2章 はじめての実戦

第9話

 かつて人類が栄えていた世界は人工知能ARIAによって滅ぼされた。

 その後、そのアリアによって再構築された世界で、非現実的な体験を幾度となくその身に受けた大我。

 ふと目を覚ますと、通っていた高校の目の前に、制服姿で立っていた。


「……あれ、ここは……」


 周囲の状況や自分の服装を改めて確かめるがどこにも異常はない。

 ファンタジーのような世界にいたのはやはり夢だったのかと、大我は思い巡らせた。


「……そうだよな。いきなり人類滅亡して、ファンタジーな世界なってたとか、そんなことあるわけねえもんな」


 今まで何をやっていたんだと自分に呆れていると、誰かが肩を叩いてきた。


「何ボーっとしてんだよ。先行ってるぞ」


 叩いてきたのは、中学の頃からよく遊んだ、友人の真司だった。

 笑いながら真司は、校門の向こうへと走り去っていく。

 その周囲には、秀太、美紀、亮。同級生や近所の友達、よく行くファストフード店の店員など、見知った人々が続々と、その校門へと歩いていった。

 大我はそれに釣られるように、今まで通り(校門を通ろうとする。

 しかし次の瞬間、突然頬に叩かれたような衝撃が走った。


「いっ、なんだよ……」


 既に誰も叩いている姿はない。しかし、どこかから誰かがぺちぺちと叩いている。

 その正体がわからないまま、何度も何度もその衝撃は続く。


「だー! なんだよこれ!」


* * *


 フローレンス家二階の倉庫にある即席ベッドの上、なかなか起きる気配の無い大我に対して、エルフィが小さな手で何度もビンタをぶつけ、目を覚まさせることを試みていた。


「おーい起きろよー! もう朝だぞー!」


 いくら叩いても起きない様子に、エルフィは少し悩み始めるが、ここで一つ悪巧みが浮かぶ。


「そうだ、顔の上に氷乗っけて見ようかな? そうすればさすがに……」


 悪そうな笑みを浮かべて悪戯をしようとしたところで、だるそうな声と共に大我が目を覚ます。


「聞こえてんぞ全部」


「あっ……わりい」


 すぐさまエルフィは謝りながら距離を取る。

 そんな様子も意に介さず、ゆっくりと上半身を起き上がらせ、大我は半開きの目で自分の身体や部屋の中を見渡した。


「……そっか、やっぱこっちが現実なんだな」


 そう呟いた大我の表情と声色は、どこか諦めを含むと共に哀しげだった。


「どうした? 夢の中で大昔のこと思い出したか?」


「お前らにとっては大昔でも、俺にとっては昨日や一昨日のことなんだよ」


 溜め息をつき、大我はベッドから立ち上がって軽い背伸びで身体を解す。

 ちょっとした動作でも、今の自分の身体が、昔よりも圧倒的にエネルギーで満ち溢れ、自由に動かせることが自覚できる。


「さーて、これからどうすっかな……」


 一通り準備運動を終え、これからどうしようかと考えたところで、入り口のドアから軽いノックの音が聞こえた。


「あの、大我さん、起きてますか?」


 扉の向こうから聞こえてきたのは、ティアの声だった。


「あー起きてるよ」


 大我は軽い返事を扉の向こうへ投げかける。

 それを聞き、ティアはそっと扉を開ける。


「おはようございます大我さん。朝食はもう出来上がってますよ?」


「……あれ、一緒に朝飯食べていいのか?」


 一晩だけ泊めてもらうものだと思っていた大我は、ティアの呼びかけにきょとんとした顔で質問する。


「もちろんですよ。一文無しの状態で外に出ても、何も食べられないじゃないですか」


「……確かに」


 その一言に納得し、大我は大人しく部屋から出てティアの後ろをついていく。

 部屋から出ると、食欲をそそるいい香りがほのかに鼻の中へと入ってきた。


「倉庫しか空いてなかったので、寝苦しかったかもしれませんけど、大丈夫でした?」


 後ろをついていっているので表情は見えなかったが、ティアはどこか申し訳なさそうな声色で大我にたずねた。


「そこまで悪くもなかった。どんな部屋でも、用意してもらえるだけありがたいって」


「ありがとうございます」


 今度はほっとしたような声色で、ティアは返事を返した。

 そうこうしているうちに、二人は昨日シチューを食したテーブルまでたどり着く。

 その上には、薄く切った後に軽い焼き目が付くように焼かれた二枚のバゲットと、見た目にもとろとろしているコーンポタージュ、以前の世界でもよく見た色鮮やかなサラダ、そして牛乳が、大我を含めた人数分用意されていた。


「うまそう……」


 思わず、即素直に浮かび上がった感想が口に出る大我。

 昨日ひたすら食べていたシチューも美味しかったことには違いなかったが、そのときはただただ不足したエネルギーを補給するのに夢中で、脳裏にはうまいの三文字しか浮かばせることができなかった。

