レグロン 2
「ああ! 私のゆりかごと死の床は、なんと近くにあったのか!」
憂愁を帯びた、悲し気な声が響く。
白い軍服姿のレグロンが、まばゆいライトに包まれる。
「そして私の人生は、この狭い間に押し込められていたのだ!」
*
大勢の人が、劇場から吐き出されてくる。
中に、金髪碧眼の背の高い青年と、黒目黒髪の、東洋の血の混じった従者がいた。
「いやあ。泣けましたね。素晴らしかった!」
感極まって、黒髪が叫んだ。
金髪の青年が、眉を顰めた。
「お前はずっと、うるさかった。おかげで僕は、芝居に集中できなかった」
「泣いてたんですってば! あまりに感動したもので」
「ディートリヒシュタインの隠し子が、
さらりと、金髪の青年が言う。
黒髪は、一度聞き流し、つんのめって立ち止まった。
「えっ!? ええっ!? えええええーーーーーーっ!」
驚愕の色が浮かんでいる。言葉が続かず、あえいだ。
「あれ? 知らなかったか? 音楽家のジギスモント・タールベルクだよ。芝居の最初のシーンで、ピアノを弾いてたろ?」
「ディ、ディートリヒシュタインって、あの家庭教師の……。あの先生に、隠し子ですってーーーーーっ!?」
「兄の方だよ。馬鹿だな」
「ああ!」
がっくりと肩が落ちた。
「驚かさないでくださいよ」
金髪は、肩を竦めた。
「だが、ディートリヒシュタイン先生も、
「……さようで」
二人そろって、また、歩き出す。
「殿下。どうされました?」
黒髪の従者が、怪訝そうな目を向けた。
金髪が、ため息をついたのだ。
「ロスタンの戯曲は、素晴らしい。悲劇だが、ナポレオンへの敬意を忘れていない。だが……」
「だが?」
「どうしてレグロンは、いつも女なんだ?」
「はい?」
「どうして、レグロンを演じるのは、いつも、女優なんだよ!」
「ああ、それ!」
黒髪は、胸の前で両手のひらを組み合わせた。
うっとりと宙を見据え、熱に浮かされたように、口走る。
「あの魅力は、女性でないと表現できないからですよ。サラ・ベルナールでしょ、今夜の、イダ・ローラン。当代3美女(※2)のうち、二人までが、レグロン役を務めている。誇っていいことですよ、これは」
「女にしか表現できない魅力? お前、僕を、侮辱しているのか?」
「違いますってば! 男でさえも、惑わしかねないというか……」
「……」
「いえいえいえ、誤解ですって! だって、レグロン、大モテだったじゃないですか。最後に女性たちが、次々と、愛を告白して……」
黒髪は、ひどくうらやましそうだった。
「フランスのテレサでしょ? ナポレオーネ伯爵夫人……あ、俺だったら、彼女だけは、遠慮しときますけど……でしょ? それに、ゾフィー大公妃。みんな集まってきて、口々に、愛してるって囁いた!」
「レグロンは、死にかけてたがな」
「詩的自由ってやつです! 死にながら、あそこまでぺらぺらしゃべる人はいませんって」
「確かにそうだが……」
「ただ、彼女らに続いて、
「なぜ?」
「だってあなたは、筋金入りのマザコンですもん。妙齢の女性たちを差し置いて、お母さんを選んじゃったら、どうしようかと……」
「アシュラ。お前、一度死んでてよかったな」
「はい?」
「もう一度、殺されることはないものな」
「はあ」
黒髪は、きょとんとした。
頭を振り、金髪の青年が嘆いた。
「ああ、それにしても、人を動かすのはめんどうだな。直接、自分でいろいろやってみたいものだ」
「そりゃ無理ですよ。だってあなたは、魔王ですもん」
「そうだ、アシュラ。お前、僕の髪を持っているだろ?」
「だめです」
黒髪は即座に言い返した。
用心深く後ずさる。
「あれは、お渡ししません」
金髪は、肩を竦めた。
「お前が乱暴に引き抜いたから、あの中には、毛根がついたのもあったよな」
「……ごめんなさい。時間がなかったし、あなたは痛くないと思ったから……。それに、どうしても欲しかったんです」
「大事に持っているがいい。そのうち、役に立つ」
「え?」
「だが、もう、女の腹から産まれるのはまっぴらだ。実際、1811年(※ローマ王誕生)のあの時は、死にそうになったし」
「そうですよ。あなたに母親なんて、必要ありません」
「かといって、試験管から生まれるのもなあ」
「えっ! ホムンクルス(※ゲーテ『ファウスト』第二部に出てくる人造人間)になるんですか?!」
「まさか。誰が、あんな生意気なクソガキ……」
「殿下。言葉が汚くなりましたね」
「お前らの影響だな」
「褒めても無駄です。髪の束は、あげません。あれは、俺のものなんですからね!」
「いいさ。構わないから、もうあと、百年ほど、お前が、保管しとけ」
金髪の青年が命じた時だった。
「殿下! アシュラ!」
空の彼方から、声が降ってきた。
甲高い、子どもの声だ。
「早く、次! 次のいたずらに行こうよ!」
「エミール! ガブリエル!」
上を向いて、黒髪が叫び返す。
別の声が落ちてきた。
「アシュラ! お前は、人間のガキどもに、してやられたわけだがな!」
「相変わらず、マヌケなやつだな!」
「うるさい、モーリツ! お前にだけは言われたくないわ、グスタフ!」
賑やかな舌戦が始まった。
先を歩いていた金髪の青年が立ち止まった。
「……それまでの間、そうだな。みんなで遊ぼうか」
空の彼方で、歓声が沸き起こった。
彼は、子どもの姿になっていた。スウィート・フランツェンと呼ばれていた、あの頃の姿に。
「みんなでいっぱい悪さをして、人間どもを楽しませてやろう!」
使い魔を従え、金髪碧眼の少年は、空へと翔け上がっていく……。
*
この「第一回パン・ヨーロッパ大会」で、リヒャルト・クーデンホーフ・カレルギーは、パン・ヨーロッパ連盟の初代会長に選出された。
彼の死後、会長の座は、オットー・フォン・ハプスブルク(※3)に引き継がれた。オットーは、F・カール大公とゾフィー大公妃の、
パン・ヨーロッパの理念は、やがて、EC(欧州諸共同体)、さらに現在のEU(欧州連合)設立へと、受け継がれた。
少なくとも経済の分野において、ヨーロッパは、一応の統一を成し遂げたことになる。
そして、今……。
fin.
