第439話

「私は確かに、君を殺さないとは言った。だが」


 自らの右足で打ち上げ、そこから新たな身体の可動域を活かして、足を上げたまま姿勢を変えていく。

 ノワールの踵は、まるで磨がれた刃のような怖さを持ち、まだ宙を舞っている状態の大我へと狙いを済ませた。

 それまでの時はとても短い。アリアがなんとか助けられるような時間など与えられず、大我めがけての踵落としは振り下ろされた。

 

「ぐっ……!!!」


 悲鳴を上げる時間すらまともに与えられないまま、宙を浮かんだ身体はすぐさま地面に叩きつけられた。

 閉鎖空間に響く衝突音。点の痛打と面の衝撃が同時に肉体を襲い、呼吸すら苦しくなるような痛みが響いた。


「死なない程度に痛めつけることは出来るんだ。抵抗の意志を削ぎ落とすまで、傷つけることだって」


「ぐあああああああっ!!!」


 蹴りを叩き込んだポイントを、ノワールはしっかりと記憶している。

 仰向けに倒れた大我の腹部に足を置き、より痛みを強調させる為に体重をかけて踏みつけた。

 このままでは、自分達の策が進む前に無力化されてしまう。

 アリアは焦りを帯びながら、思考を目の前の状況へと傾け、魔力の塊と光球を無数に作り出した。


「邪魔が……!」

 

 しかし、ノワールがそれをのうのうと見逃すはずもない。

 不快感を表す突き刺すような目つきと共に、杖から黒の光と冷たい風を巻き起こす。


「黒閃のヴァーユ!!」


「ぐっ……手が出せない……!(もう少し……もう少しで……!)」


 アリアへの向かい風となる暴風と、黒の光槍が襲いかかる。

 現状、攻勢に全てのリソースを割けないアリアは、すぐに膨大な魔力を攻撃から防御へと転化し、一撃を防ぎ弾いた。

 だが、今はそれ以上の行動は取れなかった。

 少しでも力を抜けば暴風によってバランスを崩され、確実に破壊に至る。

 ルシールの物である身体の電子頭脳を熱くする程にリソースを消費し、全力で現状維持に努めた。

 これでアリアは横から手が出せなくなったと、ノワールの視線は再度大我へと向く。

 アリアがほんのわずかな時間意識を反らしてくれたおかげか、彼女の踏みつけに力が弱まる瞬間が生まれていた。

 大我は体感でそれを逃さず、歯を食いしばって両手で右足首を掴み、全身の筋肉から炎が噴き出さんばかりの気概で抵抗した。


「これだけ傷ついてもまだ反抗できる気持ちが残っているか」


「はぁ……はぁ…………っ…………! まだ…………まだだ……!」


 しかし、彼のパワーは明らかに落ちていた。それも、大きなダメージを受けてうまく力が引き出せないというだけでは説明がつかない程に。

 その不調ぶりは、大我自身もどこかで少し自覚していた。

 大我はユグドラシル突入前に心臓を貫かれ、必死の治療によって復活を果たした。だが、その代償が決してないわけではない。

 それまでのティア戦、心臓の復活、B.O.A.H.E.S.の細胞に全身をのたうち回らせ嘔吐する程の抗い。そして元々の燃費の悪い体質。

 ティアがかき集めてくれた食糧によってある程度の栄養補給は済ませられたが、それでも飢餓状態に近いような彼の身体にはまだまだ足りていなかったのだ。

 大我はそれでも、己が出せる全力で立ち向かい、戦ってみせた。

 その分、早く燃料切れが近くなってしまったのだった。

 本来ならば、まだ足を外し除ける余力はまだまだ残っているはず。だが、現状はそうではなかった。


「私と同じ目をしてる。絶対に倒してやると、生きて帰るって目を。だが、私の積み上げた勝利は決して崩させない!」


 見上げる者と見下ろす者。生殺与奪の権を握っているのはノワール。

 今ならば殺すことだってできる。でも彼女はそうしない。戦意を折り潰すことが大我への勝利となる。

 ノワールは指先に魔力を込め、炎を纏う矛盾した氷刃を生み出す。

 彼女は容赦なくそれを、防ぐ術の無い腹部へと突き刺した。



「ぐああああああああっっっっ!!!!」


 大我の悲痛に満ちた叫びがこだまする。

 肉に刻まれる熱と裂ける痛み、そこに張り付く零下の痛みが重なり、ただ傷を負うだけでは決して体感することのない未知数の激痛が彼を襲った。

 痛くて仕方がない、泣きたいくらいに痛い、とてつもないくらいに痛い。

 しかし、唇を噛み締めた彼の足を掴む力は、絶対に抜けることはなかった。


「…………フロルドゥスとの戦いでもそうだったが、本当に諦めの悪い男だ」


「うっ…………ぐ…………当たり前だ……ろ……俺は……何千年も後に……生き返った男だぞ……っ゛……こんなんで……負けてられるかよ……」


 自分の命も省みず、己の信念に愚直に従い戦い続ける姿は、一つの美しさすらあった。

 しかし、賞賛はすれど邪魔をされ続けるわけにもいかない。

 ノワールはさらなる炎氷の刃を作り、大我へと向けた。

 しかしその時、彼女の背後から風の揺らぎを感じた。

 振り向きざまにバリアを張り不意打ちを防ぎつつ、妨害された方向に視線を合わせた。

 

「その足を離して……!」


 間一髪で致命的な一撃を妨げたのは、己の抱く戦いの感情を全て宿したような眼で剣を構えるティアだった。

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