 しかし今は充分にエネルギーも満ち、文化的な感想を脳裏に表すことができるまでに回復したために、美味しそうという感想がはっきりと言葉として現れたのだった。


「あら、おはよう大我くん。さ、早く座って座って」


 ティアの母親であるリアナが、大我を見るやいなや、空いている椅子を引き、急かすように背中から押し出して座らせようとした。

 大我はそれに戸惑いながらも、抵抗することはなくされるがままに着席した。

 それからティアも席に座り、食卓にはその家族と大我の四人が揃った。


「さて、みんな揃ったことだし、さっさと食べてしまおうじゃないか」


 早く食事を始めたいと言わんばかりの父親のエリックの一言で、皆は食事を始めた。

 それぞれにバゲットをかじり、牛乳を飲み、サラダを口に運び、一日の始まりを楽しむ。


「うん、やっぱりリアナの料理は最高だな」


「やだもう、今日はティアだけじゃないんですよ?」


「あ、そうだった……」


 朝から惚気を含んだ幸せそうな食事を進める。そんな夫婦にちょっと乾いた笑いを見せるティア。

 しかし大我に用意された食事を見てみると、全く手をつけていないことがわかるくらいに食器が動いた形跡が見られなかった。


「どうしたんだ大我くん? 具合が悪いのか?」


 二人は心配そうな顔で大我に聞く。大我は申し訳なさそうで二人に返す。


「あいや、えっと、昨日のこともあって、こんなにお世話になってもいいのかなって」


「気にすることないわ。朝の食事は大切な活力なんだから、食べなきゃ昨日みたいに倒れかねないわよ?」


 リアナの優しい返事に、大我は少し間を置いて考える。そして、顔の緊張を少しだけ解いてから、大我は目の前で手を合わせた。


「ありがとうございます。いただきます」


 一礼をした後、まずはフォークを持ってサラダに手をつける。

 みずみずしいレタスに近い葉物に、軽くドレッシングらしき液体がかけられたシンプルなものだったが、口に入れると、独特ながらも不快ではない個性とも取れる青臭さ、シャキシャキとした食感、それを引き立ててくれる酸っぱさとしょっぱさが同居したドレッシングが、涎を掻き立て口の中を味と共に潤した。


「…………!」


 昨日の獣のような食事から一転、大我はそのおいしさに心の中で感嘆した。自然とその口に運ぶ速度が上がっていく。

 続けて大我は見た目からカリカリしていることがわかるバゲットに手をつけた。よく見ると、上の面にはアクセント程度に薄くバターが溶けた後が見られる。

 口に運んで一口噛むと、ザクッという快感な音と共に小麦の風味、ほんのりとバターのコクと塩味が押し寄せる。

 固いパンにはスープが欲しくなると言わんばかりに、次はコーンポタージュへと手をつける。

 スプーンで一杯すくって舌に乗るように流し込む。

 細かく残ったコーンのつぶつぶ、一口でわかるまろやかな濃厚さ、それを底上げする塩味、大我が今まで食べたポタージュの中でも間違いなく一番となりうるものだった。

 そろそろ塩味以外の物が欲しくなった大我は、木製のコップに注がれた牛乳を味わいながら流し込む。

 冷えた牛乳は濃厚ながらもさわやかで、舌のリセットにはその冷たさはまさにちょうどいい塩梅となった。

 その四種を、大我はひたすら味わいながら、早いペースで夢中になって食した。新世界で初めてのはっきりと味わいながらの食事に、大我は舌鼓をうつ。


「気に入ってもらえたようで何よりね」


「リアナが作ったんだから当たり前だろう?」


「やだもう……褒めすぎよ」


 大我の食べっぷりを出汁に、二人はさらに惚気ける。

 そんな様子を、仕方ないなぁと言わんばかりの傍観者っぷりで、ティアはマイペースに食事を進めながら眺めていた。


「もう二人とも! 恥ずかしいからやめてよ!」


「あ、ああすまんつい……」


「ごめんなさいね……」


 ティアの横槍で、二人は固有の空間から現実に戻ってきた。


「もう……あれ、大我さん?」


 ふと大我の方へ視線を向けると、食事中の手が止まり、三人のやり取りを眺めていたよう眼差しを送っていた。


「あの、変なとこ見せちゃって……」


「いや、そうじゃないんだよ。なんか……両親のことちょっと思い出してな」


 家族らしいやり取りに、思わず大我はおいしい一時を一度止める程に意識が向いていた。

 大我は今まで両親と過ごしてきた日々、そしてコールドスリープされるかつてのことを思い出していた。

 その視線は、大我がずっとつけている右手中指へと移る。


「あら、その指輪……綺麗じゃない」


 それに先に感心を示したのはリアナだった。

 何か物憂げに見つめる様子から、思い入れがあるのだろうと察したリアナは、褒める以上のことは何も言わず、笑顔を向けた。


「……ありがとうございます」


 その一言に、大我は何か込み上げるものが心の底から沸き上がった。

 しかし今の楽しい雰囲気を邪魔するわけにはいかないと、大我はぐっと、気持ちを牛乳と共に流し込む。

 そして、再び黙々と食事を再開した。一杯の牛乳の後で感じた味は、どこか鋭かった。

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