・~・~・~・~・~・~・~・
※1 ジギスモント・タールベルク
1812年生。フレデリック・ショパン(1810年生)、フランツ・リスト(1811年生)と並んで、19世紀の優れた音楽家、ピアノ奏者の一人です。
ターンベルクの幼少時代のことは、よくわかっていません。どうやら、フランツ・ヨーゼフ・フォン・ディートリヒシュタイン侯爵……このお話には、「兄の侯爵」として、ディ先生の相談役になったり、アレネンバーグ城で密談に参加したりしてます……の、隠し子らしいです。
中には、弟の伯爵(ライヒシュタット公の家庭教師)の子だろうという見方もあったのですが、私は、違うと思います。伯爵の謹厳な性格も反論の理由ですが、だって、まだ奥さんが生きてるのに、堂々と、隠し子を食事会に呼びます? フツー。
ターンベルクとリストは、ライバルでした。
お話に出てきた食事会は、1838年4月、ウィーンでの出来事です。
なお、カストルとポルックスは、共に、ギリシア神話の英雄です。
才能ある若い音楽家二人(しかもそのうちの一人は、多分、自分の甥です)と同席した、ディートリヒシュタイン先生。ギリシアの英雄達にたとえたりして、さぞや、得意満面だったでしょうね。
ライヒシュタット公が生きていれば同じ年齢のリストと、ひとつ年下のタールベルク。かつての家庭教師は、教え子のことを思い出したりしたのでしょうか……。
翌日、二人の音楽家は、メッテルニヒの食事会にも招かれています。
※2 3美女
フランスのサラ・ベルナール
オーストリアのイダ・ローラン
イタリアのエレノーラ・ディゼ です。
サラ・ベルナールは、1900年、エドモンド・ロスタン作の戯曲「L’aiglon」初演の、主役を務めました。
※3
オットー・フォン・ハンブルク
プロイセンの台頭、第一次世界大戦の敗北、帝国内の諸民族の独立宣言に加え、ハプスブルク家自身に続いた不幸により、650年間続いたハプスブルク帝国は、1918年、崩壊します。
最後の皇帝カール1世の息子が、オットー・フォン・ハプスブルク公、パン・ヨーロッパ連盟の2代目会長(そして、初代名誉会長)です。
なお、その息子のカールは今も健在で、父と同じく、パン・ヨーロッパ主義者だということです。
【蛇足です】
※リヒャルト・クーデンホーフ=カレルギーについて
エピローグのキーパーソン、リヒャルト・クーデンホーフ=カレルギーは、幼名を、青山栄次郎といいます。母みつは、日本人で、東京・牛込の骨董商の娘です。父ハインリヒは、オーストリア=ハンガリー帝国の外交官でした。
ハインリヒ大使が日本に赴任中、みつと大変ロマンティックな出会いをし、二人は結婚します。この結婚は、ハインリヒの母国オーストリアの皇帝、フランツ・ヨーゼフ(F・カールとゾフィーの長男)の承認も得た、正式なものです。
リヒャルトが2歳の時、一家でオーストリアに移住し、皇帝に謁見の後、ボヘミアに引っ込みます。リヒャルトら兄弟は、ここで育ちます。
ライヒシュタット公爵領だったザークピ(現)は、同じボヘミアの、もう少し北東寄りです。
リヒャルト・クーデンホーフ=カレルギーは、パン・ヨーロッパ思想の提唱者です。パン・ヨーロッパとは、ざっくりいうと、ヨーロッパ全体を一つにまとめよう、という考えのことです。
第一回パン・ヨーロッパ会議で、ロスタンの戯曲「レグロン」が上演されたのは、本当の話です。(「レグロン」は、鷲の子を意味し、ナポレオンの息子……オーストリアに囚われのライヒシュタット公……を指します)
この時、主役
何か、深い繋がりを感じました。リヒャルトを通して、日本と繋がりがあったのも嬉しく、このエピソードでエピローグを飾りました。
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