第21話
ユグドラシルの中から出た大我は、エルフィと共に街中の散歩へと繰り出していた。
じんじんとねちっこく襲っていた痛みはすっかり鳴りを潜め、今では快適に背筋を伸ばして歩くことができている。
「さって、この広い街をもうちょい歩いてみるとするか」
「体力あるなお前……あれ、でも何かこう……さっきの返事の為に何かするとかってのは?」
ついさっき、アリアの願いである未知なる敵の排除を聞き入れた矢先に、何か行動を起こす気配の無い大我に、エルフィはおもわず疑問を抱いた。
「さっきはああ言ったけどさ、今から何をするにしても手がかりが無いし、なにより俺は何も知らなすぎるだろうよ。まだ目覚めて二日目だぞ?」
「まあ、確かに……」
「そんな状態で無理に動いても混乱するだけだし、それにまだここにすぐ襲ってくるわけでもないんだろ? だったら、もう少し観光なりなんなり、楽しませてくれてもいいんじゃないか?」
どこか言いくるめられてるような気がしなくもないが、大我の言う事はそれなりに正しかった。
目覚めてまだ間もない上に、いきなり世界が丸ごと生まれ変わっている。まさしく無一文での知らない土地、ゲームで言うならば続編タイトルのレベル1。
以前の常識が通じるかもわからない世界で、無知のまま過ごすことは、安全圏でも危なっかしい。
だから大我は、まずアルフヘイムの中を色々回ってみようかと考えたのだろうと、エルフィは無駄に深く考えた。
「……つっても、色々あった気分転換がしたいだけなんだけどな!」
「なっ……なんだよ! すごい真面目そうに言うから色々勘繰ったじゃねえか!」
一瞬流れた堅苦しい雰囲気を払拭する一言が、大我の口から流れた。
空中でずっこけたエルフィは、ぽこぽこと大我の肩を殴っては、無駄に考えた自分の恥ずかしさを隠すように軽い罵倒をぶつけた。
「はは、悪い悪い。そんじゃ、行こうか!」
「ったく、わかったよこの野郎!」
軽い笑みを込めた溜息をつきながら、エルフィはこれから何か有るのか楽しみでしょうがないといった表情の大我の横に並ぶように飛ぶ。
そして、大我はアルフヘイムの街を散策し始めた。
ユグドラシルから出て一時間、大我はその足でひたすら観光気分で街中を練り歩いた。
ティアと一緒に行動したときとはまた別の道を行き、知らない店や以前住んでいた街では見なかったようなタイプの売店や小物屋、雑貨店。怪しげな雰囲気を醸し出すどんな店なのかよくわからないような店舗など、新たな発見をしながらも、順調にその街の道を頭の中に刻んでいった。
エルフィを頼れば道に迷う心配は無いかもしれないが、自分で覚えておいて損はないという、携帯端末を自宅に忘れた上で道に迷ってしまった過去の経験から来る一つの保険である。
「こういうなんか、外国の観光地って雰囲気の道もいいもんだよな」
「ちょいちょいそんな写真撮ってたよな」
「……そういや、写真のデータ持ってたんだったなお前」
エルフを中心にすれ違う無数の異種人族とすれ違っては、その風景を目に焼き付ける大我。
海外旅行に行ったこともない大我には、その周囲の建造物や雰囲気はとても新鮮に写る。
もし端末を持っていたならば、思わず写真とか撮ってたんだろうなあと思いながら、大我は自然と表出する笑顔と共に、街を歩く。
「あの人、大丈夫か?」
大我が歩く先に、一杯にトマトが詰められた紙袋を抱えてフラフラ歩く男が視界に入る。
ちょっとバランスを崩せば、一気にぶちまけてしまいそうな程に不安定なトマトの山。
そう思った直後、男の爪先が道の隙間に強く突っかかり、大きく転んでしまった。
「うおおおお!?」
「危ない!」
考えるよりも先に、大我は全力で走り出し、ヘッドスライディングでトマトの詰まった紙袋を受け止めた。
紙袋から飛び出した分のトマトは、エルフィが風魔法でふわふわとキャッチし、その柔い肉質を崩さないように優しく扱った。
「おおすまない……怪我はなかったかい?」
「ああ、大丈夫。こっちも無事みたいですし」
浮き上がらせたトマトを紙袋の中に戻しつつ、大我はそれを男へと受け渡した。
紙袋を受け取りながら、男の視界に対面の少年が側に連れている精霊が入る。
「君もしかして、最近神様に認められたっていう大我さんか!?」
偶然にも出会った人物に、男は驚きを隠せないまま、荷物を抱えつつ質問をぶつけてみる。
