第63話

 フロルドゥス。その名前を聞いたエルフィの胸に抱いたのは、戦慄でも恐怖でもない、純粋な疑問だった。

 エルフィは何度か、この世界の住人として生まれ製造された者のリストとなるデータベースを覗いたことがある。

 その中には、一つとしてフロルドゥスという名前の者は存在しなかったはずである。

 もしかしたら、死亡した者を含めて隈なく探しきれば存在しているのかもしれないが、そうでなくてもここまで強大な力を持つ人物ならば、何かしらの世界の住人としての残照は残っているはず。

 だがそのような逸話も伝承も、噂すらも一切無い。ただバレン・スフィアというこの能力の話があるだけ。エルフィの奇妙な疑念は強まっていった。


『そんな名前聞いたことないって顔してるわね』


「っ……どこからか見てやがんのか」


『ここからこの能力を通して見えてるわよ。わっかりやす』


「うるせえ! それより、てめえのことはちっとも聞いたことねえぞ。どうなってやがる」


『当然よ。私、この世界には『存在していない』ことになってるんだもの』


「存在していない……?」


 理解が追いつかない。この世界には、アリアが知覚できない住人の製造システムは存在していないはず。

 その目を掻い潜って自らを生み出したというのか、それとも既に存在している住人がなんらかの異常を起こしてこのような異質な変化を辿ったのか。

 いずれにせよ、今すぐにはその答えには到達できそうにない。直接聞こうにも、ここまでの騒ぎを起こすならばそれ相応の目的があるはず。

 そんな相手が、このような絶対的有利の状況で自らの境遇や過去を遊び以外で吐露するとは思えない


「ええそうよ。けど、その理由をわざわざ教える程私はお人好しじゃないもの。ここまで言ったのは、どうせあんたらはここでくたばるから。目の前に餌釣り上げられたまま死んじゃう姿を観たいだけ。剣を持ってるのにいちいち弱い子供を警戒する必要もないし」


「この野郎……」


「恨むんなら、私に勝てない世界に作った自分の親を恨むことね。私は高みの見物させてもらうわ。あんた達二人がどれだけ足掻くのか、どれだけ血反吐を吐いて苦しんで、泣き言を言って醜く命乞いするのか。楽しみにさせてもらおうじゃない」


 ひたすらに嘲笑の声色を加えた侮蔑を吐き捨てるフロルドゥス。

 会話を交わしていても、肝心の相手は目の前におらず、怒りをぶつけようと思っても虚しく空振りのシャドーボクシングに終わる。

 己の無力さに打ちひしがれかけたその直後、エルフィの周囲にありえないはずの足音が一つ、また一つと聞こえてきた。

 このような場所に今更来るような者などいるはずがない。先程のゴブリンはあくまで迷子のようなもの。野生生物のような存在ならばいざ知らず、今耳に入っている音は確かに二足歩行、人型の足音。

 エルフィは翼をはためかせながら身体をぐるっと回転させて周辺へと目を向けた。

 そこには、ゆっくりと一歩ずつ、ふらふらとエルフィへと近づいていく無数のアンデッド達の姿があった。

 スケルトンと同様に骸骨のみで動くモノ。四肢や胴体や顔にのみ皮膚を残して、ボロボロの衣服と共に骨格を晒すモノ。人型の姿をほぼ殆ど残したままに、一部の皮膚や破れたり首や四肢などが捩じ折れているモノ。子供大人男女種族関係なく存在している。

 呻き声を上げて、悲鳴のような電子音を上げて、その無数のアンデッドは一切の思考もなく一つのポイント、エルフィ目指して動いていた。


「なんだこいつら……こんな数、一体どこに」


 わらわらと湧き出してきた敵に、ほんの少し、だが確実に怯むエルフィ。

 そして、眼の前まで近づいてきた一体のアンデッドが自らの腕を、羽虫を叩くかのようにエルフィ目掛けて力強く振るった、



* * *



 一方のバレン・スフィア内部、舐め腐ったような女性の声もエルフィの声も聞こえず、視界にもその姿は捉えられず、もしすぐ近くにいても孤独を感じる程に静かになった大我の周囲。

 今大我の瞳に写るのは、常に蠢き歪む膜と、ずっと先にて人の城のように強固にそびえる大群。

 外へ出るという初歩的な抵抗が一切できないとなれば、大我が出来ることはただ一つ。


「やるしか、ねえよな」


 一人で何千の大群を全滅させる。エルフィと二人で立ち向かうとしても無茶としか言いようがない結論。

 最も早い方法は、このバレン・スフィアの主であろう女を一点に叩き潰すことだろうが、どこにいるかもわからないしそもそもこの場にいるのかもわからない。

 その一方で大群を放置していれば、されるがままに攻撃されるのは間違いない。逃げることすらできないならば、嫌でも正攻法で立ち向かうしかない。

 大我は大きく深呼吸をして、息を吐き出した後で左手で拳を受ける。


「よし、やってやろうじゃねえか!」


 授けられた相棒の力は間違いなく借りることはできない。純粋に自分の肉体のみで鋼鉄の軍勢に立ち向かう。技量的にはあまりにも時期尚早、頼れるのは施された強大な身体能力と直感のみ。

 怖くて仕方ない。足が震える。手が震える。声で言葉で表層の態度で己を奮い立たせても、圧倒的なまでの壁を前にしては死という結論が見えてしまう。

 だがどこか、それとは別に澄んだ気持ちである自分もいる。

 無数の感情と反応が矛盾しながら入り混じる。戦いの時にはどんな感情でいれば最善なのかなど、それとは無縁だった大我にはわからない。

 ならば今、この溢れるままを全身に走らせ、全霊を賭けてぶっ潰してやろうじゃないかと。

 元よりここまで来たのは、皆の惨状を放っておけない。ここまで酷い事をした者が叩き潰さねば気が済まないという情動に任せたもの。

 いつかその時が来るならば、今この時打ち破る。大我は右足を下げて地面を抉るほどに力を入れ、真っ直ぐその視線を照準を、最前に並び立つ黒い骸骨達へと定めた。


「すぅ…………ふぅぅぅ…………いくぞおおぉぉぉぁぁぁぁぁぁ!!!!!」


 もう一度大きく息を吸って吐き、最後の一歩への覚悟を決める。

 そして、大我は腹の底からの叫びと共に後方へ大波のような土飛沫を脚力のみで放ち、全力のダッシュを以て、正面からのただ一人、たった一人の戦いの幕を上げた。

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