第19話
「……!!」
自分が大好きな味とは多少違うが、それはとても美味しい豚汁だった。
うまいと思える要素はいくつもあるが、今はそんなことはどうでもいい。母親に作ってもらっていたその料理が食べられる。それだけでも大我は幸せだった。
傍に置かれていた箸を取り、具にも手をつけていく。早いペースで口に運び、汁を飲んではまだ具を食べる。
「気に入ったようで何よりだよ」
三人も既に食事を始めており、それぞれ個性が出ている食べ方で腹へと運んでいく。
その中でも、大我の様子は一際食に集中しており、そんな姿を見たアリシアは、連れてきてよかったとほっこりした。
直後、完食寸前のところで、突如大我が唇を噛み締めて涙を流し始めた。
「お、おい……どうした?」
傍にいたエルフィは、そんな大我の様子を心配し、ティアとアリシアも、何があったのかと不安な表情を見せる。
一方でラントは、ほんの一瞬だけ、その泣いている姿を煽ってやろうかと考えたが、突然泣くからには何かしらの事情があるんだろうと、瞬間の邪念が浮かんだ自らを戒め、黙って食事を続けた。
「う……いや……なんでも……ない……少し……昔を、思い出して……」
大我は、思い出の食事を一口一口噛み締め、汁を流す度に、両親との食事風景や過去の思い出が脳裏に浮かび上がった。それに連鎖するように、今は失われてしまった過去の思い出が次々と想起され、それはもう返ってこない、決して戻ってこないという悲観的な感情に耐えきれず、とうとう涙を流してしまっていた。
どうすればいいんだろうと、三人が困惑し悩み始めたその時、食堂の明かりが一斉に消えて暗闇が周囲を包む。
何が起きたのかと、大我はゆっくり顔を上げる。ティアやアリシアも一瞬戸惑うが、ラントが全てを察したようなとても気怠げな表情と共に口を開く。
「あー……そういや今日はそんな日だったか」
「もしかして……セレナの?」
「ああ。丁度1ヶ月くらい前にこれに出くわしてな、次にやるのが今日みたいなこと言ってたわ」
ラントとアリシアが、何やら意味の含んだ会話を交わす。その内容から、この突然の消灯は何かしらのイベントであることは推察できた。
それを楽しみにしているのか、アリシアの横でティアの顔が、ちょっとだけわくわくしているような明るい顔になっていた。
何が始まろうとしているのかと思うと同時に、店内の奥、ぽっかりと空いたスペースの中心へと、空間から突如発生したスポットライトのような光が浴びせられる。その光は電球などの現代的なアイテムから発せられている様子は無く、天井から突然発生しているようにも見えた。
店内の視線の殆どがそこへと集められた間に、何者かが暗闇の中に紛れて歩き、照らされた場所に向かって進んでいく。
そこに現れたのは、可愛らしい自作らしき衣装に包まれたピンク髪のエルフの少女、セレナだった。
「おまたせーっ! 元気にしてたかなーっ!」
身体いっぱいに動かして、セレナは輝くような愛嬌を振り撒く。マイクのような道具が無いにも関わらず、その声は室内で反響し、隅まで響き渡らせている。
今その様子を見ていない大我には何か盛り上がっているなと感じる程度だったが、その聞き覚えがある声が耳に入り、少しだけ意識を向ける。
その時とは声の調子が違うために少々分かりづらかったが、それは確かに昨日聞いたセレナという少女のものである。
「さて、今日はね……昨日ちょっとした騒ぎになった、あの人が来てくれているんだよ! とうっ!」
まるでイベント前のようなちょっとした口上を口にしてから、セレナはステージと化した場所から飛び出す。
そしてゆっくりと、セレナに合わせて動く明かりと共に店内を歩き、大我達の席まで移動したところで立ち止まった。
「あっ、ラントも来てくれてたんだね!」
