第324話

 人々の声が、態度が、反応が、その一言で大きく切り換わる。

 その殆どがどよめきと驚きに傾いているが、中には言葉に心を震わせる者もちらほらと見受けられた。


「私はこの地上を、悠久の刻を経て見守り、女神としての役割を続けてきました。しかし、世界樹ユグドラシルの力を奪われたことによって、大いなる穢れと形無き怪物を超える未曾有の危機に陥れられようとしています。これは、神としての権能が足りなかった私の失態に他なりません」


 機械の女神としての世界管理、現世界のコントロール作業を、今いる場所の世界観に合わせて女神らしく口にするアリア。

 ルシールを通して、神託として今までに言葉を口にしたことはあったが、それはあくまでスピーカー役のようなもの。

 彼女の身体まで借りて直接喋るのは、アリアにとっては初めてのことである。


「地上の者達を悪戯に混沌の渦中に巻き込む様を、女神として見過ごすわけにはいきません。これは私が、責任を持って立ち向かわなければなりません。しかし、現在の私は、神憑の身体を借りて意思を伝えるだけの存在。私一人では何も行うことはできません」


 現在ルシールの身体から表出しているのは、純然たるアリアの動作。

 同じ身体でも、中身が違えば大きく印象が移り変わる。


「共に闘う者を選抜し、五日後にアルフヘイムへの進攻を開始します。五日の猶予を設けたのは、戦いに備える時間、そして人々が安全を担保できるだけの時間を作る為です。現在この場所には、負傷し動くことすらままならない者も見受けられます。人々が寄り添っていても、壁も無く野晒しのままではまた新たな危険を被ることになります。闘える者の力を蓄え、癒やし、安全も確保する。その後、私達は歩みを進めます」


 アリアの電子頭脳内には、現時点で尽くせるだけのやり方は構築出来ている。

 しかし、不確定要素があまりにも多過ぎるが故に最適解が存在しない。導き出せない。

 それでも、自分が何千年の時を経て創り上げ管理した世界を、未知なる存在に脅かされるわけにはいかない。

 アリアは人類から奪い、後悔し、再構築した世界を再度取り戻すべく、こうして前に出たのであった。


「だ、だったら! 俺を連れて行ってください! 俺達の街が奪われていくのを、黙って見過ごすわけにはいきません!」


「そうだ! 俺も頼む! 腕っ節なら負けねえからよ! せめて協力させてくれ!」


「僕も、カリンとの思い出の家を奪われて、何もせずにはいられない!」


「私も! このまま不安に流されるなんて嫌です!!」


 アルフヘイムから避難してきた人々の中から、俺も、僕も、私も戦いたいと、立ち向かう意思を表明する者達がぽつぽつと現れ始める。

 だが、アリアはそれに揺り動かされることなく、毅然とした態度で言葉を返した。


「無闇に同行する者の数を増やし過ぎる訳にはいきません。しかし、その隣人を、居場所を、大地を愛する心は、信仰として私の胸に強く受け止めます。そしてその気持ちは、ここにいる人々を新たな外敵から守る原動力としてください。その上で、私から改めて決定させて頂きます」


 現世界の住人の声を直接、リアルタイムで耳にすることが無かったアリアにとってその清く美しい勇気の言葉は、何よりもありがたく、尊いものだった。

 感動に突き動かされつつも、アリアは態度を覆すことなく、あくまで強い意志を示す。


「…………私からの言葉は以上です。暫くは地上の人々と共に過ごすこととなりますが、私は皆さんの平穏を心より願っています」


 アリアはルシールの身体で神々しい笑顔を向け、その場から一度退散していった。

 しばらくの静けさが避難所を包み、お互いに自分達の心情を共有し合う。

 

「女神様がああいうなら…………少し、なんとかなる気がしてきた」


「なんか手伝えることないかな。戦いはできないけど、せめて力になれれば……」


「大丈夫よ。きっと、神様が助けてくれるからね」


 人々の間に渦巻いていた不安は完全には払拭されていなくとも、希望の光を与えることは出来ていた。

 アリアという女神の存在が、与えられた言葉が心の支えとなり、足元から強く踏ん張る力を引き出してくれる。

 少しずつ活気が戻り始めた一方、隣合うエヴァン、アレクシス、迅怜は、どこか懐かしさのようなものを覚えていた。


「改めて選ぶ……ってか。神伐隊の頃を思い出すな、なあエヴァン、迅怜」


「まあな。今じゃ行かなきゃ良かったと思ってるけどな。あー10年もあんな状態になってたのなんか思い出したくもねえ」


「あはは、ほんと、あの時は大変だったねぇ……けど、僕達はそれを乗り越えられた。それに、今は過去に類を見ないような逸材もいるんだ。神伐隊の頃とは大違いだよ」


「……それもそうだな! ま、後輩にでも甘えて俺達は楽させてもらうとするか!」


「その割には顔にやる気が溢れてるけどね」


 バレン・スフィアにやられ、穢れによって時間が止まっていた神伐隊の者達。その血気は、やや落ち着きも身に着けた今でもたいして変わらない。

 10年前のように笑いあいながら、あの時のリベンジを果たそうと闘争心について燃えていた。

 そんなやり取りの中で、エヴァンはわずかに横目に大我の姿を捉えていた。

 アリアの移動した道を追いかける彼を見て、少し思うところがあったが、横槍は入れまいと何も言わないことにした。


 一方、一度避難所から離れ、一人あまり離れていない森の中へと移動したアリアは、自然音以外に何もない空間で、働かせすぎたルシールの電子頭脳を落ち着けていた。


「ふう…………ここまで声を発したのは初めてですね」


 ずっとユグドラシルの中で篭りきり、たまにスピーカー役の神憑を通して世界に声を出すだけだったアリアにとって、多数の人の中で直接言葉を発するのは、何千年ぶりの滅多にない体験だった。

 少々処理に無茶が起き、ルシールの身体に負荷をかけてしまったことを申し訳なく思いながら休んでいると、彼女の元に一つの足音が近づいてきた。

 アリアはその足音パターンから誰が来たのかを解析した。


「大我さん、どうしたんです……か……?」


 姿を現したのは、予測通りに大我だった。

 だが、傷がまだ言えていないはずの彼の顔は、静かな怒りに満ちているようにも見えた。

 大我はアリアの質問に答えないまま、枯葉積もる地面を踏み鳴らすようにずかずかと近づく。

 そして、ルシールの服を無駄に傷つけないようにする配慮か、胸倉に拳を置いて真剣な眼で問いかけた。


「お前、どういうつもりだ。なんでみんなが集まってるあの場で、ティアの両親にあんな無神経なことをした」

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