17章 偽神の天眼

第288話

 大我とラントが、セレナと相まみえていた時とほぼ同時刻。

 ティアを背負って移動していたアリシアは、彼女の自宅まで連れていき、そのままベッドの上まで運び出した。

 それからしばらくそっとしておいてあげようと、その意志を伝えてから部屋を離れた。

 ぐったりと力を抜いて、ベッドに沈み込んだティア。そんな彼女の感情は、怯えているような疲れているような。複雑な想いが、手の震えに表れているようだった。

 そんな疲弊した状態を、一瞬だけだとしても察しないわけもなく、リアナとエリックは戻ってきたアリシアに事情を問うた。

 こんなことを果たして両親に話してもいいのだろうかとも悩んだが、大切な娘を心配する緊張と不安がはっきりと表に出ているエリックとリアナを見て、たとえどのような戸惑いを生むことになっても話すしかないと考えた。

 そしてアリシアは、自分の見聞きした一部始終を全て話した。

 ありえない。という二人の戸惑いの表情は、至極当然のものであった。


「一体どういうことなんだ……ティアの偽者が現れるなんて」


「私達の娘は、この世に一人しかいないはずなのに……何がどうなってるの……」


「……正直、あたしも今でも信じられない。ティアがなにかしたわけじゃないのに、いきなりわけのわからず、あんな偽者が出てきて、しかも見た目も仕草もまるでおんなじで、記憶まで持ってるときてる。何が何だか分からねえんだ」


「大我君もどこかに向かっていったんだろう? 街なかもここ最近騒がしいし、一体何が起きてるんだ……やはり、嫌な予感というのはいつも当たるものなのか」


 お互いに心当たりなどあるわけもない。何がどうなってそのようなことが起きているのか、考えても考えても答えが浮かばない。

 アリシアにも両親にも、ティアがそんなことをされるような筋合いはどこにも見えてこない。

 彼女への不安や心配が募りに募り、空気がどんよりとし始めていたその時、二階からとても浮かない顔をしたティアが、三人のもとへと降りてきた。

 ずっと頭の中で渦巻きぶつかり合う負の想定と感情が止まらないのか、その表情は帰ってきた時よりも暗く、重く、苦しそうで浮かないものになっていた。


「ティア……大丈夫なの? そんはとてもつらそうな状態で動いたら……」


「……ねえ、私は本当に……ママとパパの子だよね?」


 その一言は、空気を凍りつかせるには充分すぎた。

 夫婦二人にも、ティアにとっても、そんなことは一度も考えたこともなかったし、浮かび上がることすらなかった。

 それなのに、そんなあり得ない、あってはならない不安を抱かせるような出来事が起きてしまった。

 アリシアは口を歪め、エリックとリアナは心臓を掴まれたような感覚が走った。


「ずっと一緒に過ごしてきた記憶が嘘だなんて、そんなことは無いよね……あんなに思い出までそのままな偽者が出てきて、それじゃあ私は一体なんなのって、私……!」


 今にも恐怖が弾けそうな娘の言葉を遮るように、リアナはティアの身体をぎゅっと精一杯、痛くならないようにかつ精一杯抱きしめた。

 

「何も言わなくてもいいわ、ティア。あなたは私達の娘。間違いなく私が産んだ子なんだから」


 未知の恐怖を鎮める為に、優しく背中を擦りながら、悲しみと優しさに満ちた震えるような声で、娘の心をなだめた。


「あなたを授かった時のことも、赤ちゃんの頃から育ててきた事実も、確かな記憶だってちゃんとあるわ。たとえそれが怪しくなっても、周りのみんながあなたの過去を証明してくれる。だって、ずっと一緒に見てきたんだもの」


 過去を想い、娘の心を温かく解していくにつれて、リアナの声もだんだん落ち着きを取り戻し始める。

 何が起きているのか、どうして娘の偽者などが現れてるのかはわからない。だけど娘はただ一人。

 母の想いに包まれたティアは、何も言わずに一筋の涙をこぼし、そっと母の身体を抱きしめ返した。

 取り乱した精神もようやく安定し、先程まで感じていたぐちゃぐちゃとした感情はなんとか鎮められた。


「ありがとう……ママ…………」


「お礼なんていいのよ、ティア。当たり前のことなんだから、ね」


 そんな二人の姿を、なんとか娘が平静を取り戻してくれたことに安心した気持ちと、妻の偉大さにただただ感嘆する気持ち、そして誰が娘に手を出したのかという怒りも混ざった複雑な感情で見つめるエリック。

 謎が謎を呼び、何が起きているのか全くわからない。これから一体どうするのかと考えようとしたその時、突如家のドアを力強く開かれた。


「皆さん! 急いでアルフヘイムから退避してください! 神憑からの御告げです!」


 そこに訪れたのは、ネフライト騎士団第一部隊の装備に身を包んだ団員の男だった。

 家内の視線が一気に玄関へと集まり、アリシアが真っ先にその余裕のない言葉に耳を傾ける。


「一体どうしたんだよ、ルシールが何か言ってたのか?」


「今伝えた通りです。住民の皆さんは早急にアルフヘイムの外に退避してください。先程、神憑からの御告げとして、今すぐ住民を街の外へ向かわせるように仰られたという伝令を承りました。こちらにも何が起こるかわかりませんが、とにかく移動してください!」


 隊員はそういうと、とても慌てた動作と足取りで次の家屋へと進んでいった。

 神様からの言葉として伝えられた、街から逃げろという短くも明快な伝え。

 家族の愛情と固い繋がりを再確認する時間は終わった。

 アリシアとフローレンス家の三人は、最低限の荷物をまとめて、急いで街を出る決意を固めた。

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