「……忘れてたんだよ。煩くて落ち着いて食えやしねえ」
「またまた~!」
つい昨日、喧嘩を売ってきてはたしなめられて去っていった二人組が、どこか微笑ましい言い合いをしている。
そんな会話がしばらく続くと思われたところで、セレナの視線の矛先は大我へと向けられる。
とても塞ぎこんでいる様子の大我を見たセレナは、その顔を見るために少し膝を曲げて、目線を合わせる。
新しい神に認められた者の誕生を祝い、一緒にステージへ上がって紹介しようと当初は考えていたが、その涙を流した後と悲しそうな顔を見て、考えを改める。
そして、小さな声で大我へ語りかけた。
「大我さん……だったよね? 何があったかは知らないけど、今だけは楽しんでいってね。ずっとそんな顔してたら、折角の幸せも逃げちゃうよ?」
笑顔と共にウィンクを大我ヘ向け、気を取り直して立ち上がる。
そして、店内の通路を縫うようにして時折舞のようなしなやかでキレのある一回転を交えて、再びステージの上へと戻ってきた。
その中心に立つと、小さく深呼吸してから両手を大きく広げ、一面に咲くヒマワリ畑のような笑顔で、店内の皆に向けて喋り始める。
「さてと、みんなー! 今日一日はどうだったかなー? 楽しい人はもっと楽しく! 楽しくなかった人は今だけでも楽しく! 美味しい料理を食べてみんな元気に、それがここ『ウィータ』だからね!」
とても快活な、店の名前らしき言葉を交えた元気満点の口上 パフォーマンスに影響された一部の客達は、拳を突き上げて盛り上がる。
それぞれの事情により落ち込んでいた者も、そんな姿を見て、個人差はあれども少しだけ元気を分けてもらった。それは大我も例外ではない。
「でもここからは、一緒にセレナもみんなを笑顔にしちゃうよーっ!」
右手を天へ指した合図と共に、単色だった明かりの色がカラフルになる。
そして、星が散らばりそうなきらきらした笑顔で、セレナは明るいアップテンポな曲を歌い始めた。
おそらくは大我の元へと移動した時に隠れて準備していたらしい楽器を持ったスタッフ達が、セレナのアカペラでも映える歌声に肉付けしていく。
「はぁ……」
「まあまあ、折角だから聴いてあげなよ」
「かわいい……」
気だるそうに肘を立てて、額に手を当てながら溜め息をつくラントと、そんなラントをなだめるように付き合ってあげるアリシア、ちょっとリズムに乗って小さくはしゃぐティアと、三者三様リアクションを見せる。
「……」
大我はその中でも変わらず、黙ったままでいた。だが、同じ姿勢でも、その表情には陰りは無い。
大我は、たった今セレナから投げかけられた言葉を心の内で思いだし、ぼそっとつぶやく。
「折角の幸せも逃げる……か」
「ん?」
その様子に、最初にティアが気がつく。そして、ふうっと大きく息を吐き出したかと思うと、がばっとどこか改まってすっきりしたような顔を上げる。
「なあエルフィ!」
「…………んぇ?」
大我は、傍にいるエルフィに声をかける。
その当人は、セレナのステージを何か思うところがあるような顔で、集中して観ていたためか、突然呼ばれたことに間抜けな声で返答する。
「なんでも頼めるんだったよな? ここは」
「ああそうだよ。大抵の料理はな」
「よし……」
ついさっき言われたこの店のシステムを改めて聞き、その知識を確固たるものにする。
そしてすぐさま、近くにいたウェイトレスに声をかけて、早速注文を仕掛けた。
「豚汁三人前と、しょうが焼き三人前、あとご飯特盛りで!」
「はい、かしこまりました」
ウェイトレスは注文を取り終えると、そそくさとその場を去っていった。
その大我の横で、大量注文に若干引きながらも、本当に食べきる気なのかとラントが話しかける。
「お前……大丈夫なのか?」
「あれくらいなら余裕で食えるさ」
当然だといいたげな顔で、けろっと返答する大我。
