10章 偶然なる新生

第124話

 大我とエルフィの孤独なる死闘。ラントとアリシア、そしてエヴァン達神伐隊とネフライト騎士団の奮闘によって、アルフヘイムを蝕もうとせん災厄は払い除けられた。

 機械のみを破滅させるフロルドゥス、生物を喰らい尽くすB.O.A.H.E.S.。共に相反する存在が居なければ、退けることは不可能だった。

 人類が絶滅し、それを塗り替えるように文明を築き上げた機人達に降り掛かった最大の危機。

 それが排除されたことによって、人々に新たなる平和が訪れることとなった。

 だが、水面の上に写ることだけが全てではない。例え平和が訪れても、それが偽りであるかどうかは新たなる危機が表出しなければ誰にもわからないのである。



* * *



「ァ……あ……ギ……ゴ…………@9……ざ……p……aÅ……堊……مؤلم……」


 アルフヘイムから遠く離れた、シルミアの森の奥地。

 苔に覆われた無数の木の根に囲われた、緑の屋根が覆う場所にて、一体の巨大な肉塊が呻き声をあげて蠢いていた。

 その肉塊が通り過ぎたであろう道中には、引き摺られたような跡と齧られたように抉れている樹木。統一性の無い動物の足跡が無数に存在していた。

 肉塊は絶えず変化を続け、人間の口のような形を所々に作り出しては引っ込めている。

 時折発される声もどこか人のように聞こえるが、男女世代問わずいくつもの種類が混ざり合いつつ、犬や猫、フクロウのような鳥類と、様々な声が重なり不協和音を生み出している。

 不用意に近づく動物を捕縛しては貪るように吸収し、どこか苦しそうにずるずると動き続ける。

 そして、新たに近づいてきた銀毛の犬を捕獲吸収した次の瞬間、肉塊はさらなる苦声をあげ始め、全身を激しく伸縮させ始めた。


「う…………ぁ……ァ゛…………AAA…………」


 ぎちぎちと奇妙な音と鳴き声を上げながら、不定形の体を固着させ始める。

 人間のような二本の足を触手のように生やし、土の上にぺたぺたと自分の存在を確かめるように踏み立つ。

 グロテスクに筋肉をそのまま表したかのような見た目のそれは、だんだん人肌のような色を作り出し、人間の女性の如き脚線美を描く様相となった。

 離れ離れになっていた脚は少しずつ距離を縮め、体育座りのように膝を曲げて隣り合う。

 直後、本体の肉塊はさらなる変化を見せ始めた。

 アメーバのような動作ばかりだったそれは、色をそのままに人間の形を作り始めた。

 太腿から上、腰、腹部、胸部、両腕。首から下の人体が形成されていく。

 仰向けに造られたその身体は、踵から生やしたカブトムシの角を地面に突き刺し固定した両足を支点に起き上がり、ぐらりと前後に揺れ動いた。

 そのしなやかな身体は、まさしく人間の女性の肢体。

 頭部がぐちゃぐちゃな肉塊のままであることを除けば、誰が見てもその存在をただの人だと勘違いさせられるだろう。


「ぁ……ぎ…………93_*$……?」


 両足の支えを解き、肉塊が変化した女性は覚束ない足取りでふらふらと歩き始める。

 途中、すれ違いざまの通行人にぶつかるように如く一本の木に左肩が当たってしまう。

 次の瞬間、彼女の肩は大きくズレ歪み、ぶらぶらと左腕が繋ぎの肉塊によって吊り下げられ揺れ動いた。

 じゅるじゅると音を立てて肩を元に戻し、再びどこかへと歩いていく。

 不安な足取りは、慣れてきたのかだんだん人間の身体に必要なバランス感覚を身につけ始める。

 それに続き、未だピンク色のスライムのままだった頭部の形が少しずつ固定化され始めた。

 首、顎、唇、鼻、耳、眼、髪。歪み震えながら形状が洗練され始める。

 そして、色付けされていないフィギュアのような頭部が形作られ、それから間もなく人肌の雰囲気を完璧に再現された色が自然に付き始めた。

 自身の本来の色の面影を残したような赤い髪色に、おぞましい姿の面影もない自然な人間らしさ。

 その姿はまさしく、人間の女性と一切の遜色が無い完璧な物だった。


「ぁ……ァ……A……ア……あ……ああ…………や、やっと……うう…………形を保てたわ…………」


 本能的な恐怖を呼び覚ますような声はいつの間にか無くなり、つい先程まで肉塊だった女性は目眩を起こしたようにふらつき、人間の言語を口にして木を支えに身体を預けた。

 やっと、という言葉の通り、まだ慣れていない様子を表すように、身体のあちこちが時折崩れ、じゅるじゅると歪んでは人の形を取り戻す。

 苦悶の表情を浮かべて息を切らし、右手を気に当てて一部を抉り取り、剥いだ木肌を体内に沈めて吸収する。

 それから彼女の息は、ようやく少しだけ落ち着きを取り戻した。


「まだ、コのまマじゃまだ崩れちまう……あたしが生きるため……どうにかしないといけません……うう……身体中がチクチクするずら……」


 非常に口調の不安定な独り言を口にしながら、道中で樹木の一部や落ち葉、地中に眠る昆虫を吸収し餌とする彼女。

 全身に襲う、痛むほどでは無いがとても不快な感覚を嫌がり両腕の肌を擦るが、気休めになる程度で納まる気配はない。


「やっと、あの糞溜めみてえな地獄からEscape出来たんじゃから、絶対に生きてやるのだわ……でも、一体どこに行けば……」


 右も左も分からない森の中。どこへ向かえばいいのかわからない。

 彼女は最初の指針を確定させるため、右腕を空へと向けて思いっきり木よりも高く伸ばす。

 視界が晴れやかになる位置まで伸ばし切り、手のひらに眼球を生やして周囲を確認する。すると一箇所、世界の中心であると主張するような大樹を中心に添えた巨大な街の存在を確認した。


「あそこに行こうか……何か、少しでも助けてもらえるといいですけど」


 どうなるかわからなくても、一先ず自分が行くべき場所は決まった。

 どう転ぶかわからないし、もしかしたら自分の素性から酷い目にあうかもしれない。

 それでもずっと森の中で留まっているよりは確実にマシである。

 肉色の髪の女性は伸ばした手を戻し、身体を時々休めながら、記憶に留めた方向を目指してゆっくりと足を進め始めた。

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