第7話

 ユグドラシル前の広場、大我が樹の中へと入ってから長い時間が立ち、辺りはすっかり夕暮れの光に包まれていた。

 そんな広場の椅子が用意された休憩スペースで、ティアは何度か街中を散歩し時間を潰しながらも大我の事を待ち続けていた。


「おっ、どうしたんだティア? こんなとこでボーっとして」


 巨大猪の回収を終えて報酬を得たアリシアが、広場にいるティアを見つけて話しかけてくる。

 現在の服装は露出が多い物ではなく、それなりに動きやすい布地の服へ着替えていた。


「アリシア……ちょっとね」


「あれ、そういやさっきの……大我だったかな? あいつはどうしたんだ?」


「それが……ルシールの神憑が起きた後にユグドラシルの中に入っていって、それからずっと」


「嘘だろ!? 住人でもないのに?」


 ティアは小さく頷く。アリシアは驚きのあまり、大きく身体を動かしてびっくりする。


「そうか、だからなんかいつもより騒がしいんだな」


「まあ、そういうところかな」


「んで、一目惚れしてたティアは大我のことが気になってずっと待ってたと」


「ちっ、違うよ! 何が起きてるのか気にはなってるけど……」


 二人がそんな他愛のない会話をしていたその時、その二人が通った扉の近くに人々が集まり始め、ざわざわとどよめき始める。

 それに連鎖して、徐々にそのざわめきが大きくなっていく。


「おっ、なんか動きがあったみたいだな」


「行ってみようよ」


 二人は野次馬のように、世界樹の方へと走り出した。

 まばらながらも何人もの人が集まり、さながらアイドルの出待ちのような様相を示していた。


「あー見えた見えた。あれだよな?」


「えっ、どこどこ?」


 どこを見ればよかったのかわからなかったティアに、アリシアが肩を叩いて指を差す。

 その先には、肩に精霊を乗せて妙にぐったりした体勢で戻ってきた大我の姿があった。


「マジかよ……あいつ、精霊を連れてる」


「えっ、本当に!?」


 二人は人混みの中を掻き分けて、大我に直接会いに行った。


「で、入ってた写真とかのデータもお前の中に入ってるってわけか」


「そういうこと。あと俺にはちゃんと名前があるからそっちで呼べ」


「ああわかったよエルフィ」


 自身に組み込まれた部品やデータ等、様々な話を道中でしつつ、一度来た通路を戻る大我とエルフィ。

 そんな会話に集中して周りが見えていなかった大我は、自分の前に多くの人々が集まっていることにようやく気が付く。


「えっ、えっ、何がどうなってるんだ」


「大我!」


「大我さん!」


 その中から、先程出会ったティアとアリシアが飛び出してくる。

 二人の表情は、何か途轍も無い物を見たような驚愕の表情だった。


「おー二人ともさっきぶり。なんか二人とも凄い顔してるけどどうした?」


「た、大我……お前……なんでその精霊を連れてるんだ!?」


「えっ、なんか役に立つからお供にって」


「そ、そんな軽く……」


「な、なんだ? 何か変な事言ったか?」


 大我は返事を返す度に驚く人々に、何がなんだかわけもわからず質問を返す。

 それを補足するように、今度は隣を飛ぶエルフィが答えた。


「あのな大我、俺みたいなのがいるってことは、ここではとても優れた資質を神様に認められたってことだぞ。そんで、10年前から俺みたいな精霊の加護が授けられるようになったんだけどな、それを受けたのは大我含めて二人だけなんだよ」


「……マジで?」


 エルフィからの、アリアが説明していなかった分の補足説明を受け、自分が知らないうちになんだかとてつもない物を背負ってしまったらしい事に大我は気づいた。

 そうなると、今自分に無数の視線が注がれている事にも納得がいく。

 そもそも街の住人ではない。わかりやすいそれらしい資質も持っていない。そんな自分に精霊が着いてるということがいかにこの街にとって特異な事態であるか、ようやく理解できた。

