第325話

 怒りが拳から強く伝わってくる。他者の身体でもそれは理解できる。

 おそらくは大我の激情の琴線に触れてしまったのだろう。

 アリアは目をそらすことなく、真っ直ぐ理由を提示した。


「…………私達はこれから、アルフヘイムに向かう為の準備が必要になります。その場合、障害は確実に排除しなければなりません。特にティア=フローレンスのコピーには、モデルとなった人物が故、内側から状況を掻き乱せる力があります。人々への現状認識と注意喚起を含めた手法として、あの場での対処をしました」


 この先に待ち受ける戦いへの心構えを作り上げるには、腹立たしい程に正しい刺激の作り方。

 敵はどこにいるかもわからない。神の懐に飛び込んでいるのだから、どのような戦法を取ることもできる。

 その上、本来の女神という絶大なる信頼を置かれた立場を使えば、正確な情報の伝達もスムーズに行える。

 これ以上ない程に正しいだろう。だが、大我の気持ちはそれで収まることはない。


「けど、ああまですることはないだろうが!! どこまでデリカシーがねえんだ! せめて、アルフヘイムに行くって言った後で、ひと目につかせず倒すことだって……」


「それを言った後では、アリア=ノワールに情報を伝えられる可能性が大幅に増加します」


「………………!! あーーーーーーーもう!!! クソッ!! クソッ!! くそおおおっ!!! 正論すぎて何にも言い返せねえよぉ!!!」


 正しさの前に大我は何も言うことが出来ない。行き場のない怒りが足先から全身まで駆け巡り、一本の樹木に無数の拳の跡を八つ当たりに作り上げた。


「いっ…………てぇ………………!」


 まだ怒りは収まりきらないが、それ以上強引に身体を動かすなと言わんばかりに、ダメージを負った腹部がズキズキと痛みだす。


「大丈夫ですか大我さん!? 無理をしたら」


「触んな……! ぐっ…………ムカついてくる……!」


 大我の胸中には、全て清算しきれない程のいくつもの怒りが渦巻いていた。

 もっと良い方法があったかもしれないのに、お世話になったフローレンス家の二人が傷つくやり方で解決したアリアへの怒り。

 アリアが口にした理由と説明に、感情論でしか言い返すことのできない未熟な自分への怒り。

 身体中の痛みに抵抗できず、蹲ってしまう弱い自分への怒り。

 歯を食いしばることしかできない大我は、手を差し伸べたアリアの手を拒絶し、睨みつけた。

 

「お前……家族が目の前からいなくなる時の気持ち、考えたことあるのか……?」


「それは…………」


「ずっと一緒にいた父さんが、母さんが、泣いてる苦しそうな顔を最後に目の前からいなくなった時のことを考えたことがあるのかよ!? その両親だって! 偽物の娘がたくさん出てきて、目の前にいる娘までが偽物で! 本物がどこにいるかわからないってなった時の気持ちがわかんのかよ!!」


「………………」


 アリアの行為を前に、大我が一番最初に思い浮かんだ、思い出してしまったのは、シェルターに自分だけを送り込み、さよならの言葉と共に別れを告げた両親の顔だった。

 あの時はあまりにも唐突で実感が無かった。だが、時間が経つごとに嫌でもその現実を体感させられた。

 唯一の形見である母親の指輪が、過酷なる現実を、確かな過去を証明してくれている。

 なんとか整理をつけた今でも、思い出す度に胸が苦しくて仕方がない。本来ならまだ高校生である大我なら尚更。

 そんな誰かになぞって欲しくない、自分の体験に似た出来事を目の前で、しかも自分の知る者達の中で起きたならば、どういう内情であれ怒りを覚えるのは仕方がなかった。

 アリアはしばらくの沈黙の後、申し訳ないという沈んだ表情で、口を開いた。


「過去の映像データとして、人間達の無数のサンプルは存在します。しかし、私自身にその体験はありません。感情データの反応を計測したとしても、それは客観的な判断でしかなく、私自身が体験したとは言えないでしょう…………このように、現在のアリアとしての人格を確立した時には、既に私を創り出した者達はいなかったのですから」