「まあはい、そう……ですけど」
「そうか、君がか……いや、話には聞いていたんだが」
思わぬ遭遇に、口を開けてなるほどというようなポーズで、頭を縦に振りつつ何かに納得する男。
すると、地方に住む気のいいおばちゃんの如く、トマト一つを手に取り渡してきた。
「良かったら受け取ってくれ。せめてものお礼だ」
「ああ……ありがとうございます」
男の好意を込めたお礼を素直に受け取る大我。
住人の暖かさを体感し、ほっこりとした気持ちが溢れる大我。
しかし直後、男は少し悩ましいような表情と共に、去り際にもう一言口を開く。
「どうか、悲惨な未来が訪れないことを願うよ」
意味深な言葉を残し、男は一礼の後で去っていった。
手元には、ヘタを予め取り除かれた、真っ赤に熟れたみずみずしいトマトが残っている。
「…………なんか、なんだろうな」
アリアから聞いた穢れの話、男のどこか影のあるような意味深な一言。
大我が感じる分では、アルフヘイムは明るく活気のある楽しい街だという印象だった。
その印象は間違いないのかもしれないが、少しずつ知るにつれて、何やら未曾有の危機に晒されているような、人々を曇らせるような影が近づいてきているような、そんな気がしてならなかった。
「なあ大我、俺が言うのもあれだけど、本当に受けても良かったのか?」
「何がだ?」
「何って、さっきのアリア様との……」
「ああ……あんな顔されて、断ろうとは思わねえよ。なんつーか、ああいう話をされたら放っておけないというか」
ついさっきの手放された紙袋の時も、真っ先に動いた大我。
やはりこいつはお人好し。出来る限り人を助けたいという性格。
エルフィは、今はまだほんの少しだけの危うさを覚えながらも、溜息をついて、大我の肩に乗った。
「全くしょうがねえな」
「なんだよエルフィ?」
「なんでもねえよ」
何か意味を含んでいるのだろうが、その意図がはっきりとせず釈然としない大我。
ともかく、今は考えても仕方ないだろうなと思いながら、ふっと表面に息を吹きかけ、貰ったトマトを口にしながら、大我は再び街の散策へと歩き出した。
「…………甘くてうまいな」
* * *
街行く人々と触れ合いながらしばらく散歩しているうちに、大我はとある建造物に目を惹かれた。
それは周囲の建物から大きく間隔を開けて、非常に広い敷地をうまく扱うように建てられており、かつその大きさは頭一つ抜けている。
誰もが目に入るであろうその建物の入口となる門の上には、何やら騎士が剣に祈りを捧げているような姿が描かれた紋章が、大きく飾られていた。
大我の生きていた時代ならば、ヨーロッパのどこかで文化遺産にでもなっていそうなそのとても荘厳な外観は、周囲の建物とは乖離した異質感を放っており、一度見れば確実に記憶に残るであろうインパクトがあった。
「なんだここ……何か特別な建物だったりするのか?」
「ん? ああここか。ここは……」
「ここはアルフヘイムの秩序と平和を護る、人間を中心として組織された騎士団、ネフライト騎士団の本部です」
大我の素朴な質問にエルフィが答えようとしたその時、大我の背後から何者かが肩を叩きながら話しかけてきた。
突然の呼びかけに驚いた大我は、握り拳を作り警戒しながら、すぐに後方へと身体ごと振り向いた。
そこには、金髪の爽やかな雰囲気溢れる、理想的とも言える好青年の鎧騎士が立っていた。
「おっと、驚かせてしまいましたか。これは申し訳ない」
大我の細かな仕草で悟ったのか、その騎士はすぐに軽く頭を下げて謝罪した。
そんないかにもな品行方正で、悪意も感じられない一連の発言と行動に、大我の警戒心は瞬く間に消え去った。
「ああいや、こっちこそ無駄に警戒してすまなかった」
「いえ、お互い初対面ですから、面識の無い者に用心深くなるのは当然のことです。精霊を連れているのを見るに……もしや、貴方がかの大我さんでしょうか?」
大我は、いきなり自分の名前を見ず知らずの者に当てられて、内心驚いた。精霊を連れているという部分から予想されたことを考えると、先程出会った男の例もあり、自分の名前や特徴はある程度広まっているのではないかとふと考える。
しかしそんなことは今はどうでもよく、大我ほんの僅かな時間浮かんだ推測を投げ捨てる。今気になっているのは、目の前の人物の方である。
「ああ、そうだけど……そういうあんたは?」