短い時間でぐるぐると変わるその様子に、精神をやられすぎてどこかおかしくなったのではと一抹の心配もあったが、ひとまずは元気を取り戻したようだ。
「今悩んでても仕方ねえ! 腹も減ってるし、楽しい時間ならちゃんと楽しまなきゃな!」
グッと握った手を前に突きだし、上がったテンションを表現する大我。
「……なんだがわかんねえけど、大丈夫そうならいいか! よし、あたしも付き合うよ!」
その発奮に乗せられたか、アリシアも手を握り、目の前の握り拳と突き合わせる。
「……お、おー!」
一瞬時間が止まったような静寂が流れたが、その間に何かを察したティア。同じように握り拳を作り、アリシアの右手にそれをくっつける。
「……ほら」
一連の流れから空気を読んだラントも、握り拳をくっ付けた。
そして、続けるように身体を前のめりにして、しかめっ面で大我に近づく。
「……大我って言ったよな」
「ああ、そうだけど」
「……結構やるじゃねえかよ」
「……ありがとよ」
表には表れていないが、どこか歯を食い縛るような声で、ラントは大我の実力を渋々ながら認めた。
当初は何の脈絡もなく喧嘩を売ってきた相手で印象も最悪だったが、共に一時の戦いを潜り抜け、こうして一緒に食事をしていることから、大我は案外こいつともうまくやっていけそうだなと思った。
「あっ、きましたよ大我さん!」
運ばれてくる料理に一番最初に気づいたティアが、人差し指で手の甲をとんとんと叩いて意識を向けさせる。
とにかく腹を空かせていた大我にとって、次々と運ばれてくる特盛りの料理の見た目と香りは、まさに天国への誘いといっても過言ではなかった。
「注文の時点で嫌な予感したけど、目の当たりにするとすごいな……」
「あはは……昨日もこんな感じだったよね」
山盛りのしょうが焼きと丼飯に、昨日も同じような出来事があって慣れたと言えども、ただただ驚くティアとアリシア。
「じゃあ改めて、いただきます!」
大我は一度途切れた食事を改めて始め、空きっ腹へとどんどん料理を味わいながら流し込んでいった。
「私達も食べよっか」
「そうだな」
二人もそれに釣られるように、目の前に置かれた料理を口に運ぶ。その横でラントも、ふっと小さく笑いながら、味付けされた鶏肉を口に運んだ。
セレナの歌をバックに、五人は、戦いの疲れを癒すために食事を取り、お互いに会話に花を咲かせ、時間と悦楽を分かち合った。
(……今の世界も、案外悪くないかもな)
最初は大きな不安と、今までの常識の外にいる疎外感から、新たな世界で生きられるかどうか、大我は不安でならなかった。
未知の世界で生きる事は、砂漠でオアシスを見つけるような先の見えない手探りの茨道である。
しかし、手助けしてくれる神の使いの精霊がいる。暮らす場所が無いとなると、泊まる場所を作ってくれた上に、街の案内等いくつもの手助けをしてくれた心優しいエルフの少女がいる。戦いに疎かった自分への助力や、その明るさで道を示してくれたエルフの少女がいる。いきなり殴り合いもしたりしたが、その高い実力で最高の共闘をしてくれたエルフの青年がいる。
ただ一人の人間を助けてくれる者達がたくさんいるこの優しい世界、大我はこれからも頑張ってみようと、希望に満ちた心情へと強く傾いた。
この日、桐生大我というたった一人の『人間』が歩む、新世界の1ページが刻まれた。
* * *
翌日、大我は全身に筋肉痛を患い、即席ベッドの上でのたうち回った
「いぃ……いてぇ……」
大我は両手で痛い部分を揉み解す。それでは足りないため、エルフィも揉み解しを手伝った。
「そりゃ、あんだけ激しく動いたらそうなるよな」
「いてぇ~~~~……」
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