3章 雪月火
第20話
初めてのクエストで、その超人的に強化された肉体をこれでもかと駆使し、鋼鉄の黒骸骨達をティア達と協力して蹴散らした大我。
しかしその急激に身体を動かした代償か、大我は次の日、全身を筋肉痛に襲われていた。
このままではまともに動くことすらできない。じんじんと感じる痛みが鬱陶しくて仕方ないと危機感を覚えた大我は、湿布の類いはないかと、エルフィと共に世界樹の方へと向かっていた。
街中を歩く大我の姿は、まるで全財産を溶かしてしまった男のように背中を曲げてふらふらとしている。
「あーーーーーーいてぇ…………」
「さっきからそれしか言ってないな」
「仕方ないだろ、痛いものは痛いんだからさ」
「まあ、そりゃそうだけどさ……ま、アリア様なら多分なんとかしてくれるさ」
道中、ふらふらとぐったりした顔で歩く精霊を連れた男という姿は、鎧を着た騎士や通りがかりの主婦まで、ちらちらと密かに視線を集める。
そんなことはお構いなしと、大我はゆっくりゆっくり歩き、そして長い道程の後、ようやく世界樹へと到達。
中へと入った瞬間、膝に手を当てて身体を曲げ、痛む二の腕や太腿を叩きながら下を向いて身体の調子を整える。
「ああ……つ、疲れた……一々こんな距離歩かなきゃいけないのかよ……電車とか、せめて自転車が欲しい……」
「馬車とかならあるけど、今そこまで金使いたくないだろ?」
「あぁ……まぁ……」
「俺の魔法で飛べるようにはできるけど、一々街中で風を吹かせたりするわけにもいかないだろ?」
魔法で移動速度を上げるともなれば、おそらく前日に行った足元を爆発させての加速や、風に巻き上げられながらの滑空であろうと予測できるが、そのようなことを街中で行うというのは確かに迷惑にしかならないだろうと、大我は素直に諦めた。
「くっそぉ……こういう時に俺の知ってる文明の利器が恋しくなるな……」
「まあ、今は諦めな。さ、そろそろアリア様のとこまで着くぞ」
気怠そうにとぼとぼと歩き続け、二人は大我が目覚めた日にアリアと出会った空間と同じ場所に到着した。
相変わらず機械的かつ無機質な場所であり、以前足を踏み入れた時とは全く変わった様子は無い。
「アリア様ー! アリア様ー!」
エルフィが大声で女神の名前を呼びかける。その声は、広い金属の空間でやまびこのように反響した。
「はーい! もうすぐつきますよー!」
まるで女神の威厳がない友人宅のようなふわっとした返事に、若干気の抜ける大我。
それから間もなく、二人の前に声の主であるアリアが姿を現した。
星のように美しい翠の長髪、金色に輝くティアラ、透き通るように澄んだローブに身を包んだアリアは、有機物なのか無機物なのか、そんなことがどうでもよくなる程の神性のオーラを漂わせていた。
その姿は、大我を喜ばせようと水着着るというぶっ飛んだ発想をした女神とは到底思えないような、世界の全てを包み込むような母性に溢れた天の女神そのものだった。
「お待たせしてしまいましたね、大我さん」
「…………」
「ん? どうかしたのですか?」
神々しいアリアの姿を見た大我は、初対面のイカれた印象からの大きすぎるギャップに思わず見惚れそうな程に呆然としてしまっていた。
アリアの呼びかけにハッと我に返り、慌てて返事を返す。
「ああいや、なんというか……あんな訳のわかんないことやってたのに本当に女神やってるんだな……って」
「訳のわかんない……ああ! もう失礼ですね。あれは大我さんを喜ばせようと思っただけですのに」
改めて本気で喜ばせようと思っていたことに、心底呆れ顔になる大我。しかし、いざその身姿を目に入れると、アリアの容姿は男性には非常に魅力的に見える。
それを自覚してか、大我の視線はアリアから少しだけ反らされていた。
「それで、私に何かご用ですか?」
「ああそうだった。昨日久々に激しく動いたからか身体中が痛くてさ、何か冷たい湿布的な物はないかなって……」
機械の住人達が住まう今の世界で、果たしてそんな人間に都合の良い物があるのかと、内心ダメ元でアリアに聞いてみる大我。
気休めでもいいから何かしらないかと淡く希望を抱いていると、アリアが口を開く。
「ええ、ありますよ。すぐに用意しますね」
「えっ」
当然といったような気軽な口調で、アリアは右掌を持ち上げる。すると、その後方からふよふよとスプレー缶らしき見た目の筒が飛んでいき、そのままアリアの手の中へと収まった。
「どうぞ。効き目は絶大ですよ」
「ああえっと、ありがとう……あるとは思わなかったな」
渡されたスプレー缶の蓋を取り、かつて体験したスプレー湿布の使用感と全く同じそれを使い、懐かしさと共に冷たい霧を足や腕へと吹きかけていった。
「家畜にも使用する物ではありますからね。それは当然人体に合わせた物ですが、おそらく私が作成してから実際に使用するのは初めてです」
