第236話
「通りすがり……ってわけでもなさそうだよな」
雨と霧の中に傘も差さずに佇む、可憐で清楚な雰囲気を醸し出す長くつややかな黒髪に、どこか成人前の幼さを感じさせる顔立ち、黒の意匠が目立つ貴族的なドレスを纏った、全体的には18歳前後と思われる風貌。
だが、そんな彼女から発される空気は、日常の中で行き交っている人々のそれとは明らかに違う、何か同じ時間を歩んでいるとは思えないような何かを思わせた。
「アレが霧の魔女って奴なのか」
「大我、早くここから逃げないと……」
「ああ、そうしようと思うけど……ティアは先に行っててくれ。エルフィ、ティアの側についてろ」
「ちょっと、大我!?」
詳細は全く知らないが、ティアのいち早くここから立ち去らなければという退避の意思を感じさせる声色が、目の前の人物が少なくとも穏やかな人物ではないと判断させられる。
はっきりと姿が視認できる位置まで近づかれているならば、一斉に逃げても追いかけられるだけだと思われる。
なら自分がまず正面からぶつかり、その間にティアを逃したほうがいいのかもしれない。
そう考え、大我はエルフィの守りを付けて、ティアに先に逃げるように促した。
「見つけたわ、新しい供物。貴方達も、お兄様の為に……」
三人の姿を捉えた霧の魔女は妖しげな笑みを浮かべ、まるで浮遊しているかのような移動で一気に詰め寄り始めた。
「霧の魔女がどんな奴か知らねえが、襲ってくるんなら真っ向からぶつかってやるよ!!」
とりあえずどんな相手だろうと、真正面からぶつかれば先制は出来るはず。
大我は二人が逃げる時間稼ぎも含めて、自ら猪突猛進とばかりに最初の一手となるパンチを、過度に傷つけないように肩めがけて放った。
「なっ……!」
だが、その一発は命中することなく空を切った。
正確には、霧の魔女の肩に確かに接触した。だが、物体に触れたという感触が一切感じられず、まるで空気を殴ったとしか思えない程に攻撃が命中したという実感が無かった。
勢い余ってバランスを崩した大我は、突き抜けて軽く浮いたを持ち前の身体能力である程度建て直し、右脚を思いっきり地面に踏み込み、それを軸に180度振り向きながらふらふらと姿勢を戻す。
だが、霧の魔女はふらつきから戻った大我の目の前に既に接近していた。
拳を叩き込まれた右肩は抉れているが、まさに霧のようにボヤけ渦巻いている。まるで彼女自身が蜃気楼の塊のように。
理解した。目の前の女は実体ではない。だがそれを知るには遅すぎた。
「しまった……!」
敵は非常に大きな余裕を持って、体勢を崩した自分の目の前にいる明確な絶体絶命の状況。
さらに霧の魔女は、まだ完全に立て直しの出来ていない大我の足元に無数の水をスライムのように密集させ、その圧力で移動能力を封じ込めた。
それから間もなく、ぐっと大我のことをじっと観察するように見つめる。
すると、突如拘束したばかりの足元を解き、驚きの後で不満げな表情を見せた。
「………………!! …………違う」
どうやら大我は魔女の求めているものとは違ったらしい。
すっかりと興味を失ったのか、魔女は後方の二人へと注目を向けようとした直後、完全に振り向き切る前に頭部が弾丸のような風圧によって首から下を残して霧散した。
魔女の胴体は頭を失いながらも背後へ振り返る動作を止めず、周囲の霧が再び首上に集まり彼女の顔を形作った。
その間にも、二人は大我の意思としぶとい生命力、運をを尊重かつ信頼し、走って逃げていく。
風弾は、抵抗の一発としてエルフィとティアの両者が同時に放ったものだった。
「とにかくどこか建物の中に! 霧から逃げない限りはずっと追いかけてきます!」
「つっても、もうどこも閉め切ってるよ! こんなのが来るってなったら、改めて開けてくれるとも思えねえしよ!」
日常を過ごす平和な場所が、得体の知れぬ敵のテリトリーとなる恐怖。
先程の一発から察するに、大抵の一撃はまず効果がない。一気に霧を振り払おうと強力な魔法を発動すれば、今度は周辺の家屋や中の一般人に被害が及ぶ。
とにかく今は身を隠す場所を見つけるしかない。しかし、その目標を叩き潰すように、二人の周囲に次々と、何人もの霧の魔女が姿を現した。
「そんな……!」
「囲まれた……」
「貴女達は……供物に相応しいでしょうか?」
* * *
「どれに何やっても気休めにしかならねえな……どうすりゃいいんだ」
一方、逃げた二人の元へ向かわせないようにと、霧の魔女の足止めをなんとかしようと一人で奮闘する大我。
直接攻撃が効かないのならと使える限りの魔法で応戦するが、どれも決定打にはならず形が霧散するだけ。
多少のダメージを受けてくれるならマシなのに、魔女は全く意を介す様子がない。
それでも二人を追いかけさせるわけにはいかないとさらに攻撃を叩き込もうとしたその解き、霧の魔女がなんとも不愉快そうな表情で改めて大我の方を振り向いた。
「いい加減にしてください。私は貴方に用はありません」
「そっちが無くてもこっちにはあるんだよ! 二人のところに行かせてたまるか」
魔女は哀れなものを見るような目で溜息をつき、両手に青白く光る魔力を溜め込み始めた。
「仕方ありません。無駄な殺生はしたくありませんが、これは運命と――――」
呆れの気持ちを籠めて反撃を行おうとしたその時、大我の後方から炎風を纏った一筋の矢と、霧を祓い進む光刃が飛来した。
その二発は周囲ごと魔女の形を吹き飛ばし、発動直前の魔法を無効化した。
「な、なんだ今の!?」
「素手と拙い魔法でアレに挑むとは、中々の勇気ですね。それが正しいかは置いておいて」
警戒を解かないまま、大我は素早い動作で後方を確認する。
そこには、モヤのかかる街なかでも月光のように輝く中性的で美麗な顔立ちの騎士と、弓を構えて準備万端と言わんばかりのアリシアの姿があった。
「よう大我! 危なかったなお前」
「アリシア! それで、あんたは……」
「そういえば初対面でしたね。僕の名前はミカエル=テオドルス。ネフライト騎士団第三部隊隊長だ。よろしく、アルフヘイムのヒーロー」
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