第100話

 手についた肉を振り払い、手のひらにバチンと握り拳をぶつけて音を鳴らす帰ってきたアレクシス。

 フロルドゥスによってもたらされた穢れの枷が完全に振り払われ、アリアによって万全の体調に引き上げられ、まさしく有り余るほどに絶好調の状態。

 10年ぶりの身体の奥底が求めていた戦いについに赴くことができる喜び。アレクシスは地下で見せることのなかった最高の笑顔で推参した。

 その全身から発されるオーラに気圧されることもなく、次々と動き迫ってくる無数の人型の肉塊。

 それをアレクシスは鼻で笑い、じりっと右足を地面に擦り右手を大きく拡げた。


「ったく、もう少し余韻に浸らせてくれてもいいだろうに」


 やれやれといった仕草を見せた直後、その眼光は一瞬にして殺気を帯びて鋭く光る。

 一体一体の立つ位置、進行方向、歩行速度を把握し、だいたいの見当をつけた。


「気の利かねえ奴らだなッ!!」


 拡げた右手を、地響きの幻聴が聞こえんばかりの勢いで地面へと叩きつけた。

 大地が揺れ、歩みを進める人型の肉塊達はぐらりとバランスを崩し始める。

 それでも捉えた標的を破壊する為にと、本能のままに足のように見える部位を動かそうとしたその時、足元がひび割れ盛り上がり、天へとせり上がる鋭利な石柱が肉塊達を貫いた。

 たった一撃で、さらなる尖兵たちを葬り去ったアレクシス。まさしく力が有り余っているというパワフルさが、ラント達の窮地を救った。


「ありがとうアレクシス。ギリギリのところで助かったよ」


「お礼は後にしろエヴァンよ。それよりも、一度門の方へ戻るぞ!」


 ラントが抱えていたエミルの腕を取り、軽々と荷物を受け取るかのように背負い込む。

 細かく話している余裕はないという雰囲気を込めた強い声を放ち、アレクシスは先陣を切って南門の方向へと走り出した。

 その後ろを、荷が軽くなったラント、エヴァンとアリシアがついていき、道中に襲い来るモンスター達を振り払い、貫きながら前向きに後退する五人。

 途中、勇みながら飛び込んできた上で下がるということは、ただの撤退というよりも何か策があるのだろうかと疑問に思ったエヴァンが口を開く。


「アレクシス、一体何をするつもりなんだ」


「なぁに、まずは戦力の増強だ。戻ってきたのは俺達だけじゃあねえんだよ」


 この返答一つに何かを察したエヴァンは、アレクシスの後方で信頼の笑みを浮かべ、まずはそれに乗っかろうとそのまま走り続けた。


「ぐっ……申し訳ない……私を荷物に……」


「気にするな。こんな滅茶苦茶なとこでボロボロになって生きてるってことは、お前さん相当耐えたんだろう。まずは休んでくれ」


「…………感謝する」


 五人の中で最もダメージを受けているエミルは、自らへの悔しさと不甲斐なさから、自身を背負っているアレクシスに噛みしめるように謝罪を口にし、そこから返ってきた優しい一言にそっと心からの敬意とお礼を伝えた。

 

「オラオラオラァァァ!! お前達には俺の小指一つ奪えんぞ!」


 活気を取り戻したアレクシスは豪快に啖呵を切りながら、迫ってくる敵には足元を踏み抜き、それを詠唱として得意の土魔法で蹴散らしていく。

 そしてまもなく南門付近まで辿り着く直前、十数体程の肉塊とキメラが混ざりあった巨大な異形のキメラが、人間の胴体と蛇の頭部を持ちながら、別々の生物の8本足でケンタウロスのように南門の方向へ走り出す。


