レグロン 2


 「ああ! 私のゆりかごと死の床は、なんと近くにあったのか!」


 憂愁を帯びた、悲し気な声が響く。

 白い軍服姿のレグロンが、まばゆいライトに包まれる。


「そして私の人生は、この狭い間に押し込められていたのだ!」





 大勢の人が、劇場から吐き出されてくる。

 中に、金髪碧眼の背の高い青年と、黒目黒髪の、東洋の血の混じった従者がいた。


「いやあ。泣けましたね。素晴らしかった!」

 感極まって、黒髪が叫んだ。

 金髪の青年が、眉を顰めた。

「お前はずっと、うるさかった。おかげで僕は、芝居に集中できなかった」

「泣いてたんですってば! あまりに感動したもので」


「ディートリヒシュタインの隠し子が、キャスト登場人物で出てたな」

 さらりと、金髪の青年が言う。

 黒髪は、一度聞き流し、つんのめって立ち止まった。

「えっ!? ええっ!? えええええーーーーーーっ!」

 驚愕の色が浮かんでいる。言葉が続かず、あえいだ。


「あれ? 知らなかったか? 音楽家のジギスモント・タールベルクだよ。芝居の最初のシーンで、ピアノを弾いてたろ?」

「ディ、ディートリヒシュタインって、あの家庭教師の……。あの先生に、隠し子ですってーーーーーっ!?」

「兄の方だよ。馬鹿だな」

「ああ!」


がっくりと肩が落ちた。

「驚かさないでくださいよ」

金髪は、肩を竦めた。

「だが、ディートリヒシュタイン先生も、ジギスモント・ターンベルクに会ってるぞ。ピアニストのリストと一緒の食事会で。若い音楽家二人と同席して、あの先生、『カストルとポルックスの2人と一緒だ』って言って、はしゃいでた」(※1)

「……さようで」



 二人そろって、また、歩き出す。

「殿下。どうされました?」

 黒髪の従者が、怪訝そうな目を向けた。


 金髪が、ため息をついたのだ。


「ロスタンの戯曲は、素晴らしい。悲劇だが、ナポレオンへの敬意を忘れていない。だが……」

「だが?」

「どうしてレグロンは、いつも女なんだ?」

「はい?」

「どうして、レグロンを演じるのは、いつも、女優なんだよ!」

「ああ、それ!」


 黒髪は、胸の前で両手のひらを組み合わせた。

 うっとりと宙を見据え、熱に浮かされたように、口走る。


「あの魅力は、女性でないと表現できないからですよ。サラ・ベルナールでしょ、今夜の、イダ・ローラン。当代3美女(※2)のうち、二人までが、レグロン役を務めている。誇っていいことですよ、これは」

「女にしか表現できない魅力? お前、僕を、侮辱しているのか?」

「違いますってば! 男でさえも、惑わしかねないというか……」

「……」


「いえいえいえ、誤解ですって! だって、レグロン、大モテだったじゃないですか。最後に女性たちが、次々と、愛を告白して……」

黒髪は、ひどくうらやましそうだった。

「フランスのテレサでしょ? ナポレオーネ伯爵夫人……あ、俺だったら、彼女だけは、遠慮しときますけど……でしょ? それに、ゾフィー大公妃。みんな集まってきて、口々に、愛してるって囁いた!」

