プリンスのグルーピー 2


 彼女を尊重したいというプリンスの言葉は、プロケシュの中に、言いようのない感情を掻き立てた。あえて言うなら、焦りにも近い、苛立ちだ。


 ……プリンスに直接接触してくるなんて。

 ……しかも、手を握り、その手にキスまでするとは。

 なんとあつかましい女だろうと、プロケシュは思った。

 それなのに、プリンスは、彼女に、共感を感じている。


 その女は、 プリンスのことを、「我が君」と呼んだという。

 ……ひょっとして、プリンスへの、狂信的な求愛者グルーピーかもしれないぞ。

 ……ナポレオン父の名を仄めかせば、プリンスを呼び出せると思ったんだ。


 それはそれで、危険だと思った。


 プリンスはもちろん、この世の中に、そのような狂ったような、一方的な愛があるなんて知らないに違いない。

 汚れのないこの、純真な青年は。

 歪んだ熱情の存在を、あえて教えたくないと、プロケシュは思った。



 「この、ナポレオーネ・カメラータという女性は、ナポレオンの家族の為に、動いているのでしょうか」

まだプリンスは、ナポレオンにこだわっている。


「もし、彼女がナポレオンの親族であったとしても、ですね、」

 狂信的な求愛者よりも、ナポレオンの親族の方がまだましだと、プロケシュは思った。狂った女にさらわれるよりは、フランスへ行った方が、よっぽど安全だ。

「今やナポレオンの兄妹は、何ら、政治的な立場にはありません。つまり、彼らは、一般人です。もし、あなたがフランスへ行きたいとお考えなら……」


 これは、プロケシュにとって、一種の賭けだった。

 プリンスは、フランスへ行きたいのだろうか。

 その時、自分は、どうしたらいいのだろう。

 自分は、オーストリアの軍人だ。

 だが彼は、自分を、頼りにしている……。


 「いいえ」

プリンスは、首を横に降った。

「この手紙は、あまりに根拠のない自信に満ち溢れています。フランスの人は今さら、帝政の復古を望んではいません。ディートリヒシュタイン先生のお兄さんがおっしゃるように、彼らが望んでいるのは、自由と平等です」


 言い過ぎだと、プロケシュは思った。

 7月革命のあの時期に、ナポレオン2世がフランスにいたのなら……民衆の歓呼を浴びて、王座に就いたのは、ルイ・フィリップではない。彼だったはずだ。


 しかし、プロケシュは、フランソワがこの女性に共感しているのが、どうにも、気に食わなかった。それで、彼は、持論を続けた。

「政治的根拠のない一般人……ナポレオンの親族……を信じるのは、愚かしいことです。ましてや、ナポレオンの弟妹のうちの何人かは、過去に、ナポレオンを裏切っています」



 たとえば、弟のリュシアンは、結婚問題で、兄と決別している。

 その下の弟、ルイは、オランダ王となるも、兄の意に逆らい、最終的に、オランダはフランスに併合されている。

 また、妹のカロリーヌは、夫ミュラを焚き付けて、ナポレオンを見捨てさせている。



 フランソワは、ため息をついた。

「もし、彼女が本当に、父上の……僕の……親族だったとしても、いや、親族であるがゆえに、一層、彼女を信じるのは危険だということですね」


 憂いを帯びた横顔が、暖炉の火に、美しく映えて見える。

 プロケシュは、さらに、疑義を呈した。


「もし、彼女が、ナポレオンの親族でなかったとしても、同じことです。こんな場当たり的な手段で、接してくるなんて。たとえ彼女の背後に黒幕がいたとして、そんな胡散臭いリーダーを、あなたは、信用できますか?」


「いいえ」

フランソワは首を横に振った。少し間を置き、おずおずと尋ねる。

「あの。手紙の返事は、どうしましょう」


プロケシュの返事は、容赦ないものだった。

「この手紙は、ひどく挑発的です。いっそ、無礼だと言っていい。彼女の為に、行動を起こすべきではないと考えます」

「ですが、彼女は、僕の名誉を求めています。自分の手紙が悪用されないか、心配しています」

「……」

プロケシュは考え込んだ。



 ……名誉。

 たしかにそれは、大切だ。狂った輩は、どんな言いがかりをつけてくるか、わかったものではない。万が一、プリンスに悪い噂が立ったら、プロケシュとしても、腹立たしいこと、この上ない。



 「返事をなさるなら、あなたの書く手紙が、秘密警察の手に落ちた場合のことを考えて、お書きになるべきでしょう」

「僕の手紙が!? 秘密警察の手に!?」

「ええ。先の2通が届かなかった以上、あなたの手紙だけが、無事に、先方に届けられるとは、考えられない」

「……そうか」

「ですから、うんと、冷厳に書くべきです。相手にも、秘密警察にも、つけ入る隙を与えないようにね!」


 たとえ相手が、ナポレオンとは何の関係もないタガの外れた女であっても、いや、そうであるなら、なおさら。

 プリンスに寄ってくる輩が、一発で怯むほど、峻厳で冷たい手紙を書かせようと、プロケシュは決意した。





 額を寄せて、二人は、文面を練り上げた。



 今朝、私は、あなたからのお手紙を受け取りました。17日付けの手紙です。この手紙を誰が書いたのか、また、日付の割になぜ、こんなに配達が遅れたのかは、私には、わかりません。また、手紙の署名も、私には、判読ができませんでした。ですが、女性の手跡であるようですから、礼儀上、お返事を認めます。


 オーストリアの公爵としても、フランスの王子(あなたの手紙の表現を、お借りすれば、です)としても、あなたのお手紙に返事を書けないのは、ご理解頂かねばなりません。

 しかし、私の名誉の為に、マダム、申し上げます。


 私は、あなたがおっしゃる、先の2通の手紙を受け取っておりません。また、今現在、私がお返事をしたためているこの手紙は、この後、火中に投じます。そして、その内容は、……私が理解できた範囲において、ですが……、私の胸中深く、沈めておくことに致します。


 あなたが示して下さった感傷に深く感動し、感謝しています。ですが、お願いです、マダム。私に対して、このような接触は、もう二度となさらないで下さいますか?


ライヒシュタット公爵

11月25日 ウィーンにて



 礼儀正しいとは、とても言えない手紙だった。

 サインが読めないとか、手紙の内容が理解できないとか。極めつけは、最後のパラグラフである。この部分を読んで、赤面しない女性は、いないだろう。



 しかし、この手紙は、ナポレオーネが寄越した次の手紙と、行き違いになってしまった。

 オベナウスの従者が、再び、彼女からの手紙を運んできたのだ。

 どこへでも、あなたがおっしゃる場所へ行きます、と、彼女からの最新の手紙には記されていた。

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