「ははっ、ありゃすげえな。あんなのと戦ってたのか」


「アレクシスさん! あのままじゃ……」


「心配すんな。あいつらは先には進めねえ」


 暴走機関車のように駆け抜ける巨大なモンスター。アレクシスはまるで敵の死が見えているかのようにそれに対する心配をする様子は微塵もない。

 そして、モンスターが南門まで残り50m程に達したその時、空まで響くような野性的な雄叫びがこだました。


「ううううおおおおおおおおおおおァァァァァァァァ!!!!!!」


 雷光を帯びて空を切る一つの人影。狼の顔と毛深い全身、そして獣の意匠ともなる尻尾。

 それは乱雑な足音を鳴らすモンスターの上半身に飛びかかり、肉を握りちぎるような握力で首を掴んだ。


「あいつは……!」


 その電撃、野心に満ちた気性の激しい獣人の姿。決して忘れるはずのないライバルの一人。

 遠くから目に見える姿に、エヴァンはさらなる光を見出した。


「迅怜!!」


「吹き飛べえええええええええ!!!!」


 雷鳴の如き叫びと共に、両手から細胞ごと焼き尽くすような電撃を放ち全身に浴びせた迅怜。

 防御手段も持たず、ただ甘んじて受け止めるしかないモンスターの上半身はガクガクと体液を漏らしながら痙攣し、煙を上げてぐったりと脱力した。

 だがその雷撃からギリギリで難を逃れたか、8本足の下半身は触手のように形状を変化させ分離し、一体ずつに分かれてアルフヘイム内部へと再び前進した。


「小癪な!」


 止めに握った首を捻りちぎり、迅怜は逃げ出した残党を追いかけるべく振り向き、足をバネのようにして飛びかかった。

 その時、南門の向こうに一人の姿を捉える。


「貴方達はこの街には入れさせない」 


 肉の雨と槍によって荒れ崩れた入口を、ページの開かれた本を持ち優雅に歩く、白銀の長髪がたなびく白黒入り混じるドレス姿の女性。

 一歩歩くたびに、足跡の代わりに氷の華が咲いては散っていく。まるでその場には似つかわしくないような優雅な姿だが、瞳の奥には戦意を形にしたような意志が籠もっていた。


「これ以上、好き勝手させるわけにもいかないもの」


 ページをぱらりとめくり、記された一文をなぞりそっと聞こえないほどの声でつぶやく。

 その時、分離した触手達の頭上に刃のように鋭利な氷柱が吊り天井の如く生み出された。

 本を閉じた次の瞬間、次々とそれは殺意を籠めて降り注ぎ、破砕した氷の山へと埋もれていった。


「クロエ! 君も戻ってきたのか!!」


「……ただいまエヴァン、アレクシス。ようやく戻ってこれたわ」


 撃退の直後、南門へと到着したエヴァン達がようやくの再開を果たす。

 クロエには、バレン・スフィア消滅以前にやってきた記憶は残っているが、正気に戻ったことによる本当の再開はこの時が実質的には初めてだった。

 表情の一つ一つにクールで美しい、まさしく銀界の魔女と呼ぶに相応しい印象を強く受ける。

 が、エヴァンは一つ少しだけ気になったことを質問した。


「そういえば、その氷の華ってどうしたの? 前は確かそういうのなかったような」


 こんな時に突っ込まれるとは思っていなかったクロエは、無表情気味のまま少しだけ白い頬を赤らめて目を逸らす。


「…………こ、こういう登場かっこいいかなって思って、つい」


 以前からずっと心の中で温めていた、自分らしさを出しながらのとても雰囲気の出るかっこいい登場シーン。

 いざそのチャンスがやってきたと試したところで、すぐには突っ込まれることはないと思っていたが、予想外に早い言及に急激に恥ずかしくなってしまった。


「おい、俺の事も忘れんなよお前ら」


 突然生まれた和やかな空間に、ツッコミながらズカズカと入り込んできた迅怜。

 当然忘れているわけはないと、エヴァンは頷きながら笑顔を向けた。


「覚えてるから大丈夫だよ。……戻ってきてくれてよかったよ迅怜」


「はっ、お前こそ、とんでもねえ姿になりやがって」


「後遺症みたいなものだからね。仕方ないさ」


 ようやく言葉を交わせたことを嬉しく思いながら、かつての仲間たちが集結しこみ上げてくる感情をギリギリで抑える。

 ずっと心配していた懸念が消えたことに歓喜したいが、今それは行うことではない。

 皆は一斉にB.O.A.H.E.S.へと視線を集め、次にするべきことのために心気を調えた。

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