「レグロンは、死にかけてたがな」

「詩的自由ってやつです! 死にながら、あそこまでぺらぺらしゃべる人はいませんって」

「確かにそうだが……」


「ただ、彼女らに続いて、お母さんマリー・ルイーゼが出てきた時は、どうなることかと、本当に、はらはらしましたよ」

「なぜ?」

「だってあなたは、筋金入りのマザコンですもん。妙齢の女性たちを差し置いて、お母さんを選んじゃったら、どうしようかと……」

「アシュラ。お前、一度死んでてよかったな」

「はい?」

「もう一度、殺されることはないものな」

「はあ」


 黒髪は、きょとんとした。

 頭を振り、金髪の青年が嘆いた。


「ああ、それにしても、人を動かすのはめんどうだな。直接、自分でいろいろやってみたいものだ」

「そりゃ無理ですよ。だってあなたは、魔王ですもん」

「そうだ、アシュラ。お前、僕の髪を持っているだろ?」


「だめです」

 黒髪は即座に言い返した。

 用心深く後ずさる。

「あれは、お渡ししません」


 金髪は、肩を竦めた。


「お前が乱暴に引き抜いたから、あの中には、毛根がついたのもあったよな」

「……ごめんなさい。時間がなかったし、あなたは痛くないと思ったから……。それに、どうしても欲しかったんです」

「大事に持っているがいい。そのうち、役に立つ」

「え?」


「だが、もう、女の腹から産まれるのはまっぴらだ。実際、1811年(※ローマ王誕生)のあの時は、死にそうになったし」

「そうですよ。あなたに母親なんて、必要ありません」

「かといって、試験管から生まれるのもなあ」

「えっ! ホムンクルス(※ゲーテ『ファウスト』第二部に出てくる人造人間)になるんですか?!」

「まさか。誰が、あんな生意気なクソガキ……」

「殿下。言葉が汚くなりましたね」

「お前らの影響だな」

「褒めても無駄です。髪の束は、あげません。あれは、俺のものなんですからね!」

「いいさ。構わないから、もうあと、百年ほど、お前が、保管しとけ」


 金髪の青年が命じた時だった。


「殿下! アシュラ!」

 空の彼方から、声が降ってきた。

 甲高い、子どもの声だ。

「早く、次! 次のいたずらに行こうよ!」


「エミール! ガブリエル!」

上を向いて、黒髪が叫び返す。


 別の声が落ちてきた。

「アシュラ! お前は、人間のガキどもに、してやられたわけだがな!」

「相変わらず、マヌケなやつだな!」


「うるさい、モーリツ! お前にだけは言われたくないわ、グスタフ!」


 賑やかな舌戦が始まった。

 先を歩いていた金髪の青年が立ち止まった。


 「……それまでの間、そうだな。みんなで遊ぼうか」


 空の彼方で、歓声が沸き起こった。


 彼は、子どもの姿になっていた。スウィート・フランツェンと呼ばれていた、あの頃の姿に。


「みんなでいっぱい悪さをして、人間どもを楽しませてやろう!」


 使い魔を従え、金髪碧眼の少年は、空へと翔け上がっていく……。





 この「第一回パン・ヨーロッパ大会」で、リヒャルト・クーデンホーフ・カレルギーは、パン・ヨーロッパ連盟の初代会長に選出された。


 彼の死後、会長の座は、オットー・フォン・ハプスブルク(※3)に引き継がれた。オットーは、F・カール大公とゾフィー大公妃の、玄孫やしゃごである。


 パン・ヨーロッパの理念は、やがて、EC(欧州諸共同体)、さらに現在のEU(欧州連合)設立へと、受け継がれた。


 少なくとも経済の分野において、ヨーロッパは、一応の統一を成し遂げたことになる。


 そして、今……。








fin.








・~・~・~・~・~・~・~・


※1 ジギスモント・タールベルク


1812年生。フレデリック・ショパン(1810年生)、フランツ・リスト(1811年生)と並んで、19世紀の優れた音楽家、ピアノ奏者の一人です。


ターンベルクの幼少時代のことは、よくわかっていません。どうやら、フランツ・ヨーゼフ・フォン・ディートリヒシュタイン侯爵……このお話には、「兄の侯爵」として、ディ先生の相談役になったり、アレネンバーグ城で密談に参加したりしてます……の、隠し子らしいです。

中には、弟の伯爵(ライヒシュタット公の家庭教師)の子だろうという見方もあったのですが、私は、違うと思います。伯爵の謹厳な性格も反論の理由ですが、だって、まだ奥さんが生きてるのに、堂々と、隠し子を食事会に呼びます? フツー。



ターンベルクとリストは、ライバルでした。

お話に出てきた食事会は、1838年4月、ウィーンでの出来事です。 


なお、カストルとポルックスは、共に、ギリシア神話の英雄です。


才能ある若い音楽家二人(しかもそのうちの一人は、多分、自分の甥です)と同席した、ディートリヒシュタイン先生。ギリシアの英雄達にたとえたりして、さぞや、得意満面だったでしょうね。


ライヒシュタット公が生きていれば同じ年齢のリストと、ひとつ年下のタールベルク。かつての家庭教師は、教え子のことを思い出したりしたのでしょうか……。


翌日、二人の音楽家は、メッテルニヒの食事会にも招かれています。




※2 3美女

フランスのサラ・ベルナール

オーストリアのイダ・ローラン

イタリアのエレノーラ・ディゼ です。

サラ・ベルナールは、1900年、エドモンド・ロスタン作の戯曲「L’aiglon」初演の、主役を務めました。




※3

オットー・フォン・ハンブルク

プロイセンの台頭、第一次世界大戦の敗北、帝国内の諸民族の独立宣言に加え、ハプスブルク家自身に続いた不幸により、650年間続いたハプスブルク帝国は、1918年、崩壊します。

最後の皇帝カール1世の息子が、オットー・フォン・ハプスブルク公、パン・ヨーロッパ連盟の2代目会長(そして、初代名誉会長)です。

なお、その息子のカールは今も健在で、父と同じく、パン・ヨーロッパ主義者だということです。






【蛇足です】

※リヒャルト・クーデンホーフ=カレルギーについて


エピローグのキーパーソン、リヒャルト・クーデンホーフ=カレルギーは、幼名を、青山栄次郎といいます。母みつは、日本人で、東京・牛込の骨董商の娘です。父ハインリヒは、オーストリア=ハンガリー帝国の外交官でした。


ハインリヒ大使が日本に赴任中、みつと大変ロマンティックな出会いをし、二人は結婚します。この結婚は、ハインリヒの母国オーストリアの皇帝、フランツ・ヨーゼフ(F・カールとゾフィーの長男)の承認も得た、正式なものです。


リヒャルトが2歳の時、一家でオーストリアに移住し、皇帝に謁見の後、ボヘミアに引っ込みます。リヒャルトら兄弟は、ここで育ちます。

ライヒシュタット公爵領だったザークピ(現)は、同じボヘミアの、もう少し北東寄りです。


リヒャルト・クーデンホーフ=カレルギーは、パン・ヨーロッパ思想の提唱者です。パン・ヨーロッパとは、ざっくりいうと、ヨーロッパ全体を一つにまとめよう、という考えのことです。


第一回パン・ヨーロッパ会議で、ロスタンの戯曲「レグロン」が上演されたのは、本当の話です。(「レグロン」は、鷲の子を意味し、ナポレオンの息子……オーストリアに囚われのライヒシュタット公……を指します)

この時、主役レグロンライヒシュタット公を演じたのが、リヒャルトの妻、女優のイダ・ローランだったのも、本当です。


何か、深い繋がりを感じました。リヒャルトを通して、日本と繋がりがあったのも嬉しく、このエピソードでエピローグを飾りました。








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