第410話 共に在る未来 9
刺突の直前、剣の先端が皮膚に触れた瞬間、ティアの感覚と人格はほんの数秒だけ闇に落ちた。
エルフィがようやく施した改竄設定の正常化。だが、それは秒単位の時間でありながら、最良の結果をもたらすにはあまりにも遅すぎた。
ティアの弄られた五感は元に戻り、彼女の身体は殆ど傷もないまま、引き戻すことが出来た。
ずっと傷つけないように立ち回り、耐え続けた大我の犠牲を伴って。
「…………あ…………れ…………?」
突然引き起こされた、眠りから目醒たような感覚。
ほんの数秒。その風が一度吹いただけに等しいような時間で、彼女に見える景色は大き過ぎるほどに変わった。
周囲の景色は全く変わっていないのに、自分が戦っていた黒いモヤはもうどこにもいない。
目の前にいるのは、死んだと伝えられながら、どこかで生きているはずと信じたかった大切な人。
どこにもいなかったのに、生きていてほしいと信じていた人が目の前に現れた。
だが、身体中傷だらけで、口端からは赤い液体がこぼれている。
時間が経つほどに、とても鈍かった感覚が元に戻っていく。
「──我──い我!! 待──ろ……なんとか……なんとかするから!!」
ようやく聞き取れるようになった、今までずっとなかったはずのエルフィの声。
その声は今までに無い必死さと悲しみに満ちており、かつてない程に力み震えていた。
そして、ゆっくりと回復していったティアの視界は、完全に取り戻されていく。
「────!!!!」
その光景は、少しずつ景色が取り戻されていくごとにうっすらと脳裏に浮かんでいた最悪の想定だった。
さっきまで戦っていた敵はおらず、自分がいる場所も変わっていない。
考えたくなかった。生きていたことがとても嬉しいのに、あってほしくないと思った。
しかし現実はそれを許さない。
ティアが強く、皮膚が削れる程に握っていた剣の先には、心臓を貫かれ全身の力が抜けた大我の姿があった。
「あ……あ…………あぁ…………!!」
震えが止まらない。戦いの中で見ていた景色は嘘でしかなかった。
敵なんていない。自分が戦っていた黒いモヤは、ずっと信じて待ち続けたかった大我とエルフィだった。
どうかこの光景も嘘であってほしかった。しかし、握った剣から伝わる大我の体内の感触が、楔の如く彼女の心を潰すように締め上げた。
声が出ない。頭の中がぐちゃぐちゃになって何も表せない。
足が、手が、指先が、眼が、嘘に磨り減った心が揺れる。
そんなか細い声が漏れ出したその時、貫かれた大我はゆっくりと、重く、弱々しく顔を上げた。
「ティ……ア…………はは…………よかっ……た…………元に……戻った…………んだな…………」
彼の絞り出した声には、恨みや怨恨のような負の感情は一切感じられなかった。
それどころか、死の直前なのに、元に戻った彼女のことを心から喜び、笑顔を向けてくれたのだ。
間違いない。ここに嘘は一切存在しない。バレン・スフィアへエルフィと共にたった一人で向かった、とても無謀で優しく勇気のある、自己犠牲も厭わない彼そのものだ。
その事実が、よりティアを苦しめた。
「ごめ………なさ……い…………あ……ぁ…………わた…………し…………大我……ぁ…………」
声がでない、何を言えばいいのかわからない。何も言えない。
空よりも澄んだ優しさを持つ彼を、この手で酷く傷付けてしまった。ずっと助けられたのに、アルフヘイムを救ってくれたのに。
とても優しいかけがえのない友達を、自ら手をかけてしまった。
幻覚を見せられていた、耳に入る声が変えられたなど言い訳にもならない。彼らはずっと叫んでくれていた。ずっと自分に言い聞かせてくれたのに。
皆が死んだという嘘の上に立てられた、自分に与えられた使命が大きく曇らせてしまった。ずっと手を出さずにいてくれたのも、少しでも傷つけないように元に戻そうと必死に戦ってくれたのだ。
反撃してもよかったはずなのに、倒してもよかったはずなのに。
「気に……するなよ……かはっ! う…………」
「バカ!! 喋るなバカ野郎!!!! 死んだらどうする!!!! 出血を止めて、心臓の傷を……違う違う違う!! 治療が間に合わねえ、無理矢理脳死を遅らせるしかできねえ!! なにか、なにかあるはずだ……なにか、なにか……! いや、でもアレなら……ダメだ根本的にダメだ!! あーーーーもう!!!」
エルフィのCPUが、過去に類を見ない程に熱く動く。
インストールされている医療データから、必死に助けられる可能性を探し尽くし、せめて命を繋ぎ止められないかと、何度も何度も、何度も演算を繰り返す。
だが、心臓が貫かれているという絶望的な状況。剣が引き抜かれていないという現状最低限の保険以外はどうにもならない。
それでもエルフィは、大我を助けたい一心でひたすら可能性を模索し続けた。
「俺……さ…………どう……せ…………もう……死んでた……からさ…………けど……みんなと……いられて……とても……楽しかった…………」
遺言の如く、掠れ声にすら届かないようなか細い声で言葉を紡ぐ大我。
ティアはそれに、反射的に言葉を遮りかけた。
「だめっ! 死なな…………ぁ…………」
だが、彼女を蝕む『事実』がその声をせき止めた。
自分が命の灯火を貫いておいて、どの口が死なないでなどというのか。
だけど大我にはどうしても死んでほしくない。しかしそのキッカケを作ったのは自分だ。
どうにもならない苦しさが自らの心を焼き、ティアの眼からはせき止められない涙が溢れ出した。
「おれ…………かはっ…………ああ…………だめだ……なに……いえば…………いい……か…………わかんねえ…………言いたいこと…………たくさんあって…………さ…………」
大我の中で走馬灯が巡る。
エルフィの叫ぶ声も、バレン・スフィアから帰ってきた後のような悲しむティアの顔もだんだんぼやけてきた。
まだ行きたいかと言われればそれは当然。だが、彼の中での諦めが、どこか不思議とついたような気もする。
膨大な偶然の上に重なった二度目の人生だからだろうか。
しかし、大我はこの新世界での人生に、過酷ながらもかけがえのない幸せを感じていた。
「たいが……いや…………いやだよ…………」
「大我!! 諦めるんじゃねえ!! 俺が、俺が絶対に……!!」
ティアとエルフィの声も、だんだんはっきりと聞こえない程にぼやけてきた。
そして、大我は弱々しく声を絞り出した。
「…………エル……フィ…………ティア………ありが……と…………な………………」
それが彼の、最後の一言だった。
大我の腕からゆっくりと力が抜け、魂が抜けたように垂れ下がった。
瞳の光は失われ、彼の声はもう風に吹かれた煙のように消えてしまった。
「大我……大我!!! アホなこと言うんじゃねえ!! 大我あああ!!!!」
「あ……ぁぁ……ぁ…………!!」
未だ、最後の言葉にも決して諦めず延命処理を続けるエルフィ。
ティアは自分の握っている剣を手放すことができなかった。
これを離してしまえば、何もかも本当に終わってしまうような気がして。無意識に手放すことを許さなかった。
しかし、ティアの心は、とても大切な友達の死を、自らの手で与えてしまった死を叫ばずにはいられなかった。
「いやああああああああああああああああ!!!!!!!!」
己の中で乱れ潰れた心の声が、無念が、悔しさが、罪の意識が、悲しみが、一つの声となって、悲鳴に変わった。
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