第25話

 大我達の前に現れたのは、ティア達と同じエルフの女性だった。だが、その様子は明らかに正常ではない。

 常にふらふらとしたその立ち姿に、ボロボロの衣服。絶えず異なる方向を向き焦点の合わない視線。閉じる気配のない力なく開いた口。首や腕、足の皮膚が剥げ、露出した内部。

 まるで機械のゾンビとも言えるような風貌が、明らかに異常であるという確固たる証拠となっていた。


「みんな気をつけろ! すごく危ない予感がする」


 エルフィが何かを察したのか、皆に警告を発する。


「……あの人、どこかで見たような」


 ふとアリシアが、そのエルフの顔に記憶を刺激され、構える弓の力が弱まった。

 直後、そのエルフは右腕を大我達に向けて突きだす。折れてぶらぶらしている指が、不気味さを強くさせる。


「####%&……AAA……!(=#?……さ…………m……」


 動かない口から、ぐちゃぐちゃに編集されたかのような音が流れ出る。

 その節々に人の声のような要素は耳に入るが、何を喋っているかは到底聞き取れない。

 何よりその声のような音は、大我達に不快感を与えた。


「なんだよこれ……」


「わかりません……私も今まで出会ったことがないです」


 その奇っ怪さに、この世界の住人であるはずのティア達も怯む。

 直後、そのエルフが突き出した手が少しずつ凍り始める。同時に、ばちばちとその周囲に電撃が走り始めた。

 何か起きようとしているのか、警戒心と緊張感が高まり始めたその時、エルフの後頭部に何かがぶつかったような音が鳴った。


「(@&&I@'%T@%!!!?」


 停止した表情のまま、悲鳴の如き電子音を鳴らすエルフ。

 その声から間もなく、エルフの頭部は突如として爆散した。

 爆風を目撃した瞬間に防御の態勢を取った大我達。目線を元に戻すと、頭部を失ったエルフの残骸とも言える身体が、ぴくぴくと不規則に全身を震わせて地面に倒れていた。

 その周囲には、破壊された頭部の一部らしき破片が散らばり、その横には、斑点のように一部分が紅く輝く一本のナイフが落ちている。


「なんだ、何か起きたんだ……?」


「あのナイフ、まさか……」


 状況の把握になんとか頭を回す大我。一方でアリシアは、その落ちているナイフを見た瞬間に目を見開き、小さく震えながら何かに感づいたように視線を森の中へと移す。

 そしてその先からまた一人、何者かが近づいてくる。今度はゾンビのようだったエルフとは違い、その所作も動作もきちんとしている。


「よかった。怪我はないみたいだね」


 大我達の前に姿を表したのは、長身かつ美青年と言える容姿を持った、爽やかな男性のエルフだった。

 しかしその雰囲気とは裏腹に、その青年の右手は赤黒く、ひび割れのような紋様が表れており、右眼はまるで何かに染められたかのように、右手と同様一見邪悪な色をしていた。


「なんだあんたは……敵なのか?」


「とんでもない、僕は敵でもなんでもないよ。僕は……」


「お兄ちゃん!!!」


 自身の情報を喋ろうとしたその男性の台詞を、横から今までに聞き覚えのない声色で、お兄ちゃんという呼び名と共にアリシアが遮った。

 喜と哀が入り混じった表情で、その兄と呼ぶエルフの男性へと飛びかかっていった。


「お兄ちゃん!?」


「おおっと! 全く、いきなり危ないじゃないか」


 大我がそのギャップ激しい柔い声に驚きを見せる中、アリシアに兄と呼ばれた男は、その妹の飛びかかりを華麗にバックステップで避けた。

 その姿は嫌がっているというわけではなく、何か細心の注意を払っているようにも見えた。

 避けられたアリシアは、持ち前の身体能力でうまく着地する。


「ねえ、ずっとどこ行ってたの……? それに、その姿……」


「ああこれね。後遺症というかなんというか、まあとにかく、おそらく害は無いはずだよ。でも、まだちょっとだけ離れさせてほしい」


 話の内容からして、長い間会っていなかったらしい様子の二人。

 周囲の皆はある程度把握しているようだが、一人事情が掴めない大我は、ただ会話を聞くだけでは全容が見えない。


「…………なるほど」


 アリシアの兄というその男は、何かに気づいたのか、じっと大我の方を見る。

 そして、地面に落ちたナイフを拾い鞘にしまいつつ、ゆっくりと歩いてきた。


「どうも、僕はエヴァン=ハワード。妹が世話になってるようで」


「き、桐生大我……桐生大我だ」


 丁寧な手つきで名乗りつつ、エヴァンは赤黒い異様な右手を差し出した。

 一部分の禍々しさとは裏腹の、爽やかで裏の感じられない笑顔。握手を求めているというのは理解できるが、アリシアの兄とはいえ何があるのかわからないその手に、大我は若干躊躇した。


「大丈夫。君には影響はないはずだよ」


 その一言に、大我は自分について何かを察しているのだと考える。

 何を知っているのか、自分が現世界の法則とは違う生身の人間だと知られているのか。警戒心は解けないながらも、大我はゆっくりと、その差し出された手に握手をする。


「ねえお兄ちゃん、なんでいきなりいなくなっちゃったの? 酷い状態でも、戻ってきたのもいたのに……」


「話はまた、落ち着いた時させてくれ。本当はまだ出てきたくはなかったんだけど、今回は警告の為に出てきたんだ」


「警告?」


「うん。アルフヘイムの周囲、シルミアの森に妙な外敵が増えつつある。今はまだなんとかなる範囲かもしれないけど、時間が経てば、おそらく街にまでその脅威が到達するかもしれない。だからみんな、その時に備えたほうがいい……僕が今伝えるべきはそれだけだ」