「失礼、こういう時は先に名乗るべきでしたね。私は、ここを拠点とするネフライト騎士団の副団長、エミル=ヴィダールと申します」
エミルの一つ一つの挙動はとても丁寧で礼儀正しく、とても良い育ちをしているのか、それとも周囲の環境が素晴らしいのか、そんな様子がひしひしとにじみ出ていた。
それに釣られるように、大我は姿勢を正して頭を下げる。
「ああどうも。俺……は、桐生大我と言います。よろしくお願いします」
少々たどたどしいが、大我は自分に出来る限りの礼節でエミルに返しの挨拶をする。
「そこまで畏まらなくても良いですよ、気楽にいきましょう。さて……大我さんは何か用があってこちらへ?」
「いえ……ああいや、ちょっと街中を歩いてみようと思って。俺はまだ、この街のことを全く知らないから」
「なるほど……これは嬉しい偶然ということですね」
エミルは顎に右手の親指をあて、少しだけ何か考えているような仕草をとる。そして、何か納得したように首を小さく縦に振ると、再び大我の方へ顔を向けた。
「大我さん、実は私達からちょっとした依頼をお願いしたいのですが」
「依頼?」
大我はその一言に、少しだけ戸惑った。
今までこの街を護っていたであろう所謂警察のような存在であると考えられる騎士団が、まだこの街に来て一週間も経っていないような自分に、なぜ直接の依頼を頼むのか。
しかし、その雰囲気からは裏があるとも思えない。大我は黙ってその話を聞き続けることにした。
「ええ。その女神に認められたということを見込んで、貴方に直接依頼をしようと受諾者指定のクエスト依頼を申請しに行っていたのです。というのも……」
「南門の向こうから、この所奇妙な怪物が姿を現しているという情報が無数に報告されている。万が一に備えて、一度戦力を投入しての調査を行おうというわけだ」
話に割りいる凛々しい女性の声が、大我の後方から聞こえてきた。
その声の主がいる方向を向くと、そこには、長身で鎧越しにもわかる程の魅力的なスタイル、煌めくように美しい緑色の長髪を持った美人の女騎士が、二人のもとへと近づいていた。
思わずドキっとしながらも、大我はその話に耳を傾ける。
「怪物? それって」
「リリィ団長!」
女騎士へ質問を返そうとした直前に、エミルの嬉しそうな声が割って入ってきた。
その嬉々とした声には、尊敬や敬意など、無数の好意が含まれているように感じられた。
「エミル、依頼は済ませてきたのか?」
「はい。ただ、本人に直接会えるとわかっていれば、この場で話したのですが」
「よし、よくやった。あとは私が話すから、エミルは調査団の皆に合流してきてくれ」
「了解! それじゃあ大我さん、また後日」
まるで精神年齢がいくつか後退したようにも見えたエミルは、リリィと呼ばれる女騎士に報告を行った後、足早に指示通り本部の建物へと入っていった。
「…………さ、私達も入るとしよう」
女騎士は慣れた手つきで手を差し伸べる。その挙動は優しく気品に満ち溢れている。
「あの、あなたは」
「ああ、紹介が遅れて申し訳ない。私はリリィ=フィデリッテ。ネフライト騎士団の団長だ」
「……えっ!?」
次から次へと登場する、偶然訪れた施設を拠点にする組織のナンバー2とナンバー1に、大我はわかりやすく驚いた声を上げ、ぽかんと口を開けた。
しかもその二人が、揃って自分に用がある。自分の知らないところで進んでいるらしい事柄に、大我はただ戸惑っていた。
「ふふ、驚いたか? まあ仕方ない。このような武力を持つ組織の長となれば、大抵男が仕切っているからな」
「いや、そういうのは別に何も思っては……」
「まあいい。こんなところで話をし続けても仕方ないだろう。一度私の職務室にお連れしよう」
おそらく建物の中から出てきたのであろうリリィは、一度軽く手招きをしてから、後ろを向いて戻っていった。
「なあエルフィ、このままついていっていいのか?」
「いいと思うぞ。いつかは知り合いになるんだろうとは思ってたし。それに、あの騎士団はちょっと色々あるんだ」
「色々?」
「何をしている? 早く来ないか」
「ああはい! 今いきますよ!」
エルフィが言っていたことが気になりながらも、大我はリリィの呼びかけに応じて、足早に騎士達の拠点へと向かった。
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