第494話
即席コロシアムとその周囲は、数秒程の静寂に包まれた。
大地に拳を打ち、長時詠唱によって集めたマナを流し込むも、何かが起こる気配が無い。まるで不発に終わったような静けさすらある。
しかし、当のラントにそんな焦りは微塵も無い。むしろ、大声による煽りの先で、落ち着きを全身に定着させたようにも見える。
すると、地面に拳跡をつけた右手をゆっくりと上げた後、流れるような動作で構えを取り直した。
ラントの眼は、明鏡止水の心を得たように大我の姿をまっすぐ見据えている。まるで、周囲に見えない心眼の線を築き上げたかの如く、隙も感じられない。
お互いに消耗してきたこの状況で、まだこれだけの気迫を残しているのかと、大我は驚くと同時に感嘆するしかなかった。
「こいつは、お前と戦う前にようやく俺がたどり着いた境地だ。こいつで、お前に勝つ!」
直後、コロシアムを含めた周囲の地面が振動し始めた。
観客達は各々に膝をついたりバランスを取ったりとふらつきながらなんとか耐えるが、コロシアム内の地面が、まるで重力が強くかかったように陥没し始めた。
「うわっ!? 」
大我もこれには堪らず、バランスを崩して転びそうになった。
ひび割れへこんでいく個所から撤退し、立ち姿勢を取り戻していた最中、前方から何か隆起したような重い音が聞こえてきた。
大我はすぐに直感的に判断した。これはおそらく、石柱を飛び出させてそれを推進力にして、こちらへラントが飛んでくる音だと。
こんな極限の状況で、あいつが自分の態勢を崩したチャンスを見逃すはずがない。彼の実力への信頼が、より大我の警戒を強固にして研ぎ澄ませた。
その予想は的中。ラントの身体は斜め上の方向へと吹っ飛び、拳を振りかぶりながら大我目掛けて落ちようとしていた。
だが今更、そんな大振りの攻撃に当たるわけにはいかないし、当たる気もない。大我は受け止めるよりも回避に専念してチャンスを伺おうと、より大きく下がってかわそうとした。
その時、まるで大我の行動に反応し、先に潰すかの如く、彼の後方に突如巨大な石壁が隆起し、逃げ道を塞いだ。
「読まれた!? いや……!」
大我は刹那、己の行動を予期して予め土魔法を使っていたのかと考えたが、すぐにそれは選択肢から抜け落ちた。
足元がふらついた時も、大我は彼の姿を片時も目線から外していなかった。その時、詠唱らしい所作や呪文は全く見受けられなかった。
そうこう考えているうちにも、ラントの拳が迫る。
「オラァァァァァーーーー!!!」
飛びかかった彼の拳を、大我は身体を脊髄反射のような動作で回避し、すぐに距離を取ろうとした。
拳が叩き込まれた壁には、拳の形に陥没した跡が生まれ、ガラガラと崩れ去った。
何かがやばい。何かが起きている。だが、その正体が掴めない。一体何をしている。
ほんのわずかに生まれた反撃の瞬間。理屈に思考を割くよりも、一撃を叩き込む方が間違いなくマシだ。
大我は疑問の渦を一旦断ち、回り込むことに成功したラントの横から、回し蹴りを腹部へ加えようとした。
しかしその瞬間、彼の背中を、地面から飛び出した石柱が思いっきり突いた。その石柱は、どこか拳の形にも見えるものだった。
「がはっ……!」
「大我!!!」
ギャラリー側にいる友からも、思わず声が上がる。
「おおォォリャああああああ!!!!!」
これは偶然ではない。間違いなく必然だ。ラントに想定外の幸運が巡ってきたのではなく、大我に勝つという意志が呼び寄せた瞬間だった。
石柱の衝撃と、空中に放り出され無防備になった大我へ、ラントは右腕に力を込め、ラリアットの如き全力のフックを直撃させた。
「がはぁっ……!!」
なんとか身体を丸めて防御しようとするも、それでも衝撃は完全には殺せない。既に受けているダメージから、すぐには防御態勢に入りきれない。
大我は彼の拳を空中でもろに受け、血を吐きながらゴロゴロと地面を転がった。
