第40話

 なるべく人の少ない暗がりのルートを選びつつ、かつアリシアが見失わないように速度と位置を調整しながら走り回るエヴァン。

 その思惑通りに後ろを走り追いかけるアリシア。

 それから大きく離れ、大我、エルフィ、ティア、ラントの四人が二人を追跡していた。

 なんとかついていけてはいるものの、兄妹二人の速さにいつ見失ってしまうかわからない。

 常に視線を合わせつつ、大我が初めて通る道もありながらなんとかついていく。


「……よし、ちゃんとついてきてる」


 ちらっと背後を振り向き、アリシアの足取りを確認するエヴァン。

 この一連の行動は、現在アリシアが穢れに侵されているという仮定の元に下された判断である。

 この兄妹の実力差であれば、押さえつけることは可能ではある。しかし、下手にエヴァン自身とのやり取りが長引けば、まだ認識していない人々に要らぬ被害が生まれる可能性がある。

 ましてや今いる場所は建造物の狭間の道。無駄に建物の破壊や騒音のような人々の生活を壊すような真似はできない。

 ならばせめて、殆ど目撃者が出ないであろうルートを通って大きく迂回してでも、まず誰の介入も無い自宅へと誘い込み、そこで一対一での対処をしようと考えた。

 そうすれば、今のアリシアの格好を人目につかせないままに事を終えることができるはず。

 突然の事態に仰天したとはいえ、押さえつけられた際にどうしてすぐに対処できなかったんだと後悔しつつも、これ以上事態を悪化させないためにちらちらと後方確認しながら、ひたすらに走り続けた。


