第2話 就業時間
「さて、今日はもう店じまいだな……」
遠き山に日が落ちて……俺は入り口のプレートを引っくり返して『閉店』にすると、不意にオレンジ色に染まる店の看板を見上げた。
『ハヤト・ドライブサービス』
この名前で何の店かピンと来る者は少ないだろうな。
少なくとも“この世界”では。
最近では少しはこなれて来たつもりだけど、まだ俺自身が店を持ったという実感が湧いて来ない。
そもそも俺が“この世界”に来てから、まだ半年も経っていないのだから当たり前と言えば当たり前か……。
そんな事を考えていると遠くの方から独特な音、バイクならではのエキゾースト音が近付いて来た。
この音が出せるのはこの町、いやこの世界において一人しかいない。
「帰って来たみたいだな……」
やっぱり速いな。
道路の事情だけでなく、盗賊や魔物なんかの危険も加味すると2~3日は余裕で掛かってしまう王都までの距離を僅か2~3時間で動けるのは今のところ彼女だけだろう。
裏通りの入り口付近に目を向けると、予想通りの人物が黒い車体で颯爽と姿を現したのが目に入る。
そして、店の前に横付けしてからヘルメットとゴーグルを外した彼女の銀髪が映画のワンシーンのようにサラリと流れて、ドキリとしてしまう。
何度目にしても……彼女にはバイクが良く似合うな。
そしてシートから降りると黒い車体は急激にその姿を小さくし、巫女衣装の幼女へと姿を変えて彼女の肩にちょこんと座った。
車霊『カタナ』、リンレイさんの召喚獣にして俺が彼女に与えた力の象徴。
「お疲れ様リンレイさん、カタナちゃん。手紙の方は間に合った?」
しかし俺がそう言うとリンレイさんは少しムッとした顔になり、次の瞬間には俺の目の前に接近していた。
「え!?」
こ、これはプロで言うところの“間合いに入られた”という事なのだろうか!?
元々名うての冒険者で凄腕の武道家の彼女に、ド素人の俺が対処など出来るはずも無く……俺は額にデコピンを食らった。
「アタ!?」
「リ・ン・レ・イ! さんは要らないって言ってるでしょ。あと敬語も」
「う……」
それはこの店を始めてから今まで、ずっと言われている要望だ。
彼女にとっては一緒に仕事をする上で他人行儀に敬語を使われるのも敬称を付けられるのも気に入らないらしいのだ。
……接客中であればお客に対して上司を呼び捨てるように呼べない事も無いけど。
何と言うか、普段は大学の先輩みたいな風格が彼女にはあるし……それに。
「もう一緒に仕事して結構経つんだから……いい加減」
「す、すみま……いや、ゴメン。未だに“綺麗なお姉さん”には緊張するクセが抜けてなくて……」
反射的に言ってしまった本音は我ながら情けないが……日本男児であれば誰もが抱く戸惑いでは無いだろうか!?
銀髪ポニーテール美人のスタイル抜群のお姉さんだぞ!?
急にタメ口を聞ける奴はどんなリア充だってんだか……。
しかし俺がそう言うと、彼女はスッと向こうを向いてしまった。
……呆れられたようだ。
「も、もう! 本当に頼むわよ。店長は貴方なんだから!」
はい、申し訳ありません。威厳が無くて……。
何故だかそっぽを向いた彼女の頭を肩に乗ったカタナちゃんが楽しそうにペチペチ叩いているが……なんだろう?
俺の名は風見ハヤト。
本来はとある片田舎の高校に通う、何の変哲も無い2年生だった。
しかし俺にはある一つの趣味があった。
若者の車離れが叫ばれる昨今ではあるものの、都会ほど交通事情やインフラが整備されていない田舎では、やはり車は移動手段として必需品。
クラスメイトたちの間でも免許が取れる年が近付くとその手の話題が男子を中心に盛り上がりを見せるもの。
俺はその中においても少々特殊な方で、『車』に該当するものは何でも好きという……かなりの雑食系だった。
クラスメイトたちが乗用車で盛り上がる中、俺は乗用車は勿論、スポーツカーだろうが特殊車両だろうが、2輪だろうが3輪だろうがキャタピラだろうが好んで休みの日には車やどころか工事現場まで見に行く位であった。
友人たちは「お前の“好き”は視野は広いのに、何か偏ってる」などと言われる始末……失礼な。
しかし、そんな雑食性がどこかのメーカーの神の逆鱗にでも触れたのだろうか?