 唐突にもたらされた警告。話題が繋がっているのか定かではないが、アリアが言っていたのはこのことなのだろうかと、大我は考え込む。

 その通告を終えたらしいエヴァンは、背中を向けて、再び森の中へと消えようとしていた。


「待って! 待ってよ!」


「ああそうだ。このこと、出来ればネフライト騎士団の方にも伝えておいてほしい。それじゃあ、また会えるときまで」


 妹の静止する声を遮るような追加の頼みを伝え、エヴァンはそのまま森の中へと去っていった。

 その姿をずっと見ていたアリシアの背中は、悲しいという文字が浮き出ているかのように沈んでいた。

 大我達の間に、嵐が去ったあとの様な静寂が包む。


「あ、あの…………また敵がいたら危ないですし、そろそろ……戻らないですか?」


 その間を取り払ったのは、意外にもルシールだった。

 緊張したような面持ちで、勇気を振り絞って発言したのだろうという姿が察せられる。


「そう……ですね。大我さん達の依頼はこれで終わりなんですよね?」


「まあ、多分な」


「じゃあ、早く戻った方が良さそうですね。……エヴァンさんが言ってたこともありますし」


 ティアのその発言が潤滑油となり、一旦の行動の指針が定まった。


「そうしよう。考えるのはここを出てからだ」


「ですね。さ、行こうよアリシア」


「…………うん」


 ティアが落ち込んだアリシアの側まで近寄り、肩を叩いて声をかける。

 その姿には、いつもの男勝りで快活な雰囲気の少女の面影は無かった。

 こうして一行は、寄り道もせず真っ直ぐに、アルフヘイムへの帰路についた。


* * *


 アルフヘイムへと戻った大我は、ティアとアリシアの二人と別れ、直接恵みの足跡の方へと向かい、報酬を受け取った。

 そしてそこで、偶然にも訪れていたリリィと遭遇を果たした。


「ありがとう。無事依頼を果たしてくれたようだな」


「ええまあ、色々あったけど」


「しかし、少女二人と向かうというのは些か……」


「セレナが勝手に頼んだことだから、気にしない気にしない」


「……危険だから、あまり首を突っ込まないようにな。特に神憑の君には、危険が及んでほしくはない」


「はーい」


「……はい」


 二人への注意を促しつつ、お礼を伝えるリリィの姿は、まさしく凛々しい女騎士という風貌だった。とてもこれが、女神の傀儡だとは思えない。


「ああそれと、エヴァンって人が、あんた達に伝えてほしいってメッセージが」


「エヴァン……わかった、聞かせてくれ」


 その名を聞いたリリィは、一瞬表情を強張らせた後、迅速にその話の詳細を問う。

 大我は、要点を自分なりに脳内でまとめ、エヴァンの話をきっちりと伝えた。


「わかった。彼が言うならおそらく間違いないのだろう。情報提供、感謝する。それでは私はこれで」


 険しい表情を保ったまま、リリィは一礼を行い、そのまま外へと去っていった。


「じゃ、セレナもこれで。連れてってくれてありがと! 分け前は今度でいいからねー!」


「ご、ご迷惑をおかけしてすみませんでした……私もこれで、失礼します」


 調子のいいことを言い放つセレナと、申し訳なさそうに頭を下げるルシール。

 対象的な雰囲気の二人も、続けてその場を後にした。

 リリィとの話の後ではどこか重々しい雰囲気があったものの、二人のおかげでその空気は若干解れていた。