「早く、ずっトあげられなかった、お兄ちゃんにプれゼントをアげたい……」


 そのような思惑を欠片も感じることもなく、穢れに侵されたアリシアはただ真っすぐに目の前の兄を追いかけた。

 その視界には純粋すぎる程に遠くの走る兄しか写っていない。

 きっちりと誘導されたルート通りに走っている現時点では、その足はエヴァンの手のひらの上である。


「ちっとも距離が縮まらねえ」


「もう少しペースを上げないときついな」


「今の距離ならまだ……」


 その二人を追いかける大我達は、その兄妹のスピードに振り回されながらも、なんとか食らいつくように走っていた。

 真っすぐの道ばかりではなく、建物と建物の間を縫うように走っている状態では、僅かなミスで一気に見失ってしまう可能性は大いにあり得る。

 さらに二人の身体能力は高く、いつ急激なルート変更がされるかもわからない上、大我がこの街に来たばかりであり、今通っている道は初めての場所ばかりである。

 エルフィのナビゲートや、ティアのとっさの指示もあってなんとかスムーズに走っているが、現状はまさしく平均台の上を歩いているような不安定さだった。


「もうちょっとかな。このままいけば」


 エヴァンは一度大きく飛び上がり、自宅との現在の距離を把握する。

 頭の中に描いたプラン通りに進んでいることを確認し、再び地上のルートへと戻る。

 それを一片たりとも見逃さなかったアリシアは、真似するように飛び上がり、兄が通ったルートをトレースしつつ、きっちりと追いかけていった。


「おい嘘だろ!? 見失っちまう!」


 予想外のルートを選択され、慌てて同じようにジャンプしようとした大我をラントとティアが引き止める。


「ちょっと待て! 今そんなことやってもむしろ距離を離されるだけだ。地上から追いかけよう」


「ええ。ただ飛び越えただけで道は繋がってますから、その方がまだ芽はあります」


 二人の見解は、兄妹を見失うという前提からの最善策を打つことだった。

 その提案を渡された大我は、直前の焦りから来る動揺を落ち着かせ、うんと一度頷いた。


「わかった、それで行こう」


 深く考えている時間は無い。ならば、この街をよく知っているし経験も豊富な二人の意見に従ったほうが間違いない。

 大我はそれを聞き入れてすぐに走り出し、とにかく見失ってもがむしゃらに距離を詰めることに専念した。


 地上へと戻ったエヴァンは、ペースを落とさないままに暗がりの十字路を真っすぐと突き進む。

 それを追いかけるアリシアも同様に、足跡を辿るようにやや離れた見失わない程度の位置からついていった、

 それから少しだけ遅れて、大我達がその道にやってくる。

 目の前に広がる三つの選択肢。悩む時間も惜しいと、正面をそのまま突っ走ろうとしたその時、その分かれ道で思わぬ人物と出会った。


「きゃああっ!?」


「おわっ!? って、セレナ?」


「えっ、その声、まさか大我さん? あっ、ラントもいる」


 やや大袈裟気味な驚き声と共に右側の道から現れたのは、まさかのセレナだった。

 以前出会ったときのような私服姿で暗がりを歩いていたその姿は、その明るい雰囲気からは意外な組み合わせにも思えた。


「なんでこんなとこで……」


「ただの散歩よ。別にいいでしょ」


「そうだ、なあセレナ、さっきこの辺りをアリシアが通らなかったか?」


 大我はダメ元で、見失いかけている二人の行方を聞き出してみる。

 情報があっても声くらいだろうなと思っていたところで、セレナは考えるような合間もなく口を開いた。


「ええ見たわ。お兄さんと一緒に走ってたんでしょ? みんなから見て正面を真っすぐ行って、そこから左に行ったわ」


 予想外に事細かに示された道筋。いくつかの疑問はあるものの、少しでも追いつきたい三人にとっては女神の施しのようにも思えるありがたい情報だった。


「わかった。ありがとう教えてくれて!」


 もう少しちゃんと伝えたい気持ちはあったが、大我は先の目的を急ぐために簡単にお礼を伝え、言われた通りの道を進んだ。


「……ありがとよ」


 口々にお礼を、ティアは笑顔で小さく頭を下げて、その場を去っていった。

 その様子を見ながら、セレナは軽く微笑んで見守る。


「がんばってねー」


* * *


 自宅まではもう間もなく。一気に飛んでしまおうかという考えも浮かぶが、元々この回り道はアリシアの恥ずかしい事態を最小限に止めようというもの。

 そもそも隠れて穢れを抑え込んでも、正気に戻った妹が全裸にリボン巻というぶっ飛んだ格好をしている恥辱に耐えられるかわからない。

 その他にもいくつも問題があるが、ひとまずはこれが被害の小さい最善の策だと信じて、エヴァンはとにかく走る。

 その一方で、一心不乱に兄を追い続けるアリシア。ただただ夢中で追いかけていたが、ずっとその状況が続いてるうちにようやく小さく疑問に思い始めた。


「どこマで追いカケればイいの? どコまで行くつもりナノ?」


 どうしてこんなに移動する必要があるの? ついていくってどこへ? どこまで? もしかして、本当は逃げてるの? どうして? 私はただ、プレゼントを受け取って欲しいだけなのに。だったら、私はどうしたらいいの?


 盲信の域にも入る好意に、ほんの僅かな綻びが生まれる。それは一瞬のうちに布に染み込んだ水のように広がり、新たな行動の選択肢を作り出す。


「だったラ、私二も考えガあルんだから」


 瞳の奥が小さく光り、アリシアはエヴァンへの追跡ルートから外れ、人々が溢れる露店通りへと向かっていった。

 この直後、エヴァンは定期的なタイミングの後方確認を行った。そこには、無心でついてくる妹の姿は無かった。


「いない……しまった!」


 可能性を考えていなかったわけではない。しかし、いささか信じすぎていた面もあったことは否定できない。エヴァンはすぐさま後退し、消えた妹を探しに行った

 その頃、当のアリシアは露店街に繋がる通路からゆっくりと姿を現した。

 そのあられもない姿に、商品を目当てにやってきた人々の視線が少しずつ集まっていく。

 本来ならば、そのような行為で喜ぶことも自ら行うこともないアリシア。しかしこの時の表情は嬉しそうな笑みを浮かべていた。

 当然それは、見られているから、注目されているから嬉しいというわけではなく、プレゼントを一向に受け取ってくれない兄に対して、自分に意識を引かせられるということへの気持ちだった。


