第62話
「冗談だろおい。こんなとんでもねえのが誰も見えなかったってのかよ」
先程のエルフィの発言の通りならば、逆を言えば過去のバレン・スフィアは現状よりもまだ小さかったはず。
10年の月日で大規模の大群が造られた可能性も否定できないが、そんな拡大前であるにも関わらず、これ程の数をただ単に見逃すとは到底思えない。
そうなれば、一人ひとりの視界や認識を、この存在を隠すために弄られたとしか考えられない。
どこまで無駄に用意周到なのだと、そして何を相手にしているのだと、大我は一歩後退りたじろいだ。
「逃げろ大我! 今の俺達じゃ手に負えない!」
「わかってるよ!」
バレン・スフィアの外側からエルフィが必死に叫ぶ。一撃で倒せる敵の比率が多くとも、人間一人と精霊一人で目測何千もの敵を全滅させられる可能性は低い。
ここは一旦退いて体勢を立て直すしか選択肢は無いと、二人は迷わず退却の選択肢を取った。
振り向いて全力で後方にダッシュし、来た道を戻る。今すぐに叩き潰すことができないのは歯痒い。しかし大きな収穫は得た。
軍勢と言っても過言ではない数のモンスター達が内部に存在するという新たな情報を元に可能な限り策を立て、改めて攻め入る。
だがその考えが通る程にこの状況は甘くはなかった。大我は走り続けるうちに強い違和感を覚え始める。
「どういうことだ。エルフィ! そこにいるのか!? 何がどうなってる!?」
既に大我の足は、砂地ではなく無数の植物生える森の中へと入っているはず。地面を踏む感触も変わっているし、現に足元には無数の草が生えている。だが一向にべったりと張り付かれたようにバレン・スフィアから抜け出せる気配が無い。
今現在も、大我側から外の様子は見えない。今何が起こっているのかを知るには、膜の外側にいるエルフィからの情報を得るしかない。
嫌な予感がすると、大我は外側にいるはずのエルフィを呼びかける。
「やられた……おそらく今、バレン・スフィアはお前にくっついてやがる」
「なんだって……!?」
エルフィは今、造り出されてから今までの中で最も焦っていた。
現在バレン・スフィアは、まるで柔軟な液体生物が取り込んだ獲物を如く、球体状の本体から大我に食らいつくように引き伸ばされている。
いくら魔法による攻撃を叩き込んでも、内部まで通らず表面で無効化される。
エルフィは失策を犯したと青ざめた。距離を大きく開けていた分、接敵するにはまだ余裕があるだろうと。過去のように公にもしていないなら、事前に情報も無いのだから時間は残されているだろうと。
甘かった。バレン・スフィアは何年もの間、その場で誰にも潰されることなく鎮座しているのだ。その臭いを漂わせずとも索敵の術を持っている可能性も大いにあった。もっと周辺の状況に気を配るべきだった。
よりにもよって大我一人を的確に捕らえられるとは。エルフィは一瞬でも逃亡の術を作り出そうと、勢いをつけて自ら飛び込もうとする。
「ぐうっ! がああああああっ!!」
「エルフィ!」
エルフィの身体は、バレン・スフィアの表面に触れた瞬間にその勢いが殺された。と同時に、これまで上げたことのないような悲鳴を叫んだ。
膜に遮られたわけではない。穢れという名のウィルス、そして膨大なバグの濁流に、身体を止めざるを得なかったのだ。
本来エルフィは、そのようなものに対して強大な処理能力を以て最適化し排除するためにも造られた。大我が生きていた時代で言えば、セキュリティソフトのバージョンが常に最新に保たれているようなものである。
にも関わらず、それが一切太刀打ちできなかった。エヴァンからもたらされた情報を元にした防壁を以てしても全く通用しない。
バレン・スフィアも日々更新されている。エルフィは一歩も踏み入れることができず、一旦交代するしかなかった。
「クソっ! どういうことだよ! 俺でも対抗できないなら、どうにもできないじゃねえか!」
『はーい! ご名答! それなりに理解力あるじゃない』
その時、どこからともなく響くような女性の声が聞こえた。
エヴァン達が言っていた声はこれのことかと、大我とエルフィは周囲を警戒しながら神経を研ぎ澄ませる。
「どこだ、どこにいやがる!」
「まさか、ここから」
『そこの精霊は大正解。でも、あんたはわからなかったようね、猿の桐生大我』
「こいつ、俺の名前を……」
バレン・スフィアの膜を通して音声を流していることに気づいたエルフィ。
何を狙っているのか、何をしようというのか、相手側の狙いが全くわからない。
『ふふ、残念だけど、あんたは一生ここから出ることはないわ。あんたを基準に動く様に固定したから、もし逃げようとすれば地の果てまで張り付く。そこからこれをばら撒くことも容易いのよ』
「……つまり、もう街には戻れないってことか」
『正解! それなりに理解力あって偉いじゃない。後でご褒美あげないと』
徹底的に人を舐め腐った態度と言動で挑発を続け、大我の感情を逆撫でする謎の女性の声。
しかしその中で言及されたバレン・スフィアの呪縛。これを解かぬ限りは、アルフヘイムへ戻ることも、ティアの家に戻ることはおろか、この世界で生きていけるかも怪しい。
大我の精神に小さな傷をつけるには充分すぎる突きつけだった。
「待ってろ大我、今どうにか」
『あはっ、ざーんねんタイムアップ』
せめてこの淀黒の膜に穴をこじ開け、そこから助け出すことはできないかと、エルフィは思考をフルに稼働させて対抗しようとする。
だがその足掻きすらも嘲笑うかのように、かろうじて内外を見通せた膜の透明度が下がっていき、ついには大我とエルフィ、互いの様子は動作の一つすら確認できなくなってしまった。
「おいエルフィ! 大丈夫か!?」
「大我! 大我!」
『無駄よ。もうあんたの声はこいつには聞こえない。こっちからシャットアウトさせてもらったわ』
音も光景も遮断され、一切の様子を確かめることができなくなってしまったエルフィ。
追い詰められた絶体絶命の状況。エルフィは歯を食いしばり、悔しさを噛みしめる。
「一体何者なんだてめえは! 姿を見せやがれ!」
『見せるわけ無いでしょ馬鹿じゃないの。わざわざ私に不利なことするわけないじゃない』
その焦りを一蹴し、嘲笑をまじえて正論をぶつける女性の声。その正しさが、エルフィの心を逆撫でする。
『うーんけど、名前だけは教えてあげる。どうせ終わるもの二人共』
天から見下ろす様にあまりにも大きすぎる余裕を見せる声。事実その裏付けは、今この状況がはっきりと説明していた。
「こいつ……!」
『ふふっ、私の名前はフロルドゥス。あんた達がバレン・スフィアと呼んでるこの空間――いえ、この力の主にして、この世界を喰い尽くす者よ』
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