていました。

 盲目的に……。


                *


『金の亡者が敬虔な信徒であるBBKと善良なる市民の生活を圧迫している』

 配属先の司祭様がある日そんな事をおっしゃいました。

 一都市の教会を預かる司祭様のお言葉です。

 私はいてもたってもいられず、諸悪の根源と司祭様が豪語しておられた『ハヤト・ドライブサービス』へと苦言を呈しに赴きました。

 そこで目にしたのは考えられない程の高額な料金設定、通常の運搬行のゆうに十倍は吹っかけるという、まさにボッタクリな内容でした。

 人の良さそうな、虫も殺さないような顔をしている店長ですが、私は騙されません。

 その裏で汚い手段で荒稼ぎして他者に迷惑を掛けるなど。


「己が過ちを認める事が出来ないとは……貴方は相当に罪深い者のようですね。分かりました、貴方がコレまでに犯した罪をお教えいたしましょう。まず、貴方がこの店を開店して以降多くの同業の方々が失業に追い込まれています」

「……は?」

「まずは運搬関係、こちらは荷運びの方々のみならず高額な運搬料金の為に店側が赤字経営を余儀なくされ、このままでは店を閉めなくてはならない事態に追い込まれているとか」

「なに!?」

「更に運送に関しても、今まで馬車の送迎などで生計を立てていた方々の多くが失職し、多くの家庭が路頭に迷う事になり、反対に需要がこの店に集中した結果客側も高額な料金を払わざるを得ない状況なのだとか……」

「ちょちょちょ、ちょっと待ってよシスター! ウチの店はそういった他の職種とバッティングしないように心がけて来てますけど!?」


 己が罪を認めないとは・・・・・・なるほど、司祭様が言った通りの金の亡者と言う事なのですね。


「黙りなさい。他の方々を失職に追いやるという不幸を振りまいた事実を聞いても自らの罪を認めないつもりですか!? 事実、貴方の店の料金は一体なんなのですか、この暴利な値段……なんですか荷運びだけで5万など、ありえません!!」

「それこそバッティングしない為の料金なのであって」


 私の説明に納得が行かないと言い訳を並べる店長の傍らで、スラリとした女性が立ち上がった。確か彼女は『烈風』と称される武術家……。


「ねえシスター。今の話、一体どこから聞いたの? ウチは特殊な才能を売りにしているけど都市では小さな店にすぎないわ。他職種の業務圧迫できるほどの規模は無いわよ?」


 なるほど、貴方も彼と同じで金の魔力に目をくらませましたか……達人と呼ばれる武術家であっても……嘆かわしい。


「毎年教会に多額の支援をしてくださる『BBK(ブラックブラックケーキ)』の会頭様です。司祭様があの方より嘆願を受けて、本日わたくしが教会の代表として参った次第です」


 しかし私がそう言うと、二人は何やらボソボソと話し合うと……何故だか私の事を二人揃って見つめてきたのです。

 怒りや憎悪ではない……憐憫を讃えた、心底哀れな者を見るかのように。


「な、何なのですかその目は!? いずれにしても貴方方の行いを神は常に見ていらっしゃいます。早々に改めなければ何れは神罰が下りますよ!」


 その目で見つめられる事が……妙に居た堪れなくなり、私は早口でそれだけ言って早々に店を出ました。

 ……なんなのです? あの『何も分かっていない』とでも言われたような、こちらの不安を煽るような視線は。


                *


 それから私はトワイライト大教会まで戻るついでに、トワイライトにある冒険者ギルドへ立ち寄る事にしました。

 基本的には教会からの外出は許可が必要なので、目的地以外へ立ち寄る事は宜しくないのですが、どうしても最近冒険者になった弟の事が気になってしまったのです。

 

『神よ、申し訳ありません。でも弟の安否は確認しておきたいのです』


 たった一人の肉親のロランは私とは違い身体能力に優れていた事もあって、手っ取り早く稼ぐ手段として冒険者を職業に選んでしまいました。

 確かに魔物を相手にする機会の多い冒険者は腕っ節のみで一攫千金を狙える職業かもしれないのですが、その分命の危険は他のどの職業よりも高い。

『姉ちゃんに心配させないように稼がないとね』なんて嘯いていましたが、姉としては命を危険に晒される方がよっぽど心配なのに……。

 商業都市トワイライトへの配属を希望したのは冒険者初心者が実力を付ける為、修行の場として利用している『試しの洞窟』にロランが連日挑んでいるのが理由でした。

 しかし実際に冒険者ギルドへ顔を出してみれば、ロランは本日も『試しの洞窟』へ向かっているらしく無事であったのを喜ぶ反面、今日も危険の少ない場所とはいえ戦いに身を投じている事に不安を覚えます。


『お姉ちゃんは貴方が出世する姿を見たいワケじゃないのよ』


 幸いにも弟は冒険者ギルドでも評判は悪くないようで、先輩たちに可愛がられて実力を付けているらしいのです.

 ……どうせなら無事なあの子を見て、お世話になっている先輩方にご挨拶をしておきたかったですが。

 私は諦めて教会へ帰る事に致しました……残念です。




「きき、貴様等! 神を愚弄する気か!? 不信心者共め、天罰が下るぞ!!」

「俺たちは一言も神様を愚弄してませんよ? 貴方本人の事を言っているのですけど?」

「信者を語り、神の御業を自分の手柄のように脅しに使うとは……どっちが不信心者なんだか……」


 ついでに商店街で食材の買い物を済ませ教会に戻った私の目に飛び込んできたのは、顔を真っ赤にして怒鳴る司祭様と……あの二人は?