「すぅ……せーのっ、みナさーーーーーん!! 私は」


 アリシアは街行く人々に向けて、大きな声で自分についてのことを叫ぼうとした。

 喋る内容そのものはなんでもいい。兄が注目してくれればそれでいい。狂わされ先鋭化しすぎた愛が、自傷行為に近い行動を取らせていく、


「おおらあっ!!」


 そして、まさしくそれを実行しようと声を上げた直後、背後から何者かが腕を掴み、一気に引っ張り暗がりの道の中へと戻していった。

 その声に視線が移った人々は、何があったんだろうと気になり野次馬の如く集まってくるが、目を凝らしてしっかりと確認してみても、既に誰もいる気配は無かった。


「離シて! 離しテよ!!」


 しばらく引っ張られ続け、アリシアは怒りのこもった声で手を弾く。

 せっかくの兄を引き寄せられる手段をぶち壊したのは誰だと、睨みつけるようにその手の主へと目を向けた。

 その人物は、一度距離を離されがらもなんとか追いついた大我だった。

 

「落ち着けアリシア! 頼むから!」


「私は落ち着イテる! 落チ着いてルの!」


 その強い語気と身振り手振り、険しい顔つきから、到底落ち着いているとは遠い姿を写し出す。右の眼球が小刻みに震えており、いかにもな危ない状態だと感じさせられる。

 少し遅れて追いつくラントとティア。その友達の見たこともない姿に、驚きの表情を隠せない。


「ナんでミンな邪魔をスるの! ずっトお兄チゃんに会イタかったの!! ずっと! ずっと会えなかった! ずっと待ってた!!」


 大我達に向けて放たれる、穢れによって大きく誇張されたアリシアの心情。

 明らかにそれは過剰に装飾されてはいるものの、どこか涙声にも聞こえるそれは、おそらくそれは心の底からの本音。

 大我達はそれに対して、押し黙ることしかできなかった。

 その直後、後方から一度戻ってきたエヴァンの姿がアリシアの視界に入ってきた。そうなると、頭の中の殆どはそれに埋め尽くされる。


「うわっ!?」


 アリシアは風魔法と炎魔法を組み合わせ、身体に炎を纏わせながら正面を突っ切っていく。

 その静まり返った空気に絡まっていた大我達は、一方反応が遅れ、直感的な避けるという行動しかできなかった。

 残り10mというところまで引きつけたことを確認し、エヴァンは一気に走り出し、再度その誘導のルートへと引き込んだ。

 夢中になったアリシアは、先程の行動的な疑念もどこへやらと、それまでと同じように、しかし速度と気持ちを早めて走り出した。


「アリシア……」


 大我達は追いかけようとしたが、つい先程に聞かされた心の叫びが頭の中で反響する。

 それがどこかひっかかり、その踏み出そうとする足を止めていた。

 ラントの潮が引くような名前を呼ぶ声が、その感覚を物語っていた。


「…………とにかく追いかけよう」


「追いかけるって、今からか?」


 僅かな足踏みによって、既に二人の姿は見えない。それでも大我は、変わらずまだ追いかけようと考えた。


「まだそんなには離れてないはずだ。ちょっとでも姿を確認できれば」


「……ちょっと思っちまったんだ。今回は二人の間で解決したほうがいいんじゃないかって」


「それは……俺もそう思った。けど、それでも何かできないかって、何かあったときに手助けできないかって。親しい相手がおかしくなったままじゃなんというか、むず痒くてしょうがないんだよ」


 大我の真っ直ぐな一言が、ラントの心にぶつかっていく。


「それに、穢れが原因ってなら、すぐに対処できるのは多いほうがいいだろ?」


 納得の頷きを入れ、一時の悩みにやってモヤがかったラントの心情は大きく晴れていった。

 その直後、周囲を見渡していたティアが、通路の明かり指す方を見て頭の上に電球が浮かぶ。


「そういえばここって、二人の家が近かったような……」


 ティアの記憶では、露店街からそう遠くない場所に兄妹の自宅がある。

 今までの進行方向から考えるに、やや遠回りではあっても向かっているのはおそらく自分達の家。

 もしその予想が当たっていれば、わざわざ同じように動く必要はない。大我達は堂々と街中を通って追いつくことはできるかもしれない。


「ねえ大我さん、ラント。今から追いかけるなら、思い当たる場所があるんだけど」


「本当か!?」


「うん。二人の家。ここから近かったはずだから、そこに向かえば」


「……よし、すぐに行こう」


 ティアが出してくれた助け舟。大我とラントはありがたくそれに乗っかる。

 そうと決まれば早く追いつこうと、四人は露店街へと飛び出し、ティアとラントを先頭に、兄妹の自宅へと人々の隙間を縫いながら駆けていった。

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