第293話

 偽神の天眼。

 それは、セレナを中心に半径1・5キロメートル以内の範囲を視界とすることが出来る、超範囲観測魔法である。

 それそのものはかなり単純な魔法であるが、単純が故に非常に強力。

 情報は武器という言葉に漏れず、セレナは誰もが気づかないような位置からもその範囲内の動作を探知することができる。

 たとえ敵意を持っている相手が接近してきても、対応策を練る時間はいくらでも作れるのだ。

 基礎能力の高い者がそのような魔法を持っていると、まさに鬼に金棒。その体現者がまさしく三人の目の前にいるのであった。


「なんてことだ。予想以上に厳しそうだねこれは」


 非常に厄介なことになった。ある意味では知りたくなかった事実かもしれない。

 だが知らなければ、勘付かなければ一方的に屠られることになっていただろう。

 これならば、隠れた味方もいないのにこちら側の動きを正確に把握していたのも納得がいく。仲間に頼らずとも、自前で監視能力を賄えるのだから。

 鷹の眼どころではない、まさしく天より降りてくる神の眼。大我達の緊張感は急激に高まった。


「さ、次はどう攻めてくるの? どこから来てもいいけど、セレナには全部『視えてる』からね」


 絶対の余裕を抱くのも無理はない。この世界の誰にも持ち得ないアドバンテージを持っているのだから。

 大我達三人はいずれも抱いた。このまま愚直に攻めても勝ち目は見えない。

 この状況を打破するにはどうすればいいか。大我は一つの結論に至り、ラントの方を向いて叫んだ。

 

「ラント! アルフヘイムに戻って誰か助けを呼んできてくれ!!」


 大我が第一に発した言葉は、新たに誰かの加勢を頼むことだった。

 底知れないセレナの実力を前に、自分よりも遥かに実力のあるエヴァンがより用心する姿を見れば、現状の危険度が高いのは言うに及ばず。

 ならば誰かに助けを求めたほうがまだマシなはず。大我はその頼みをラントにぶつけたのであった。

 その策に同意するように、エヴァンもラントの方を向き、こくりと一度だけ頷いた。

 大我のアイデアに乗るのは少々癪だが、エヴァンさんもそれに賛成なら乗るしかないと、ラントは全身を後方へ向き直した。


「任せとけ! とにかく誰か探してくるからよ!!」


 ぐっと右足に力を入れ、改めてアルフヘイムを目指すラント。

 そんな彼の姿を、セレナはやや面白くなさそうな目で見ていた。


「今までのラントだったら、無理してでも挑んでそうだったのに」

 

 これまでの時を経て、ラントは着実に成長していた。

 我を通し過ぎることなく、しかし己の憧れと信念は崩さない。

 それまでとはまた違う強さを身に着けていた彼に向けて、セレナは右手でデコピンの形を作り上げた。


「けど、そう簡単には逃さないから」


 指を弾くと、無数の硬化した鋭利な土と岩が、まるで大地を這う生物のように地面から隆起し、ラントの背中を追いかけていった。

 

「嘘だろおい!?」


 少々余力を持って走ろうとしていたラントだったが、それを見て大きくプランを変更せざるを得なかった。

 大地を蹴るように思いっきり走り出し、深緑の森の中へと姿を消した。

 セレナの土魔法は、大地に根差す障害物などお構いなしと、木々を薙ぎ倒しながら追いかけていく。


「もう一個撃っとこうかな」


 念には念を入れてか、セレナは直後に右手を握ってグーの形を作り、パッと勢いよく開いてみせる。

 すると、今度は龍の姿を思わせるような連續した爆発が、土魔法と同様にラントの姿を追跡した。


「そうはさせない!」


 一度目は予想外のモーションの小ささに反応が遅れてしまったが、 次は見逃すわけにはいかない。

 エヴァンは炎魔法の進行上にナイフを二本放り投げ、それを受け止めさせ無効化させた。

 さすがにお願いの甘い二発目は許してくれないかと、ちょっと不満げに頬を膨らませた。


「ちぇっ……まあいっか。一発だけでもとにかくしつこく追いかけるからね。逃げられるものなら逃げてみるといいよ」


「ラントをあまり舐めないほうがいいぜ。あいつ強えからな。たぶん、お前が知ってる以上に」


「ふーん。まあ、それが事実でもセレナには関係ないけどね」


「かもしれないね。けど、君の魔法のからくりは大方理解した。さっきの魔法で確信したよ。おそらく、極端に詠唱動作が小さいんだ。僕がさっき裏に回った時、小さく指を動かしてるのが見えた。それが先程から僕達に向けていた魔法の詠唱だね」


 大我はそれを聞き、はぁ!? と、さらっととんでもない事を聞いたと驚愕した。

 

「さすがよく見てるじゃない。ほんとイレギュラーって感じ」


「よく今まで隠しきれたねそれで」


「力量がわかってるから手加減もできるんじゃない。けど、それを知ったとこでそっちはどうするの?」


「正直お手上げだね。何か仕掛けでもあるかと思ってたら、そんな単純に実力が異常なだけなんて。けど、それでもやるしかないさ。だろ、大我君」


 大我はこの時、本当に渡り合えるのかどうか、やや大きな不安を抱いていた。

 魔法が使えるようになったからこそ理解できる。その詠唱の小ささに見合わない魔法の威力。

 だが、次の言葉が、心のブレーキがかかりかけていた大我を奮起させる。


「バレン・スフィアを、フロルドゥスを制した君ならいけるさ」


 強者からもたらされた、自信へと繋がる一言。

 実質、たった一人で、死にかけながらもあの地獄を切り抜けたという事実。

 運の要素が強かったことは否定しないが、それでも今を越えられる根拠の一つにはなるかもしれない。


「そうだ、そうだったよ。今更こんなとこで、足を引いてるわけにはいかないよな」


 戦う意志が再燃したような気がした。みんなを苦しめた元凶の一人が目の前にいるなら、今戦わない理由はない。

 大我は右足を踏みしめ、拳を握り構えた。


「どんだけ強いか知らねえけど、やってやろうじゃねえか! 思いっきりぶん殴って、目ぇ覚まさせてやるからな! セレナ!」


「ふふっ……あの傲慢バカ女みたいに行くとは思わないでよね」

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