第424話 共に在る未来 23

 B.O.A.H.E.S.の細胞に全力で抗い続けた大我の身体は、酷く消耗し切っていた。

 全身の水分は抜け落ち、呼吸の動作もゆっくりとしてはいるが落ちついたそれではない。

 苦しそうな顔を浮かべる力すら引き出せないのか、極限の激痛に疲労困憊したのか、うめき声に近い声を出すことしかできていない。

 自ら起き上がることすらかなわないのか、腕も足も地面にくっついたまま小さく動くだけで、頭をわずかに浮かせることが精一杯だった。


「水か!? 待ってろ、今すぐ飲ませる」


「これで……少しでも……」


 大我の振り絞った声に、ティアは即座に木のバケツに入れた天然水で軽く左手を洗い、手のひらで小さな桶を作る。

 そこに水を注ぎ、少しずつ、少しずつ、大我の口に少量の水を送った。

 エルフィは彼の頭を支え、少しでも飲ませる水を逃さないようにと手助けしてあげた。

 生死の境を彷徨い、全身がボロボロな今の大我には、一気に補給を施すのは負荷を与える危険性がある。

 それを考慮し、回復の度合いを見ながらゆっくりと水を与えた。

 最初は、ただ注がれていく水を受け入れ、なんとか喉を動かし飲み込んでいった。

 それが5回目、6回目と回数を重ねるごとに、舌が動き、口を自ら動かし始め、飲み込むペースが早くなっていった。


「っっ!! ティア、もう少し量を増やそう」


 目に見えた回復の兆し。想像以上に早く肉体の能力が戻ってきている。

 先に見えるわずかな光がより強くなる。

 ティアはほんの少しだけ湧き出てきた希望に気持ちが良い方向に揺らぎながら、黙って頷いた。

 ちょっとずつ、手桶に入れる水の量を増やし、口の中へと流し込む。

 自発的に飲むようになり、水の減るペースは一気に加速し始めた。

 それと連動するように、大我の全身にも回復の兆しが表れ始めた。

 乾いていた身体に潤いが戻りだし、呼吸も少しずつではあるが、本来の落ちついたそれを取り戻しつつある。

 首を浮かせる程度にしかまともに動けなかった身体も、首を左右にゆっくり振れるようになり、両手両足も、重石がくっついているように固いが自発的に動くようになってきていた。


「そ、そこに……水……あるんだ……な……持ってきて……くれ…………」


 大我は鈍い動作で木のバケツに指をさした。

 ティアはすぐにそれを2つとも運び、隣まで移動させる。

 まるで産まれたての小鹿の如く、不安定に、腕を使って起き上がろうとする大我。

 ティアはそれを後ろから支えてあげた。

 無理をしないで。そう口にしたかったが、今ここではあえて言葉にしなかった。

 大我は力の戻りきっていない腕で震えながらバケツを手に取ると、その中身を一気に流し込んだ。

 全身から失われた水分が戻っていく。枯渇した生命が命の輝きを取り戻していく。生きるという気力が源泉の如く湧き出してくる。

 砂漠から生還したような勢いで飲み干すと、バケツが壊れそうな勢いで地面に起きながら肩で息をした。


「はぁ……はぁ…………そこの……そこの食べ物も……」


 ティアは自分が運んできたいっぱいの食べ物を、大我の目の前まで移動させた。

 大我は脇目も振らず、これまでの全てを取り戻すかのように、次々と口にして栄養を補給していった。

 味を気にしている余裕は無い。とにかく、削れた身体を取り戻す為に本能が訴えかけている。

 だけど、ここに戻ったからこそ感じる味覚が、大我の心に生を叩きつけた。

 その食べっぷりはむしろ心配になりそうになる。

 しかしそれこそ、彼が確かにここに生きている証拠に他ならなかった。

  



 そして、大我の補給が続く最中、彼らの周辺を守るように戦っていたラントとアリシアに、疲労が見え始めていた。

 避難所から延々と続く緊張と、傷を負いながらの連戦の数々。集中力が切れる瞬間が訪れても仕方がない。

 

「ぐっ……さすがにキツいな」


「どうしたラント、まだまだお前はこんなもんじゃねえだろ!」


「わかってんだよんな事!」


 発破をかけて気力を振り絞らせるアリシア。

 彼女もラントと同様に疲労が蓄積し、勝負勘が鈍り始めていたが、自ら鼓舞させることで戦意を回復させた。

 だが二人のダメージは確実に蓄積していた。

 それは、戦闘能力そのものに大きな揺らぎをもたらす。

 目の前の敵に意識が向き続けていたその時、頭上を飛び越す一体の自動兵器への反応が遅れてしまった。


「しまった!!」


「くっ……なんで見えてなかったんだ俺……っ!!」


 いつもの二人なら確実に逃していなかったであろう浅い飛行。長期戦の怖い所の一つである。

 その自動兵器は既に遠距離武装が破壊されてはいるが、近距離武装が残っている。

 飛行先は大我達のいる方向。対応しようにも、既に目の前の敵が接近し、攻撃を仕掛けていた。


「気をつけろ!! そっちに向かってきてる!!!」


 ラントはティア達に大声で叫んだ。

 自分達が守ってやると言った手前、こんな情けないミスで危険を晒してしまっていいはずがない。あまりにも情けなさすぎる。

 だが、ティア達の方向を向いた瞬間、ラントの焦りの表情は勝利を確信した笑みに変わった。


「────バカが、遅えんだよ。もっと早く直れ」




 ラントの警告を聞き、臨戦態勢を取るティアとエルフィ。

 ようやくここまで傷が癒えたのに、ここで全てを台無しになんてしたくない。

 絶対に大我を、もう二度と失いたくない。もしどうしょうもなくなれば、自分の命を投げ捨ててでも────。

 己の罪と向き合いながら、その贖罪の意味も込めて自らをも賭けようと思考した。

 その時、二人の肩に優しく手が置かれた。


「ありがとう、エルフィ、ティア。ここは俺に任せてくれ」


「え……」


「お前、治ったばかりじゃ……!」


「ああ、だからそのリハビリだよ」


 ゆっくりと二人の前へと移動する。彼の拳には、命の煌めきと弾けんばかりの魂が形になったような炎と電撃が纏われていた。

 

「────嫌な事を思い出しちまった。けど、今なら負ける気はしねえ」


 自動兵器が刃を剥き出しにし、二人を斬り刻もうと迫ってくる。

 その姿は、かつての血と硝煙、悲鳴と絶望に塗れた地獄の光景を思い出す。

 彼は、数歩の助走をつけた後、一気に足元を爆発させて飛び込んだ。


「おらあああああああああ!!!!!!!」


 その雷炎の拳には、たくさんの感情が込められていた。

 彼の今、過去、それに対する喜怒哀楽が何もかも、破裂せんばかりにこもっていた。

 防御の遅れた自動兵器は、それを諸に喰らい、吹き飛びながら機体を震わせた。

 そして、地面に落ちる前に、空中で爆散したのだった。


「…………ずっと前の恨み、返したからな」


「ああ……よかった……本当に……本当に……傷が塞がったんだな……!!」


「大我……あぁ…………」


 ティアもエルフィも、声が出切らなかった。あの絶望の底とも言える状態から、彼は本当に、動けるようになるまで回復したのだから。

 桐生大我。心臓を貫かれ、死の淵を彷徨った少年は、今ここに、奇跡の体現とも言える復活を成し遂げた。

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