アルゴスの献身 2
ついにライヒシュタット公が力尽きたのは、先月(一八三二年七月)二十二日。暑い夏の日の、早朝のことだった。
皇帝夫妻は、リンツでの会議に出席していた。祖父であられる皇帝に、ライヒシュタット公の死を知らせるのは、モルの役目だった。彼は、一日中馬を走らせて、リンツの皇帝の元へ、報告に行った。
「悪い知らせなのだな」
モルの姿を見ると、皇帝は言った。
「ウィーンに帰ったら、あの子に会いたいと望んでいた。彼に望みがないことはわかっていた。しかしもう一度、生きている彼に会いたかった」
「非常な苦しみであったにも関わらず、プリンスにおかれましては、最後の数週間は、純粋な、彼本来のお姿であられました」
モルは奏上した。自分の手を握り、感謝の気持ちを伝えてきた、プリンス。子どものような、その、物言い。
涙が、皇帝の老いた頬を、静かに伝った。
「死は、あの子にとって、希望であり、祝福でさえあった」
この不思議な言葉を、モルは聞き流した。
死の間際の苦しみを、間近で見てきたからだ。あの苦しみから逃れることができるのなら、確かに死は、救済だ。
静かに、皇帝は、涙を拭った。
「教えて欲しい、モル男爵。あの子は、キリスト教徒として死んだのだろうか?」
「最後の日々におかれては、プリンスは、とても柔らかくなられました。彼本来の、穏やかで優しい性格が出てきたものと思われます。ご臨終には、お母上のマリー・ルイーゼ様と、叔父君のフランツ・カール大公が、立ち会われました」
深い溜め息を、皇帝は吐いた。
「あの子の死は、あの子自身と、わが王朝……両方にとって、本当に不幸だったのか。それを、考えずにはいられない」
モルは、混乱した。プリンスの死は、プリンスにとって、不幸なことだ。ハプスブルク家にとっても、大変な損失だ。それなのに皇帝の口ぶりは、まるで、孫の死は、彼にとっても、宮廷にとっても、よいことだった、とでも言いたげだ。さらに、皇帝は付け加えた。
「あの子の不幸な性格は、その中に、悪の存在が内在することを予感させた」
不可解な会見だった。
葬儀が終わった今も、モルは考え続けている。あの年齢にありがちな、エゴイズムと強情さを、プリンスもまた、持ち合わせていた。しかしそれは、青年期の一過性の傾向であって、「悪」とまで言い切れるものではない。
……ナポレオンの息子だったから?
皇帝は最後まで、その事実を、許せなかったのだろうか。最愛の娘を、ナポレオンに嫁がせたことを。死してなお、そしてプリンスが死ぬまで、ナポレオンは、わが子の人生を支配し続けたというのか。
なるほど、ナポレオンというのは、悪鬼だったのだと、モルは、身に染みて理解した。
ハプスブルク家の皇族は、その死に際し、分割埋葬を行う風習があった。遺体、心臓、内臓の3つに分けて、それぞれ別に埋葬するのだ。
ハルトマンとモルら従者は、プリンスの内臓を、シュテファン大聖堂に安置する任務を担った。貴族の身分を持たないスタンは、馬車に同乗することが許されなかった。
……プリンスの内臓と対面するなんて。
司祭の説話を聞きながら、モルは、深い感慨に浸った。それは、悲しみではなかった。プリンスの死に涙するには、付き人達は、あまりに雑事が多すぎた。
ライヒシュタット公の死から、半月が経っていた。もはや、シェーンブルン宮殿に、モルたちの居場所はない。
今、ハルトマン、モル、スタンら、軍の3人の付き人は、ウィーンで、待機の身だ。
ハルトマンは、ボヘミア旅団の司令官に職が決まった。ライナー大公(皇帝の弟)の将軍を蹴っての就任だ。儀礼官ではなく、実戦重視の、軍人らしい、尊敬すべき選択だった。
スタンは、皇妃の式部官に。
そして、モルは、皇太子フェルディナンド大公(皇帝の長男)の式部官を打診された。
……ほんの少し前だったら、自分は、大喜びしただろう。
ハルトマンから話を持ち掛けられた時、モルは思った。だが、彼は、どうせなら、フェルディナンド大公ではなく、フランツ・カール大公(皇帝の次男)の式部官になりたかった。
宮廷に出入りするようになって、体の弱いフェルディナンド大公の在位は、短命で終わりそうだと思ったのも、その一因だ。その上、彼には、子どもが見込めない。皇位は、弟のフランツ・カール大公の子が襲うことになる。
だが、モルが、フランツ・カール大公に仕官したかったのは、そのような打算的な理由だけではなかった。
……彼は、ライヒシュタット公を、最後まで、親身に見舞ってくれた。