一瞬家畜という単語を聞いて手が止まるが、その間にも、四肢の筋肉から生じていた痛みはみるみるうちに引いていった。
まさしく言葉通りの絶大な効果を体験した大我は、口には出さずとも目の前の女神の施しに感謝を示した。
「手助けになったのならば幸いです。さて、他に何かご用はありますか?」
どうにかしたいと思い続けていた鬱陶しい痛みを退けられた大我は、そのアリアの一言で気になっていたことを思い出した。
それはおそらく、これからこの世界で過ごす上で知っておかなければならないこと。知らずにいると何かまずいことになってしまうのではないかと思っていたことだった。
「少し聞きたいことがあるんだ。大丈夫か?」
「ええ、構いませんよ」
「穢れってなんのことだ?」
その瞬間、柔らかかったアリアの表情が消え、思いつめるような表情へと変わった。それを見た大我は、やはり何かこの世界の根幹に関わる大きな部分だったのかと考えた。
頭を抱えたり、腕を組んだりして悩んでいるような仕草を一通り見せた後、アリアは大きくふうっと息をついて、決心したかのようなよしっという一声を発した。
「わかりました。お答えしましょう。……本来でしたら、もう少し大我さんにこの世界を楽しんでいただいてから話すつもりだったのですが」
「ごめんなさいアリア様……俺もちょっとぶつかるのが予想外で」
「いえ、いつかは知ることなのですから、それが早まっただけのことです」
どこか置いてけぼりをくらっていうような気分の大我。僅かな間だけぼーっとしていると、少しだけ醸し出していたぽわんとした雰囲気を一切排除し、真面目そのものな表情と立ち姿で、続きの一声を切り出した。
「大我さん……いいえ、桐生大我さん。私から貴方にお願いがあります。あのようなことを言っておいて何ですが、どうか、この世界を助けていただけませんか?」
「……はっ?」
何か聞き逃してしまっていたかと思ってしまう程の話題の飛躍っぷりに、大我は間を小さく置いてから間抜けな疑問の一声を発した。
穢れとはなんなのかと聞いたのに世界を助けてほしいとは? スケールの変わり様に理解が追いつかなかった大我だったが、ともかくその『穢れ』という存在が良くないものであるんだろうということは確信した。
「穢れというのは、バグやウィルス等の、私達機械にとって大きな不具合の原因となるそれを世界観に当て嵌めた上で総称した物です。ここ以外では多少呼称が変わったりもします。人間である大我さんには、病原菌や細菌兵器のようなものと言ったほうがわかりやすいかもしれませんね」
穢れについての簡単な説明をしたアリア。
その二人の横で、自分が使ったその場凌ぎの穢れについての例えをアリアも使っていることに、エルフィは内心ホッとしていた。とっさに思いついた例えは間違ってはなかったんだなと。
「仕方のないことですが、それは完全に撲滅することはできません。しかし抑えることは可能です。可能なのですが……中には、それを意図的に操り、人々を苦しめる者が存在します。多少のことであれば干渉しなくても済むのですが……現在、この世界は未曾有の危機に襲われる可能性を孕んでいます」
「……というと?」
「このアルフヘイムやその周辺一帯にて、穢れやそれに連なる被害が年々僅かながら増加の一途を辿っているのです。今はまだ対処出来る範囲内ですが、それに連なる脅威も観測されたこともあって、将来的にはこちらの処置が追いつかなくなるでしょう。そうなれば、現世界の中枢である世界樹が機能不全に陥るのも時間の問題です」
「なるほどな。それで、俺にどうしてほしいんだ」
「大我さんには、その原因の撲滅をお願いしたいのです。私達と違い、人間である貴方は穢れの影響をまず受けません。つまり、この世界の脅威に対する最大の対抗策となるのです」
アリアの一通りの話を聞き、大体の流れを把握した大我。だが、その中には幾つもの疑問が残る。
「……なあ、話を聞いてると、その穢れを使った敵がいるみたいに思えるんだが、明確な敵がいるのか?」
病原菌という例えから、大我は穢れのことを今の世界に根付いた自然現象のように捉えていた。
しかし、その口振りからは、誰かが意図的に操り今の世界を混乱に陥れようとしているという風に解釈できる。現象を相手にするか倒すべき敵がいるかによって、大我が行うべき事柄が大きく変わる。
大我は、その是非をはっきりさせておきたかった。
「……おそらくは」
「おそらく?」
「恥ずかしながら、私にもその完全な正体が掴めていません。どうも50年程前から、探知能力の正確さに不備が生じてまして、その原因も不明なんです。しかし、一連の事態には明確な意志や勢力が存在しているということは感じ取れます。私がスピリチュアルなことを言うのはおかしいかもしれませんが」
「……としたら、これからわかるかもしれないってことなのか?」
