『霧笛公園』

やましん(テンパー)

  『霧笛公園』

 『ドーム・シティ』の大学に通ってはいたものの、ぼくはその厳しい『掟』について行けませんでした。

 ここを乗り越えて、『良き市民』になれれば、将来の地位は約束されるのですが、どうやらぼくは『軟弱市民』に落ち込みそうでした。

 普通こうした場合は、救済措置として『矯正収容所』に入って根性を叩き直す措置を受けて、社会復帰するのですが、そうすれば、やがて頑健な兵士にはなれますし、お給料も一般官僚よりもむしろ高いし、一生の生活は保証されます。

 でも、感情とか情緒とかいうものは、まったく消失してしまい、高級官僚への道はなくなります。

 まあ、早く言えば、生きるロボットみたいになってしまいます。

 しかし、これも社会的には、十分認知されている生き方だし、大部分の『普通人』を支配する存在であることには変わりありません。

 大体、戦争する相手も、もういなくなっていますし。


 でも、ぼくは、それもなんだか嫌でした。


 父は高級官僚で、お医者様と話を付けて、ぼくは一年間『特別遊学期間』という待遇となり、ドームからは出て、山の奥にある、わがご先祖様の所有していた、おんぼろな一軒家を住処として、悠々自適に暮らすことになりました。

 この春になったら、身の振り方を決めなければなりません。

 自主的にがんばるか、改造してもらうか。


 家から空中自動車で5分ほど行った大きな丘の上には、『キリ・フエ公園』という広場がありました。

 昔からそう言われるのですが、「フエ」というのが何なのかは、はっきりしていませんでした。

 そこには、大昔の子どもが遊んだのだと言う『遊具』がまだ残っていましたし、比較的新しい『ベンチ』もいくつか置かれていました。


 ぼくは日課として、夕方になると、ここに来て広い公園内を2時間くらいは散歩していました。

 

 その日は、深い霧が出ていました。

 ちょうど1月から2月に移り変わる時期で、霧が出ることも多く、強い風が吹くと、木立の間を「ピュー・ぴゅー」と、鳴りながら通ってゆくのです。


 しかし、その風の音とは違う、不思議な音色が、向こうから聞こえてきました。

「なんだろう、これは?」


 ぼくは、何か恐ろしいものを聞いたのだと直感しました。

「これは、『音楽』とかいうものか・・・大変だ。」

 逃げなければ、と思いましたが、しかし好奇心の強い、相当な『変人』のぼくは、興味の方が先に立ってしまいました。


 その音の発生源を探して歩いて行くと、ほどなく、それを見つけたのです。


 ひとりの老人が、長いピカピカの金属製らしき棒を横向きに口にあてて、何かをしていました。

 そこから、音が出ているのです。


 『音楽』のことは、歴史学の講義で聞いていましたから、7000年くらい前まで、人類がたしなんでいた『悪魔的な』慣習であることは知っていました。


 それは、多くの人類を堕落させ、結託させ、『聖なる政府』に歯向かわせました。

 そこで、偉大な聖人である、かの『大マトヤ王』が、音楽を禁止にしたのです。

 現在の政府は、その流れを汲んでいました。


 音楽を聴くこと、すること、は、まあ、実際には不可能でしたが、固く禁止されていたのです。

 それを、もしかしたら、ぼくは聞いてしまったわけです。


 すぐに逃げ出さなかった場合は、『矯正収容所』より格上の『矯正改造所』に行くことになります。

 そうすれば、より良い『改造人間』にもなれるわけです。


 ところが、ぼくはどうしたわけか動けませんでした。

 老人のいた場所は、ちょっと、こんもりと盛り上がっていて、『内閣大長官』の演説台みたいな感じになっていました。


 その数メートル向かいには、ベンチがありました。


 ぼくは、いけないこととは知りながら、そこに座って、『それ』を、ずっと聞いてしまったのです。


 この7000年間以上、人類が聞かなかったものであることは、間違いありません。


 これこそが、人類の『狂気』を生むのだと言われて来ていた『もの』です。


 しかし、実際に聞いてみれば、不思議な事に、別に狂気に襲われることはなくて、むしろ良い感じだったのです。


 しかし、それでもぼくは、自己嫌悪感に襲われました。


 とはいえ、それはたいして長い時間では無く、その老人は、やがてその金属製の棒を口から下ろしました。

 すると『音楽』も止まったのです。


 彼は、無言で『礼』をすると、そのまま、霧の中に消えて行ってしまいました。


 **********   **********


 あれは、いったい、なんだったのでしょうか?


 ぼくは、しかし習慣になっていた散歩は、止めたくなかったのです。

 『音楽』という悪魔の所業に、実際興味が湧いたなんて、絶対に言えませんけれど。


 それから五日間、ぼくは相変わらずそこに通い、その老人は毎日出現しました。

 ぼくのためだったのかもしれませんが、『音楽』の内容は、明らかに毎日違っている事に、ぼくは気が付きました。音の組み合わせとか、長さとかが違っていたのですから。


 そうして、あの最後になった日でした。


 これまでとは違った、とっても悲しい、しかしなぜか『奥の深い』音のつながりだったのです。

 ぼくは、何だか5日前とは、少し趣旨の異なる感想を持ちました。

 恐ろしい事に、『音楽』というものに、ちょっとだけ慣れて来ていたのです。


「いやあ、悪くない。しかし、これは洗脳されたのかな。」

 それは、恐怖と興味の混ぜ合わさった、ちょっと異様な感じだったのです。

 

 老人は同じように頭を下げ、そうして話し始めました。


「いまのは、グルック作曲の『精霊の踊り』でありました。もともとは『歌劇』の中の『バレエ音楽』でありました。いやあ、毎日聞いてくださってありがとう。1000年ぶりなので、緊張しました。今日が最終日です。実は、地獄の女王様が、あなたはよく責め苦に対して努力していると評価してくれて、1000年おきに、ここで演奏することを許してくれているのです。でも、これまで、聞いてくれた方はいなくて、あなたが初めてです。いやあ、ありがとう。1000年後、またやります。他の曲も練習してきますから、ぜひよろしく!」


 老人は、もう一回深々と頭を下げ、そのまま、深い霧の中に消えて行きました。


「おわ、これは、もしかして『幽霊』とかいうものだったのか?」

 ぼくは、ちょっと恐ろしさを感じましたが、それよりも、何か、もっと新しい興味がわいてきたのです。


 ぼくは、社会に復帰しようと決心しました。


 そうして、力を、もし持てたら、『音楽』というものを調べてみようと、思い立ったのです。


 まあ、1000年後に、またここに来られるなんて、思わなかったけれども。


 霧が、また渦を巻きながら、どわんと通り過ぎて行きました。

















 

























  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

 『霧笛公園』 やましん(テンパー) @yamashin-2

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る