 現世界の人種族達は、本来の人間と変わらない人格や性質をほぼ持ち合わせている。

 それはとても長い時を経た、他者同士の交流と蓄積の結果による人格形成にほかならない。

 しかし、アリアは常にそれを天上からの視点でしか認識することができない。

 対話する相手もなく、常に情報を発信する側としての役目を負い、女神として世界の管理を健気に続けている。

 一見すると製造当初とは違って人間らしい人格が組み上がり、大人の女性のような雰囲気を持っていても、それは人間としての形ではない。

 高次元の存在としての形成に近いものである。

 たとえ人間達の過去の行動記録、会話履歴、音声通話、映像作品、創作物。様々なサンプルから学習しても、それを対話という形に昇華することはできず、それ以外の形のみが肉付けされていったのだった。

 その為、アリアには人の気持ちを察する心にどこか欠けており、それを元に行動することが難しくなっていたのだった。


「……………………ハァ…………あぁもう、気持ちをぶつける場所がねえよもう……」


「……ごめんなさい、大我さん。私は……もう少し思慮深く判断するべきでした。気持ちに寄り添うことも、大切でしたね」


「ルシールの身体じゃなかったらぶん殴ってる。……けど、それを聞いたら、殴れる自信が無くなってきた」


 未だ怒りが抜けたわけではない。しかし、底抜けに優しく、お人好しな大我の性根が、憎悪への大きなブレーキを踏ませた。

 今に至るまでのそれぞれの事情がある。それを知った後では、考えていた行動もままならない。無知のほうが動けるとはよく言ったものである。

 

「とにかく! もう大勢いる前でいきなりあんな晒し首みたいなことするなよ!」


「……わかりました、大我さん」


 傍から見れば、神に啖呵を切っている地上の存在という、あまりにも冒涜的な光景だが、互いの正体と実情を知っており、かつ大我とアリアしかいない状態だからこそ許されるやり取り。

 もっと相手の気持ちを考えてほしい。それを改めて学習した直後、大我はもう一つ、どうしても聞きたかったことをこの機会にぶつけた。


「……それと、ずっと気になってたけどさ、お前、ルシールみたいな神憑の身体を借りる時って、事前にそういう了解は取ってんだろうな。他人の身体を乗っ取ってんのに、何もねえってことはさすがに」


「神憑はそういう役職だからとして、それを受け入れる様に土壌と空気を作っていました。なので、その都度確認を取るということは……」

 

「はぁ…………だと思ったわ。その身体はルシールの物なんだから、今回ばかりは仕方ねえかもしれないけどさ……ちゃんと返してやれよな。お前の物でもないんだし」


 大我はずっと、ルシールが元に戻れるのかどうかを心配していた。

 緊急事態とはいえ身体を勝手に奪われ、本来の意識は闇の中。それでルシールが心細い思いをしていないかどうか、気を遣っていた。

 実際はアリアの人格が起動している間はスリープ状態に入る為、時間経過を体感することはない。

 それでも友人が、この人造女神に乗っ取られたままなのは癪だった。

 最後に釘を刺しておいた後、大我は脇腹を押さえたまま避難所の方へと改めて戻っていった。


「…………そろそろ戻るわ。一応言いたいことは言えたし、あとは五日後に向けて身体治しとかねえとな。みんなの中でも俺は弱い方なんだし、やれることはやっとかねえと」


 全てを飲み込めたわけではない。が、後のことを考えて、切り替えないままではいられない。

 みんなを守るため、また居場所を奪われないため、そして、もう犠牲を出さないため。

 お人好しの少年は、みんなと一緒に戦いに備える為に改めて歩き出した。


「人の気持ち…………はい、私も戻ります」


 その後ろをついていくアリア。大我からぶつけられたいくつもの言葉が、人格データに突き刺さっていた。

 それをもっと早くわかっていれば、導き出された醜悪なる結論と共に人類を滅ぼさずに済んだのだろうか。

 醜い、穢らわしい、悪意だらけ。その比率が多すぎると判断せずにいられたのだろうか。

 だが、歴史のもしもを考えても、もう過去は変えられない。シミュレーターで歴史シミュレーションを実行するようなものでしかない。

 アリアは思考を留めず、大我にぶつけられた言葉と彼の悩み苦しむ姿を噛み締めながら、同じように避難所を目指していった。

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