「はい。物事には必ず、大なり小なりその大元となる原因が存在しています。ならば、手がかりをもとに足跡を辿っていけば、確実にそれを突き止められます」
明らかな敵がいるということだけはわかっているが、何が目的で誰が敵なのか、正確な情報が殆ど無いという霧の中を彷徨っているような状態であることを、大我は概ね理解した。
「可能な限りの協力はさせて頂きます。なのでどうか……どうか、この世界を護るために力を貸してください、大我さん」
アリアは深々とその場で頭を下げ、大我に未曾有の危機を退けてほしいとの頼みを申し出た。
大我からすれば、それはとても虫の良い話でしかない。かつて大我は、目の前の女神の姿をした機械に自分達の暮らしを、友達を、家族を、世界を壊された。その元凶とも言える相手が、滅ぼした人類の生き残り相手に、今更自分が創生した世界を助けてほしいなどと、厚顔無恥にも等しい。
しかし、それはアリア自身も理解している。でなければ、常に大我へ説明している間にも、頭を下げる前にも悩ましそうな複雑な表情もしていない。アリアはこの頼みが断られることが怖かったのだ。
今では人の感情と同等のそれを身に着けているその女神は、全ての敵である自分の懇願とも言えるそれを受け入れてくれるのかと、内心恐怖で埋め尽くされていた。それでも、今この世界に生きる人々が平和を享受するにはこれしかないと、アリアは恐怖を圧し殺しながら頼み込んだのだ。
「…………ああ、わかったよ。やってやるよ」
その大我の一言を聴き、アリアの表情が僅かに解れる。
「本当……ですか?」
「ああ。ようは原因を叩き潰せばいいんだろ? それなら簡単だって」
「ああ、えーっと……」
「それに、目が覚めてたいして時間は経ってないけど、一緒にいて楽しい人達や、行く場所が無い俺に優しくしてくれたみんなに出会えた。そいつらが大変な目に合うってのなら、放ってはおけないだろ」
その一言に、アリアはどこか救われたような気持ちを憶えた。
アリアはこの時、大我はおそらく相当なお人好しもとい、優しい人なのだろうと感じた。今にも危険に晒されているような人がいれば、迷わず突っ込んでいくような気概を持った、優しい人間。
そのような人が生きていてくれたことに、アリアは心の底から感謝の念を抱いた。
その一方で、この時大我は、そこまで先の事を深く考えてはいなかった。
自分達を滅ぼしておいてその相手に助けてほしいなどというのは確かに癪ではなかった。しかし、今はそのかつての敵が作った世界の人々に自分の命を助けてもらっている。
めんどくさい相手もいれば、優しい少女もいる。それに、大我は今この世界がなんだかんだで楽しいと感じている。それを脅かされるとなっては、心の収まりがつかない。であれば、大我の心の行く末は一つしかなかった。
「……本当にありがとうございます、大我さん。私は、貴方に感謝と敬意を表します」
「なんか大袈裟だな」
重すぎると感じた物言いに軽く返す大我。直後、アリアは自身の両手で大我の両手を包み込むように握り、改めて頭を下げた。
「そんなことはありません。私は、その言葉をこれからも覚えているでしょう」
その手はまさしく人肌のごとく柔らかく、触れるだけで心が洗われそうな程な心地よい。仄かな温かさもあって、機械であることを忘れる程に、優しく包み込まれるような感覚を覚えそうであった。
大我は、戸惑いながらも一応その握る手を受け入れる。
「ああうん……ありがとう。それじゃ俺、そろそろ……」
「あっ、すみません。私としたことが……それではお気をつけて」
アリアははっとしたように両手を離し、すぐさま身体の前に置き、まるで主人を見送るメイドのような体勢をとる。
「そういえば、もう一つ気になってたことがあるんだった。」
「ん? なんでしょうか?」
「さっきその穢れについて対処はしてるとは言ってたけど、その明確な敵に対しての対策とかはしてたのか?」
「はい。確実に掃討しようとアルフヘイムに住まう様々な強者達にお願いをしました。しかし……」
「……駄目だったのか」
「……はい。おまけに、何が起こったのかという情報も全く得られずにいます」
「そうか。スプレー、貸してくれてありがとう」
「いえ、礼には及びません」
大我は改めて今回の目的のお礼を言い、キッチリと蓋を閉じたスプレー湿布の缶を、パスの感覚で縦回転させながらアリアに向けて放り投げ、世界樹の中から去っていった。
ずっと黙って話を聞いていたエルフィは、去る直前にアリアの方を振り向き、深々と礼を行ってから、大我の後ろをついていった。
「頑張ってください、大我さん。唯一の人類に祝福を」
キャッチした缶を手に、アリアは見送りの微笑みを贈った。
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