「…………こいつが、ようやくたどり着いた『俺』の土魔法『グランドシンパス』だ」
手応えがあった。これまでにないくらいに確かな、己の領域をまた一つ踏み越えたような感触が。
この魔法は、ただ彼が新たに生み出した魔法というだけではない。大我と戦うに当たって悩みに悩み続け、自らと憧れ、大地と拳に向き合った先に辿り着いた力だった。
「俺はずっと考えてたんだ。俺がもっと、俺自身の持つ憧れに近づくにはどうしたらいいんだって。それを改めて考えるキッカケになったのは、この決闘だ」
一歩一歩、倒れた大我に近づくラント。
「全力の拳と、大好きな土魔法でさらに強くなるには、お前に絶対に勝つにはどうしたらいいんだって。それで、最後の最後で考えに考えて…………わかったんだ。土魔法は大地の魔法。大地は俺達と共にある。信じれば、それに応えてくれる」
ラントの視線は一度、コロシアムの壁にもたれかかっているエルフィに向いて、すぐに戻った。
「土魔法を、お前にとってのエルフィと同じように考えた。自然と共に動くことなんだと。俺の望んだ戦い方に、大地は合わせてくれる。それを形にした魔法が、この『グランドシンパス』だ」
地面に、長時詠唱によって溜め込んだマナを一気に注ぎ込み、ラントと大地の思考や意識を連動させる。
それによって、時には彼を危険から救い、時には彼の拳が相手へ届くように手助けし、時には彼と一つになって破壊力を増幅させる。
まさに、彼がエルフでありながら土の申し子と言える種族への憧れの先に辿り着いた、大地と力を信じ続けた願いの先、一つの境地と言える魔法だった。
「げほっ……げほっ…………いっってぇ…………」
体内に痛みが駆け巡り、思わず蹲りたくなる程の苦しさが大我の身体を埋め尽くしていく。
だが、勝ちたいという負けず嫌いの意思と、負けてやるものかという呆れるほどの男の意地が、彼を突き動かした。
「わかってるよ。お前はまだ倒れねえ。絶対にこれくらいじゃ諦めねえってよく知ってる」
しぶとさと諦めのなさ。それは対峙する上ではとても厄介なものとなる。だからこそ、確実に敗北の二文字を刻んでやる。
最後まで油断はしてはならない。なぜなら目の前にいる男は、そんな逆境を幾度と無く超えてきたすごい奴なのだから。
「だからよ、徹底的にブチのめす!!」
再度構えるラントの周囲で、コロシアム全体から、砕けた地面の瓦礫や岩が次々と空へ上昇していく。
それらはまるで流星の如く、重力と高さを乗せて、コロシアム内へと急降下していった。
そして、それらと一緒に、ラントは己の魔法によって不安定になった地面を踏み抜きながら、大我の方へと走り出した。
ゆっくりと立ち上がる大我。視線は空へ、足元へ、正面へ移り変わり、アドレナリンが大量に分泌されている脳内が、それら全てを理解させる。
まだまだ動ける、痛みが誤魔化されるくらいに頭が回り、周囲がスローに見えていく。
だが、だからどうしたと言わんばかりに襲ってくる物量。これが長時詠唱により引き出された、限界以上のラントの全力なのだ。
だが、まだ負ける気はしない。なんとかなる。根拠は無いが、ただの楽観でもない。彼の心は全く諦めていなかった。
「上等だ!! かかってこいラント!!」
既に大きなダメージを負っているのを隠すこともできないし、向こうも手応えをはっきり掴んでいるだろう。
そんな時こそ、強く大地を踏みしめ立ち上がり、全力で立ち向かう。
大我は血の滲む両手を構え、迫り来る岩石の流星群とラントへの覚悟を決めた。
ラントは震えた。それでこそ、俺がライバルだと、絶対に倒したい相手だと。言葉には出さずとも、興奮と賞賛から来る笑いで、最大の賛辞を向けた。
そして、己の全力と共に、大我との距離を詰めていった。
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