第242話
その言葉に、ミカエルから順に外を覗くと、先程まで辺り一帯を包み込んでいた霧が明らかに薄まり始めていた。
白いモヤの向こうに立つ木々が点ではなく面で姿を現し、次第に無数の葉や地面の色、空の色まで見え始める。
ちらちらと確認された魔法具機構によって跳ね除けていた霧の魔女の姿も、直後からは夜明け直後の亡霊のようにふっと姿を消した。
天候もただの曇り空へと移り変わり、ようやく絶対的不利の状態が消え去ったと言える。
ガイウスが宝石のスイッチを解除すると、それまで馬車を守っていた氷風も停止し、馬が地面を雄々しく駆ける音と馬車の振動音、ややぬかるんだ土の弾ける音がはっきりと正しく聞こえ始めた。
「魔女の霧を抜けた……いや、向こうが解いたと言ったほうがいいかな」
「ティアの移動が止まってる。多分、あいつの本体がいる場所に運び終えたのかもしれない。場所は……海沿いの崖のすぐ側だな」
「ガイウス、幻惑の断崖までだいたいどれくらいかな」
「20分前後と思われます。付近に丁度良い場所がありますので、馬車はそちらに停車させます。あとはミカエル様達に託します」
「ありがとう。あとは僕達に任せておいて。さて、今聞いた通りだ。心を落ち着かせる時間はこれで終わり、ここからは敵の本拠地へと踏み込むこととなる。各自で戦闘の準備を整えておいてくれ……本当はこういう任務、どこかの喧嘩部隊に任せた方がいいんだけどね」
道中で脱いだ装備を丁寧に具合を確かめ整備し、これから訪れるであろう熾烈なる戦いに向けて、軽い騎士団内の構成を混じえた冗談をこぼしながら良い状態へと整えていく。
天使のような笑顔と柔らかな声色だが、その奥には静かな覚悟と基軸とした強い芯が感じられる。
「それって、バーンズさんのことですか?」
「ああ、そういえば大我は彼と面識があるんだったね。楽しそうに話してたよ、まだ未熟だがそれをカバーする程の闘志があるってね」
「おう、さっすがあたし達の大我って感じだな。言われてんじゃねえかおうおう。矢の備蓄はあったりするのか?」
「そこの小型武器庫に仕舞ってあるね。好きに使って構わないよ」
隣で弓の手入れと調整をしっかり始めているアリシアが、友達が騎士に褒められている姿に笑顔で肘をついて軽く煽り立てる。
以前同行し、共に戦った豪傑の大剣騎士、ネフライト騎士団第二部隊隊長バーンズ。
彼の豪快さとしばしの交流は、大我の中に強く刻まれるものがあっただけあって、影でもそのように褒めてくれていたことが、まだ若い彼には嬉しいものがあった。
「ところで、あいつの馬車に乗ったんだよね? 乗り心地はどうだったかな?」
「最高でしたね。ああいうのには滅多に乗ったことも無かったんですけど、あんなにロマン詰め込んだようなのに乗れるとはって、後から思います」
「だろうね。喜んでもらえるのは非常に嬉しいけど……はぁ、バーンズの奴、戦闘部隊なら戦闘部隊らしくもう少し実用性に拘ってもらいたかったんだけどね」
整備の手を止めないまま、積年の感情が籠もりに籠もった溜息をついてからは、呼び水に導かれたが如くバーンズに関する愚痴が流れ始めた。
常に人間よりも上位の存在のような美貌と高貴さを保ち続けてきた彼でも、この時ばかりはとても普通の人間らしい姿が表れていた。
「そりゃあ僕も協力するとは言ったけども、いくら僕の懐からとはいえ騎士団としての馬車に必要の無い機能をどんどん乗せて、費用を上乗せしていくのは流石に本気かって思っちゃうよ。向こうは戦闘専門なのに、馬車のデザイン逆なんじゃないかって……」
「ミカエル様、まもなく仮拠点に到着します。出発の準備を」
だんだんと舌が乗り始めたミカエルに割り込むように、もう間もなくの到着を知らせたガイウス。
つい感情が昂ぶってしまったと、ミカエルは軽い咳払いをして、改めて隙のない立ち振舞へと戻った。
「こほん、ありがとうガイウス。さて、話が反れてしまったけど、間もなく本拠地への進行だ。準備はできたかな?」
気を取り直して、大我達に出発前の心持ちを問う。
既に整っている三人の心構えは、言葉も無しにうんと首を頷かせた。
そして長く動き続けた馬の足が止まり、森の中でぽつんと開けた空間で待機する。
暫く揺れ動き続けた馬車から地に足をつけていく大我達。抜け道のないモヤの中を動き続けていた分、晴れた視界がどこか新鮮に感じられた。
「エルフィ、ティアはまだ大丈夫なのか」
「ああ、あれから動いた様子も殆どない。たぶん放置されてるっぽいな」
「いい度胸じゃねえか。あたし達の友達に贈る手出したことを後悔させてやる」
「やる気がいっぱいで何よりだ。さていこうか、魔女の待つ方へ」
ほぼ成り行きから結成され、そのまま霧の中を駆け抜けた五人。
ガイウスを移動手段の護衛として待機させつつ、人々を長く怯えさせつづけた魔女の討伐へと歩みを進めた。
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