「何をしているのですか、貴方方は!?」


 私の呼びかけに振り向いた二人はやはり、先程訪問したハヤト・ドライブサービスの方々です。

 しかし二人の目は店内で見かけた時よりも遥かに冷ややかな物で、思わず後ずさってしまいます。

 あれほど人の良さそうだった店主も、烈風の異名を持つ女性も、冷静を通り越した冷淡な瞳……いえ、明らかな怒りも感じます。


「貴方達、我が神聖なる教会へ何の御用なのでしょうか?」


 気圧される、とはこの事なのでしょう。

 しかし私は心を強く持ち、教会へ狼藉を働こうとする者たちへ叱責をしたつもりでした。

 でも、店主ハヤトさんの言葉に私の言葉は止まりました。


「別に、たった今用は無くなったから安心して下さい。死にそうな連中を助ける協力をしてくれってだけだったんだがな」

「え……?」


 救援要請!? それは回復治療の魔法を行使する私たちにとって最重要な仕事。

 それを願われてこんな風に門前で揉めているとは……一体どういう事ですか!?


「え!? ちょっと待って下さい、何なのですかソレは?」

「……さっき冒険者ギルドから依頼があったのよ。試しの洞窟で上級魔獣『氷雪狼』が大量発生して多数の死傷者が出ている。私たちは協力要請に来ただけよ」

「金にならない新人の為に危険は冒せないって断れてたけどな!!」

「!!?」


 その瞬間、浮かんだ色々な疑問は全て吹き飛んでしまいました。


「た、試しの洞窟……事件が起こっているのはそこで間違い無いのですか?」

「? ああ、初心者の訓練場になっている場所だけど……昨日今日武器を持ったばかりの新人に対処できるわけ……」

「弟が! 最近冒険者になった私の弟が試しの洞窟に行っているのです!!」

「……は?」


 氷雪狼に襲われた冒険者というのを私は一度目にした事があった。

“生前は”実力を備えた冒険者だったらしい方が無残な姿になっていた光景を思い出して背筋が凍る。

 あの時の無残な遺体と弟が重なり全身が震える。

 実力者でさえもそうなのだ……初心者のロランなんて!?

 

「君は……まさかロランのご姉弟か?」

「!? そうです、たった一人の肉親です! 弟は!? 弟は無事なのですか!?」

「分からない。ただ、本日試しの洞窟の探索を行っていた中にロランがいた事は間違いない。現在の死傷者の報告に名は載っていないが……」

「そ、そんな……」


 死傷者……つまり死者が出ている。

 その中に既に弟がいるのではないか、最悪の想像に思わず立っていられなくなって膝を付き掛けてしまいます。

 ですが、その瞬間ハヤトさんが私の肩を力強く掴んで支えました。

 まるで今倒れる事は許さない、とばかりに。


「シスター、アンタは回復魔法は使えるのか!? 使えるなら大至急俺たちと一緒に来てくれ! 試しの洞窟へ!!」

「……え?」

「俺たちは今から試しの洞窟に救援に向かう。回復魔法の使い手は一人でも多く必要なんだよ」


 !? だから救援要請で彼らは教会(ここ)に来ていたのですね。

 だとすれば行かないワケにはいかない!

 ロランが、たった一人の弟がそんな危険な場所にいるのを知って、黙ったいる事など出来るはずも無い。


「いけません、シスター!」


 しかしハヤト店長の言葉に反射的に飛び付こうとした私を、司祭様が止めました。

 いつもの温厚な笑顔は無く、まるで冒険者の方々の訴えを聞こうともせずに、人の命よりも別の物を見ているような“濁った”瞳で。


「シスター、コヤツは金の亡者、BBKに大損害を与える教会の天敵なのですよ! 下手な協力などしては後でどのような要求をされるか分かりません! いえ、それ以前にここで了承すれば今後BBKと、どのような軋轢が生まれるか……」


 …………何を言っているのですか……この人は?

 私はこの時、同じ教会に仕える聖職者である司祭様が何をおっしゃっているのか、理解出来ませんでした。

 いえ、理解したくなかった。

 後で? 今後?? 緊急事態は今起こっているのですよ?

 そんな時に心配するのは、人命では無いと?

 しかし私が余りの事に言葉を失っていると、ハヤト店長が怒りの感情を隠そうともせずに司祭様に向かって吼えました。


「請求だってなんだって、死んじまったら何にも出来ねえだろうが! 後の事とか今言ってる場合か!! まずいかに助けるかだろうが!!!」


 私はその言葉にハッとしました。

 それはあの方、私たち姉弟の恩人が助けて下さった時とは違う、粗野な言葉遣いだったあの人よりも更に乱暴だというのに、それでも同じ意味と……そして温度を持っていました。


『……俺の事はどうでも良い。んな事より今はゆっくり休め、そんな若え時分で死んじまったら何にも出来ねぇからな』


 気が付くとハヤト店長と共にリンレイさんとギルド長も同じ温度の目をしていました。

 それは救援の為にあらゆる手段を使おうとする、プロの眼差し。

 この方たちは『手段の一つ』としてここに来ているのだ。

 おそらくここでこれ以上時間を食うなら別の方法を模索して動き出すはずです。

 『教会』を救援の可能性から除外して……。

 そうなれば……当然私は行く事は出来ない。

 そして……ここで決意しなければ、試しの洞窟への救援に向かわなければ、私は一生涯名乗る事は出来ないでしょう。

 シスターなどではない……ロランの姉と。


「お願いしますハヤト店長……わたくしを連れて行ってください!!」


 尚も彼等の要請を断ろうとしている司祭様は私の言葉に驚愕の表情を浮かべました。

 この時、私は一度教会の名を捨てたのかもしれない……。

 司祭様の言葉に逆らうのだから。

 でも……それでも……『信仰』を捨てたつもりは無かった。

 弟を、冒険者を見捨てるという教義は私の聖書には載っていませんでしたから。

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