 と同時に、とても面倒くさい境遇になってしまったのではと心の中で頭を抱えた。

 そんな人物がいるとなっては、一目見てみたいというのも無理はなく、街中からさらに人々が集まりだす。


「お、おいどうすんだよこれ!」


「知らねえよ!」


「おい、そこのお前!」


 人混みの向こうから、おそらく大我に対してであろう大声が聞こえる。

 その声の主は、先程の二人と同じように、しかしわりかし強引気味に人混みを掻き分けて大我の所まで歩み寄った。

 目の前に現れたのは、少し茶がかった金髪でツンツンした髪型の青年だった


「マジかよ、本当に精霊が……初めて見る顔だな。お前名前はなんて言うんだ」


 初対面でいきなりぶつかってくるような物言いに若干イラっとしながらも、名前を聞かれたならばと大我はそのまま答える。


「……桐生大我だよ。そういうお前も、名前はなんて言うんだ」


 カウンターの意図も含めて、大我は同じように名前を聞き返す。


「俺はラント=グローバーだ。今からお前に勝負を挑ませてもらう」


「……はぁ?」


 出会っていきなりの宣戦布告に、当然大我は頭上にハテナマークを浮かべる。

 そんなことはお構い無しに、ラントはぐいぐいと近付いていく。


「どこの誰かも知らんいきなりやってきたお前が、神様から認められるとか信じられねえ。納得いかねえ。だからお前にどんな力があるのか見させてもらおうか」


 卑屈気味な機械の女神からの現状説明が終わったと思ったら見世物小屋のように人が集まり、そして今度は知らない野郎からずかずかと勝手に話を進めて勝負を挑まれ、休む暇もなく次から次へと向こうからやってくる強制エンカウントな事象の数々に、大我の血の気はだんだん多くなり始めていた。


「……頼むからちょっと待ってくれよ……少しは落ち着かせてくれっつーの……とにかく疲れてんだよ……ああもうやってやるよ。そっちから喧嘩売るなら受けて立ってやるよんの野郎!」


 理性がなんとか声のボリュームを抑えながらも、ぶつぶつと大我は溜まりに溜まったストレスをぶちまけ、その勢いでラントの喧嘩を真っ向から買っていった。

 一騒動になることを予見してか、集まっていた人々は距離を取って散り散りになる。


「おっしゃこいこの野郎!」


 ラントもその買い言葉に、構えのポーズを取って臨戦態勢に移行した。

 しかしそれから間も無く、大我は一瞬で距離を詰めより、そして一撃力任せのパンチを叩き込む。

 ラントは咄嗟にそれに反応してガードするが、その威力は凄まじく、ガードの体勢を崩しながら大きく吹っ飛ばした。

 予想外の衝撃の大きさに動揺しながらも、ラントは地面にぶつかる前に体勢を立て直し、着地と同時に足をブレーキにして勢いを殺しつつ転倒を防ぐ。

 その一撃にラントは心底驚愕したが、この場で最も衝撃を受けたのは、当の大我本人だった。

 一度アリアへと攻撃した時は易々と受け止められたために、実際は大したことはないと考えていたが、自身の拳に途轍も無い威力が宿っていたことに、大我は右の拳をじっと見つめながらただただ唖然とした。


「やるじゃねえか……」


 幾分の興奮を見出だしながら、ラントは再び飛びかかっていく。

 今度は中距離の地点から一気に飛びかかり、その勢いを乗せて強力な飛び蹴りを放つ。

 自らの拳に唖然としていた大我は、意識が殆どそっちに向けられていたために反応が遅れ、もうすぐ脚が届きそうなところで初めて攻撃に気づく。


(危ねぇ!?)


 間に合うかどうか微妙なところで、大我は足を強くふんばって避けようとした。

 しかし今度は、自身が考えていた以上の距離を飛んでしまい、大我は自らの力で大きくふっ飛んでしまった。

 人々には、この様子はラントが大我を吹っ飛ばしたように見えたが、当事者の二人や一部の者にはそうではないことを理解した。

 大我は地面に激突した後、転がりながらなんとか体勢を整え、ただ避けようとしただけなのに放り投げられたかのような挙動が起きたことに、どれだけの力がアリアによって引き出されたのかと、内心身震いをした。


(嘘だろ……以前よりも身体が何十倍も軽いし、パワーも有り余ってるどころじゃねえ。うまくコントロールしなきゃ自分に吹っ飛ばされそうだ……)


 今までよりも明らかに強く『なりすぎている』身体能力に振り回される大我。そしてその様子は、かなり薄々ながらラントも気づき始めていた。


(手応えが全く無かった。アイツは自分で吹っ飛ばされたんだ。舐めてるのかと思ったが、アイツの目はしっかりと俺を捉えてやがった。まさか、自分でも力が扱いきれてねえのか? ……なんだよますますわけわかんねえぞ)


 この派手なようでどこか奇妙なぶつかり合いを通して、大我やラントはだんだん頭が冷え始める。

 大我は自身の身体に与えられた異常な力を少しずつ自覚し、ラントは目の前の異人の不安定ながらも確かに保有している力を認めながらも、負けられないという対抗心が強くなっていった。