俺はある日、行きつけの本屋で車雑誌を購入した帰り道……いつの間にか見知らぬ山中を歩いていたのだ。
本当に、何の前触れもなく……。
そして……状況も理解できず、呆ける俺の目の前で息も絶え絶えに倒れていたのが……。
「ハヤト、ハムとベーコン買って来たよ。ついでにワインも手に入れてきたから、今夜は豪勢にいこうよ」
「あ、ハイハイ。じゃあ今日はステーキにでもしますか」
「いいね~。カタナちゃん、パン切ってちょうだい」
「らじゃ~」
初対面のあの時、まるでこの世の全てを呪うかのような目付きで睨んでいたリンレイさんは優しい眼差しでカタナちゃんと会話していた。
あの時とはもう違う……けど、まだ呼び捨てで言うのは抵抗が……。
*
薄暗い山の中。
目の前の枯葉の上に倒れている女性は、長い銀髪を後ろで纏めた、かざりっ気の無い簡素な動きやすい服を来た美女だった。
ただ遠目でも分かるくらいに呼吸を荒くしていて、全身のいたる所に傷を負っていた。
「だ、大丈夫ですか!?」
俺は慌てて彼女に駆け寄ろうとしたのだが、突然何も無いのに、何もしていないのに足が止まってしまった。
いや、すくんだ。
「ち、か……寄るな」
俺が足が動かなくなった事に戸惑っていると、いつの間にか女性は辛そうに体を起こしながら俺を睨んでいた。
息も絶え絶え、ふら付く体は明らかに重病人のそれだと言うのに……それでも敵意と不快感、警戒心を湛え、この世の全てを憎むかのような形相はその整った顔立ちも相まって物凄い恐怖心を煽り立ててくる。
“殺気” マンガとかでは良く聞く言葉が脳裏を過ぎる。
俺はそんな一コマを目にするたびに『そんなバカな』と半笑いで言っていた方だったのに、まさか『手も出されず気配のみで身が竦む』事があるとは思いもしなかった。
しかし俺を警戒したまま何とか立ち上がった彼女だったが、バランスを崩したようで倒れこみそうになった。
「ちょ、ちょっと! 大丈夫ですか!?」
その瞬間に竦んでいた足が呪縛から解けたように動いて、咄嗟に倒れる彼女の体を支える事ができた。
しかし、受け止めた彼女の体の感触にギョッとしてしまった。
それは彼女の服が、より正確には服の脇腹の辺りが洗濯直後のように湿っている感触がしたからだ。
大問題なのはその濡れている原因が真っ赤だという事。
「血……がこんなに!?」
「さ、わるな……」
咄嗟に彼女は俺を振り払おうとしたが、俺は構わず血の滲む服をたくし上げて脇腹に走る一本の切り傷に驚愕した。
長く、そして決して浅くは無い傷口からは今もドクドク出血が続いていて、このままでは危険なのは素人だって分かる。
俺はカバンの中からタオルを引っ張り出して傷口を力強く圧迫する。幸い内臓までは至っていないようだけどこのままでは出血多量で大変な事になってしまう。
「ぐぎ!?」
「我慢して下さい! とにかくできる限り出血を抑えて……今救急車を!」
傷口を圧迫されて彼女の表情が苦痛に歪み、白かったタオルが真っ赤に染まる。
このままじゃマズイと思いつつ、俺は片手で携帯を操作した。
携帯も血液のせいで汚れるけど構っているヒマは無い。
だけど携帯画面が示した情報は無情な物だった。
「くそったれ……圏外かよ!!」
そうなると電波の立つ所を捜すか、それともこの人を人気のある場所まで連れて行くかしか思い付かない。
クソ、いずれにしても出血を何とかしない事にはどうしようもない。
手持ちの荷物に包帯なんて都合の良い物がある訳も無く……伸縮性に優れた布となると思い付くのは一つしかない。
俺は今着てる肌着、Tシャツを脱いで縫い目に沿って引き裂いて赤く染まったタオルごと彼女の胴を力一杯締め付けた。
これで少しはマシになればいいけど……。
「な、何をしているんだ……お前……こんな上質な服で?」
応急処置をする俺に何故か彼女は信じられないとばかりの表情で言った。
上質なって……近所のシ○ムラの三枚セットだった奴だけど。
「何って、取り合えず出血だけでも止めないと大変でしょうが」
何とか治療できる所まで行かないと本当に命に関わる。
それこそ病院に搬送するのがベストだろうに……なんだって肝心な時に圏外なんだよ。
しかし俺がそう言うと彼女は一層顔を歪めた。
「バカ、そうじゃない。見ず知らずの行き倒れ相手に……何をしているって聞いている」
……は? 何を言っているんだかこの重傷患者は。
「目の前で瀕死の人がいたら助けるのに理由はいらないでしょう?」
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