その死に臨み、身も世もあらぬほど大泣きしたのは、この、九歳年上の叔父君だった。フランツ・カール大公は、ゾフィー大公妃のご夫君でもある。ゾフィー大公妃もまた、プリンスに優しく、思いやり深く接してくれた。
フランツ・カール大公の式部官になりたいというモルの希望を、しかし、ハルトマンは叱りつけた。そして、次期皇帝であられるフェルディナンド大公への仕官を、強く勧めた。
気のいい
ちょうどその頃、モルは、メッテルニヒの食事会に呼ばれた。
これは、滅多にないことだった。この国の宰相が、なぜ、自分のような一介の軍人を、食事会に招待するのか。
宰相は、モルを、自分のすぐ左隣に座らせた。そして、軍務とは全く関係のない話を始めた。
モルには、メッテルニヒの真意がわからなかった。ただ、彼がじっと、自分の様子を観察していることだけは、感じ取れた。
せっかくのご馳走の、味もろくにわからぬまま、食事会は終わった。
ハルトマンから、フェルディナンド皇太子への仕官が見送られたと通達されたのは、それからすぐのことだった。
……「モルの体調では、式部官のような激務は無理でしょう」
宰相がそう、皇帝に進言したという。
……具合が悪いのを、見抜かれた?
それで宰相は、あのように、自分をじろじろ見ていたのだと、モルは悟った。恐らく、プリンスの付き人だった誰かの口から、モルの不調が、宰相に伝えられていたのだろう。宰相は、モルの体調を確認する為に、食事会に招いたのだ。
結核は、うつる病だという認識は、当時のウィーンにはまだ、なかった。しかし、イタリアや南フランスなど、ヨーロッパの南の国々では、経験則として、存在した。
モルの母親は、イタリア出身だ。それで、モル自身にも、そうした認識が、ないわけではなかった。しかし、
……あのプリンスが、自分に害をなすわけがない。
ライヒシュタット公から結核をうつされたとは、モルは、毫も考えなかった。もし、うつされたとしても、病は穏やかに潜伏し、命を奪われることはないだろう。
モルは、確信していた。
しかし、メッテルニヒは、そうは考えなかったようだ。
外交官出身の宰相は、結核は感染するという、はっきりとした知見を持っていた。彼の家族も多く、この病で亡くなっている。
宰相は、軍で、結核が流行することを恐れた。
彼は皇帝に進言し、皇帝は、モルに、空気のきれいなチロルで、休暇を取ることを命じた。
……転地療法。
結核には、これしか治療法がないと言われている。
在りし日のライヒシュタット公は、暖かいイタリアへの転地を望んでいた。半島の国々には、彼の友人たちが、派遣されている。北イタリアには、母君の領国もある。
しかしメッテルニヒは、頑として、プリンスの転地を許そうとしなかった。いや、許したことは許したのだが、それは、彼の死の、一ヶ月ちょっと前のことだった。もはやプリンスは、自分の力で歩くことさえ、できなくなっていた。
……転地療法。
プリンスがあんなに望んだのに叶わなかった転地が、付き人の自分には、こんなにあっさりと与えらえた。
そのことに、皮肉を感じた。
……休暇を取れるのは嬉しい。
金の心配もいらなかった。プリンスの看護の報酬として、十分な一時金も貰った。二年は、贅沢に暮らせる。つましく暮らせば、三年間は、働かずに済む。(※)
ただ、形見分けでもらったプリンスの馬を連れていけないのだけが、心残りだった。馬は、ウィーンの友人に預けることになった。
……あの荒くれ馬と、プリンスの思い出話ができなくなっちまうのは、とても残念だ。
馬の毛並みを入念に梳ってから、別れを告げた。
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※
12章「雲隠れ 3」に簡単に書きましたが、7月20日、ライヒシュタット公が亡くなる2日前、パルマの執政官マレシャルは、モルら付き人に対し、以下の一時金の提示をしています。
ハルトマン 3000グルテン(約1800万円)
モル/スタン 各々2000グルテン(約1200万円)
このうち、ハルトマンはそのままでしたが、モルとスタンは、メッテルニヒにより、半分の1000グルテン(約600万円)に減額されてしまいました。
退役軍人が、900グルテンを要求した例(実際、支払われたのは、100グルテン:「1848ウィーン革命」)をみますと、減額されたとはいえ、モルとスタンへの一時金1000グルテンは、やはり破格のものであったといえます。
その上、パルマの爵位や馬など、形見分けの品々ももらっていますし。
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