「……軽く街回って帰ろうか」


「そうだな、そうしようぜ」


「日が落ちる前には帰らないとな。ティアの母さんの料理、楽しみだし」


 騎士団からの依頼を終え、気分転換に街の散歩へと繰り出した大我。しかし、今日の一連の出来事は、大我の中に妙な不安をもたらした。

 初めて出会ったエヴァンの、言葉とそのどこか痛々しかった姿。そしてアリアから聞かされた現状。大我は直感とその肌で、これから何か大変なことが起こるのではないかと、溢れる不吉さを感じていた。


* * *


 大我達が別れた頃とほぼ同時刻。調査団を引き連れての視察へと向かっていたエミルは、奇妙な化物と遭遇していた。

 にわとりの頭にカブトムシの角を生やし、その首は蓋のように開き、中はウツボカズラのようになっている歪にも程がある、鳥類と形容していいのかすらわからない謎の生物。二つの猿の首を生やしたカマキリと、千差万別ながらもあまりにもおぞましいキメラの数々が、エミル達の目の前に現れた。


「なんなんだこいつら……こんな気持ち悪い奴ら、見たことないぞ!?」


 調査団の者達がたじろぐ中、エミルは生唾を飲み込みながらも、冷静に剣に手をかけていた。


「報告からある程度の想定はしていたが、これ程までに悍ましいとは。しかも一つの種族の群れではなく、全く別の生物がただ偶然群を成している……という形か。一体何だこれは」


「副団長! どうしますか!」


 調査団の一人が、エミルからの指示を待つ。

 その時、群れのうちの一体がエミルの方へと飛びかかっていった。カバのような頭を持ったそれは、大口を開けて飛びかかっていく。


「ふんっ!」


 エミルは決して動じることはなく冷静に、鞘に収まった剣のツバを軽く親指で押し、刃の一部を空気に晒す。

 そしてグリップを強く握り、勢いよく引き抜いた。

 刃は一瞬にして炎を纏い、キメラへ向かって炎の斬撃が放たれる。たちまちキメラは真っ二つ。倒れた断面には、斬撃の移り火が残っていた。


「怯むことはない! 姿こそ異形のそれだが、恐れるには足らない!」


 エミルはその一閃によって仲間達を発奮させる。

 なんとかなるかもしれない。エミル副団長がいるならば安全だ。様々な心情と裏付けから、調査団に芽生えていた異形への小さな恐怖が即座に摘み取られる。


「この怪物達の相手は私に任せろ。皆は後方から私の支援を頼む!」


「了解!!」


(本部までの距離とこの大きさを考えると、二、三体が限界か)


 エミルは、調査のための怪物達の死体を持ち運べる数にある程度の見当をつける。

 頭の中で思案を行い、一通りのプランは立て終えた。あとは、目の前の敵を蹴散らすだけとなった。


「これより、異形の怪物達の討伐を行う! 全滅させても構わない。そのうち数体を本部へと運び、リリィ団長へ報告する! 今は生け捕りを考えるな!

今回の任務はそれを以て完了とする!」


 エミルの発奮により、団員達の士気は大きく高まった。

 副団長がここまで言っている。前例を見ない怪奇なる化物だが、斬れるならば殺せるはず。

 恐怖心は大きく塗り替えられ、任務を達成するというその指針へと大きく踏み出した。


「よし、いくぞ!!」

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