第499話

 少しの間、決闘による怪我を受けての休養期間を経てから、軽いリハビリと終えて、万全の状態を取り戻した大我。ようやく旅へと出る時が明日に迫り、期待とまだ見ぬ世界へ胸を高鳴らせていた。

 本来ならばもう少し早く出ていたところだが、大我はそれについて気にすることもなく、色々改めて考えたり己の気持ちを考えるいい機会になったと、良い方向に考えた。

 決闘前、後のそれぞれでちょっとずつ重ねていた出発の準備。複数種の薬草から成分を抽出したエリクシールや、大量には持っていけない為必要な分に少し余裕を持てる分を入れた財布、もしもの時の為の食料や水分など、まさに冒険家の装備と言えるようなものもしっかり揃え、いつでも出発できる手筈は整っていた。


「これでよしっと。エルフィ、忘れ物はないよな?」


「それは俺じゃなくてお前が確かめる側だろ。まだ明日まで時間あんだし、また確認でもするか?」


「何回もやったから聞いてるんだっての。何回やっても忘れるときは忘れるんだからさ。第三者の視点あったほうがいいだろ」


 出発前夜、二人の雰囲気はこれまでと変わらない、いつもの日常と同じものだった。

 他愛ないことで盛り上がり、話し合い、エルフィを通して過去のメディアを見たりしながら笑い合ったりする。

 強大な敵との戦いも終わり、真に戻った日常は、さり気なくもかけがえのないものだった。

 それと同時に、いつも通りでありつつも、二人の奥底には隠しきれない感情の奔流があった。


「…………いよいよだな。あの頃は地図なんてさほど興味もなかったけど、今はなんか色づいて見える。不思議なもんだよな」


「そういうもんだよ。新しく興味を持ったら、見えなかったものも見えるようになるもんだ」


 現代の平凡な日常から異世界のような知らない光景に放り込まれ、一時期は戸惑いしかなかった。

 知らないことばかりで、まるで世界の法則すら変わったようで、不安しかなかった。死にかけもした。

 だが今は、相棒、友達、仲間、居場所、色んなものがここにある。大我にとって、今はここが現世界。

 そこからまた、新たに自分の知らない新世界へと一歩踏み出そうとしている。まるで遠足を待つ子供のように、大我とエルフィは今か今かと明日を待ちながら、もうそろそろ寝ようと考えていた。

 と、その時、部屋のドアを誰かがノックしてきた。音の強さや感触から、おそらくはティアだろうと大我は予想する。


「大我、今大丈夫?」


「ああ、大丈夫」


 扉の向こうから、予想した通りの声が聞こえてくる。いつもの日常と変わらぬ気持ちで応えた後、ゆっくりと扉が開く。


「ようやく明日だね。今は……どんな気分?」


 この時のティアは、どこか不思議と雰囲気が固いような印象を受けた。


「楽しみだよ。何があるかも起こるかも何もかもわかんないからさ。ここに来たときも、この世界をはじめて見たときとビックリしたけど、ここの外にはもっと驚くものがあるんだろうなって思うとさ」


「よかった。不安だったりしてたらどうしようかと思って」


「……正直怖さもあるけど、俺が自分で選んだことなんだし、なら楽しまないとな」


「うん、それならよかった! いつも大我は無茶してるから、ちゃんと気をつけてね」


 なんだかちょっとぎこちないような会話が過ぎ、ティアは笑顔を向けて部屋を去っていった。

 何かがあるような雰囲気を出しながらも、一瞬で過ぎ去った会話の時間。大我は思わずなんだったんだろうと思いつつも、その心遣いをありがたく受け取り、心温まった。

 一方で、エルフィは何かを察したように、じっと黙って大我とティアのいた方向それぞれをチラチラ視線を動かし繰り返し見ていた。


「ああいう風に誰かが見送ってくれるっていつぶりだろうな……高校入学の時ぐらいか」


 大我は、彼女の言葉が純粋に嬉しかった。ずっと一緒にいたからこそ、その送り届けてくれる言葉が、胸の奥に響いたのだ。

 これからしばらく会えないと思うと、姿が見られないと思うと苦しいが、二度と会えないわけじゃない。

 大我は思い出に耽りつつも、改めて寝る準備を進めた。エルフィは、そうじゃねえって目の動きをしながら、あえて何も言わずにいた。




 その一方、部屋の外では、二階からやや沈んだような表情で、ティアが階段を降りていた。

 どうしても言いたいことが言えなかった。そんな気持ちが溢れているようだった。


「まだ降りる時じゃないぞ、ティア」


「えっ、パパ、ママ?」


 階段の正面で待っていたのは、寝間着姿のリアナとエリックだった。

 

「ティアの気持ちはよくわかってる。それを今ここで不意にしちゃってもいいのかい?」


「それは……」


「チャンスは確かにいくらでもあるけど、こういう時は、一番最初の時に行ったほうが、後悔も恥ずかしさも一番ないものよ」


 両親二人は、今、娘が何をしたくてここにいるのか、大我の部屋に向かったのかをよく理解していた。だからこそこうして、背中を押す為に親として話しかけたのだ。


「━━━━一緒に、旅に行きたいんだろう?」


「…………うん」


「なら、自分の心に素直になった方がいい。自分の衝動を抑えていることは、この先も胸の支えとして残っちゃうからな。なに、店のことは心配しなくてもいいさ」


 まるで実体験がこもっているかのような、父親からの優しい激励に、ティアは胸が熱くなった。

 自分はこの両親のもとに産まれてよかったと。そして二人の言う通り、自分の気持ちに素直になっていこうと。


「━━━━ありがとう、パパ、ママ」


 ティアは足を翻し、再び大我の部屋に向かった。

 階段をもう一度駆け上がっていく彼女の背中に、二人はまた一つ逞しさを覚えた。


「こういう時も、やっぱり来るもんだねえ。なんだか、二人の子を送り出してる気分だよ」


「ああいうところ、エリックに似たのかしらね。ずっとアルフヘイムやその周辺で頑張ってたのに、いきなりこの野菜を育てたいんだ! そしてみんなに食べてもらいたい! って言い出して、飛び出していったっけ」


「ティアが産まれる前の話だろう……よく覚えてるね」


「ふふ、家族のことはみんな、忘れないわ。もちろん大我とエルフィのこともね」




 そして、ティアはもう一度、ドアをノックしてから扉を開けた。その時の彼女の顔は、先程とは違いもやもやした気持ちが晴れたようだった。


「大我、ちょっと屋根の上で話しませんか?」


「ああ、いいぜ」


 大我はそれを二つ返事で受けた。それに応えるのは、不思議と今までとは違うような、まっすぐなものを受け止めたような気持ちよさがあった。

 エルフィは小さく頷きながら、自分は邪魔になるからと敢えて主張せずに、お前ら二人だけで話にいけというジェスチャーと共に、二人の時間を過ごしてもらうことにしたのだった。

 いずれにしても、二人の会話は自分の耳には聞こえているということを置いておいて。

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