「思ったよりやるじゃねえか! まだまだ行くぞ!」


 ラントは再び距離を一気に詰める。そして今度は、一撃ではなくひたすら正面からのラッシュを仕掛けてきた。

 大我はそれを大振りな動きでやや大袈裟に動いていく。そのラッシュは速くはあるが、見切れない程ではないと、なんとか避け続ける。

 そんな二人の戦いを、街の住人、そしてティアとアリシアの二人が見守っていた。


「一体どうしたんだあいつ……あんなに血の気が多かったか?」


「ラント……」


 以前からラントと付き合いのある二人は、珍しく闘争心を剥き出しにしながら、そしてどこか少しだけ楽しそうなラントをただ見守るしかなかった。

 そんな中、大我のラッシュを避ける動きが少しずつコンパクトになっていく。

 自分の身体を動かす力の加減が相変わらずうまくいかずに、一発一発の攻撃を大袈裟に避けざるを得なかった大我だが、それを繰り返す事によってコツを掴み始め、遂にはちゃんとその動きを見て少ない動きで避けるようになる。


「ここだ!」


 ラントのラッシュの隙間に、大我は小さく荒い動きの威力を抑えたストレートを叩き込む。

 その一発は見事命中し、ラントは一度後退する。

 動きのイメージと実際の動作がしっかりと噛み合った大我は、小さい声でよしと呟きながら、再び視線をラントに合わせる。

 対してラントも、今度は構えを取って大きな一撃を与えようと、視線を向けた。


「次は耐えられるか?」


「上等だ」


 遅れて大我も、構えて飛び込みの準備を整える。

 そして、二人同時に正面からぶつかりあいかけた。


「はーい二人ともここでストッープ!」


 その時、二人の間に一人の少女が割り込んできた。

 その少女はピンクの可愛らしいツインテールで、黒色の瞳という珍しいながら可愛らしい容姿を持つエルフだった。その一声から、快活な印象が溢れる。

 二人は互いに拳を叩き込む直前のフォームで止まり、攻撃を止める。


「二人とも! こんなところで喧嘩しちゃ危ないよ! だからね、ここはこのセレナに免じて引き分けってことで……ねっ?」


 そのセレナと名乗る少女は、それぞれ二人を宥めるように明るく顔を向け、ウィンクと共に勝負の中止を促す。

 思わぬ闖入者の乱入に興を削がれたラントは、若干不愉快そうな顔を下に向けて、溜め息をついて振り返る。


「はぁ……お前が出ると調子狂うんだよな」


「あー酷い! それどういうことー!」


 セレナは顔を膨らませて、トゲを隠さない文句に、わかりやすくかわいらしく怒る。

 それを無視して、ラントは振り向かずに大我に向けて去り際に一言残す。


「大我だったか。いつか決着をつけてやるからな」


 そして、そのままラントは去っていった。


「ごめんね。ラント、精霊を連れたあなたに嫉妬してたみたいなの。だから今回は大目に見てあげてね。あっ! あたしはセレナ=ルーチェって言うの! よろしくねっ!」


 明るいを通り越してあざといという領域まで達している仕草と喋りで、言いたいことを全て言い切るセレナ。


「それじゃ、まったいつかねーっ!」


 セレナは最後に決めポーズを取ってからその場を離れた。

 突風のような勢いで過ぎ去った一人劇場に、大我はとても胸焼けするような思いだった。


「……結局なんだったんだよアレ」


 大我の後ろから、距離を取って様子見をしていたティアとアリシアが近づいてくる。


「あの、大丈夫ですか大我さん?」


「あんなにふらついていたのに、急にそんなに動いていいのか?」


 二人は出会ったときの大我とはあまりにも違う運動能力に仰天しながら、突然激しく動いたことによる反動が起きていないかの心配をしていた。


「ああ、これくらいならだい……じょうぶ……」


 大丈夫だと言い切ろうとしたその時、糸が切れたように大我はふらっと倒れ始めた。

 それを防ぐように、ティアとアリシアは肩を持って途中で身体を支える。


「た、大我さん! 大丈夫じゃないですよ!?」


「もうふらふらじゃないか……」


「ち、力が入らねえ……腹減った……」


 自身の身体がエネルギーの消費の激しい物になっている事を完全に忘れてしまっていた大我は、蓄えが無い状態で激しいぶつかり合いをした為に、既に枯渇寸前の状態になっていた。


「何か食べ物は……」


「そうだ、あたしが仕留めた肉があるんだ。あたしが料理を」


「わ、私がその肉で何か作りますから! まずは私の家まで運びましょう!」


「えっ、あ、ああそうだな」


 自分が作ると言いかけたところで横から遮られ、アリシアは一瞬放心したが、すぐに我に帰ってティアと協力して大我を運び出す。

 その一部始終を距離を取って見ていたエルフィは、やれやれと溜め息をついてその後ろをゆっくりと飛んでついていった。


「はぁ……先が思いやられるなぁ」

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