第113話 風が吹く

 B.O.A.H.E.S.による被害は、アルフヘイムの至るところに及んだ。

 降り注いだ肉塊によって建物は破壊され、避難しもぬけの殻になった場所に置かれていた有機物を取り込み巨大化し、一個の敵生体と化した。

 だがそれらはネフライト騎士団第二部隊によって、街中に溢れ荒らし尽くす前に殲滅された。

 しかしその被害は甚大であり、建造物の崩壊や、場所によっては食料品を扱う店舗は野生の猛獣が大量に入り込んだように食い荒らされ、まだ売り切れていない在庫を失う程のダメージを受けた。

 後にある程度の補償こそ行われたものの、その家の持ち主の根城が崩され、復興が進むまでの食い扶持が消え失せてしまったことは多大なるダメージとなった。


「いらっしゃーい! 今日から再開だよー!」


「品揃えもきちんと揃えてありますから、見ていってくださいねー!」


 そしてそれは、ティアの両親が経営する青果店も例外では無かった。

 が、被害そのものは他店舗よりも少なく、エルフィやラント達の手伝いもあって、早めの再開を進めることができた。


「チェリーパンプキン二つですね、ありがとうございます!」


 再開一日目ということもあって、ティアも両親の手伝いの為に店頭へと顔を出していた。

 元気いっぱいな清水の如き笑顔を振りまき、道行く人々の視線を集めては、手伝いを重ねて培ってきた手捌きと効率的な動作で次々と客の流れを進めていった。


「ディルウィード一袋分ね。はいどうぞ」


 両親のリアナとエリックも、次々と在庫分を持ち出しては店頭へと並べていく。

 周辺店舗の再開がまだ殆ど行われていない分、いち早く始まったこの店に次々と客が押寄せる。

 その売買の流れはしばらくの間続き、一旦収拾がつくまでに三人はずっと手足を動かして商品となる果物、野菜を売りに売り続けた。




「ふう……いやー疲れた疲れた。大盛況だったなリアナ」


「ええ、売り出すチャンスと嗅ぎつけた判断、さすがエリックね」


「ははは、そういうリアナも見事な立ち回りだったよ」


 隙あらば惚気を見せる夫婦を横目に、店舗の休憩時間中に設置した木の椅子に身体を沈めて休まるティア。

 その時、店の前を偶然通りかかったアリシアが声をかけてきた。


「ようティア、お疲れみたいだな」


「アリシア……もうずっと隙間も無くて大変だった……」


「あっはっは、本当に参ってるな。そういや、大我の調子はどうだ?」


「それなりに回復には向かってるみたい。まだ動くことすらままならないから私とエルフィで世話をして、たまにパパとママに手伝ってもらったりで」


「なるほどな、ならあんまり心配なさそうだな。そういや、そっちの野菜とか果物は無事だったんだな。畑は大丈夫なのか?」


「畑? パパ、畑に何かあったりした?」


「いいや、うちの畑にはそういう話はないな」


「そうか、てことは運が良かったみたいだな」


「ん、どういうこと?」


 いまいち話が掴めないティアは、身体を前に傾けて疑問符を浮かべる。


「ほら、ボアヘス……って名前だったか。あいつがぶち撒けた肉が農場とか森の中を食い荒らしまくってるらしくてな」


「ああ、その話は聞いたよ。コルトさんとこのは相当酷いとか」


 同業者との情報共有から得た話を口にするエリック。

 アルフヘイムを特に攻め立てるようにばら撒いてはいたが、その狙いが常に正確というわけではなく、まるで回転するシャワーのように明後日の方向へと飛び散る物も存在していた。

 それそのものは微量ながら、周辺に大きな二次災害を引き起こし、場合によってはその場にいる従業者だけでは手に負えない事態になっているということもあって、紹介所には無数の関連したクエスト依頼が投げ込まれていた。


「あたしもさっきそれ受けてきたんだけど、まー酷かったわ。芋畑であいつの超縮小版みたいなのが角とか口とか生やして土ごと食い荒らしててさ、気味悪いからすぐ燃やしちまった」


「あはは……さすが」


「あれみたいにでかくもねえ限りはたいしたことないのばかりだから稼げはするけどよ、やっぱあれは気分乗らねえな……なんか、根本的に気持ちわりい」


 生理的な嫌悪感が肉塊の姿からどうしても付きまとうのか、アリシアの表情には時折、まさしく不愉快を形にしたように歪んでいた。


「ま、何もないならよかったよ。しばらくは気をつけといてくれよな。ああそうだ、今は休憩中だっけ?」


「そうだけど、何か買いたいものとかあった?」


「まあ折角の休みを邪魔するわけにはいかねえからさ。そこのトマト三個くらいを取っといてくれないか? 依頼達成の報告してくるから、その帰りにでも買うよ」


「ありがとねアリシア」


 二人の性質の違う美少女は互いに太陽のような笑顔を向ける、

 そしてアリシアは、そのまま街の中へと消えていった。


「うーん、やっぱりうちも放置しておくわけにはいかないか……」


「この際、護衛でも雇いましょうか?」


「そうだな。話が上がるうちはその方がいいだろう。予算は…………」


 二人が真面目な話に入り込んだその横で、ティアは人々の悲鳴が消えたいつもの街並みを眺めて、心を落ち着かせ休めていた。


「あの時の騒がしさが嘘みたい」


 これまで生きてきた人生、かつこの一年の中の僅かな時の出来事だが、それは街の様子、空気を一時的にも恐怖に陥れるには充分な出来事だった。

 下手をすれば、世界の終焉を覚悟しなければならない程だったかもしれない。

 しかしその事態も、とてつもない力を持った猛者達、友達のラントやアリシア達のおかげで退けられた。

 何より、バレン・スフィアという未曾有の恐怖を取り除いてくれた大我のことも忘れてはならない。

 未だ危なっかしさも残るし、心配事も消えたわけではない。だが、そんな大事をやってのけてくれたことを忘れることはないだろう。


「ティア! すまないけど、ちょっと依頼申し込んでくれないかな? 内容書いたメモと報酬金は渡しておくから」


「はーい、任せて!」


 ティアはエリックからの頼みを快く受け、渡されたメモと予算金となるヒュームを入れた袋を持って、紹介所へと駆け出していった。


「優しい娘に育ったわね」


「ああ。リアナに似てね」


「やだもう……あなたったら……」


 胸にクリティカルに突き刺さったか、いつもの惚気から顔を赤らめて、うまい返しが思いつかないまま下を向いた。


「えっと、こっちは人が多いから……こっちから行こっかな」


 ティアは頭の中で覚えている道程を思い浮かべ、人通りの多さと相談しながら進路を決めて紹介所へと向かっていった、


「…………っ!」


 道中、ティアの頭に今までに感じたことのない奇妙な感覚が走った。


「気のせい……かな」


 痛みとも不快感ともどこか違う、持続的なものでもなく、ただ一瞬だけ響いた身に覚えのない何か。

 何がなんだかもわからないたった一度の現象に深く考えても仕方ないと、ティアはそのままたった数秒の出来事を忘れて再度走り出した。

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