1章 大いなる幻想

第1話

 真っ暗闇の洞窟の奥、朽ち果てた鋼鉄のオブジェが突如轟音をたてて動き出す。

 無数の鋼鉄の巨大なカプセルが鎮座する中、いくつか見られるぽっかりと空いたスペース。そのうちの一つから、同じ鋼鉄のカプセルが地面からせりだした。

 蒸気の音を洞窟中に響かせながら、カプセルは蛹が割れるように開いていった。

 その中から現れたのは、一人の少年、桐生大我だった。長い年月の末に、大我はコールドスリープから目覚め再び生きることとなった。

 大我は久方ぶりの空気を全身に浴び、ゆっくりと目を醒ます。


「んん……ぐ……ああ……」


 目を開けると、最初に入ってきたのは真っ暗闇の光景だった。

 光も何もなく、身体に感じるのは、冷たい空気とずっと身体を動かしてなかったが故に感じる気だるさと重さ。大我は、今自分がどんな状況に置かれているのかを理解するために、記憶を整理し始める。


「俺は……なんでこんなところに…………っ!? そうだ、母さん! 親父!」


 大我は直ぐ様カプセルから降りて、地面に立とうとした。

 しかし、その一連の動作すら覚束無い上に、暗闇でどこに何があるのかすら全く分からない状態のため、大我はすっ転んでしまう。


「いてて……クソッ、情けねえ……」


 地面に落ちると、砂埃が舞う。大我は立ち上がり、服についた砂を叩き落とす。

 少しずつ目が暗闇に慣れ始めた大我は、ふと右手を見つめる。右手の中指には、母である風花から託された指輪が填められていた。


「…………夢じゃないんだな」


 大我は右手を握り、言葉にならない悔しさを噛み締めた。


「そうだ、ここがあのシェルターなら……」


 とにかくまずは動こうと、闇に慣れた目で確保した視界と、断片的な記憶を頼りに、洞窟の中を歩き出す。

 身体の不自由感の次に大我を襲ったのは、空腹だった。入り口の扉を目指しつつ、業務用冷蔵庫があった場所まで足を進める。

 おぼろ気な記憶通りの場所にあった冷蔵庫を開けると、そこには食料らしき物は何も見当たらなかった。


「……駄目か」


 冷蔵庫を閉め、真っ直ぐ入り口を目指す。

 一歩歩く度に埃が舞い上がり、長い間誰も居なかったということを嫌でも実感させてくれる。


「……みんな、生きてたらいいけど」


 とても淡い希望を抱きつつ歩いていると、大我は一筋の光を見つけた。

 その光は隙間から漏れているような光で、道のりから考えても、そこが入り口だということがすぐにわかった。


「あそこか!」


 大我は一目散に走る。その足取りは、逃げていた時よりも圧倒的に悪く、著しく運動能力が低下していることを嫌でも自覚できた。

 それでも大我は、ここから出たい一心で走った。

 扉の目の前に着いたところで、大我は一瞬考える。待ち伏せをされてないか、出た瞬間に殺されないだろうか、扉を目の前に踏み止まる。

 それを助長するように、扉には外から攻撃されたような変形の痕が残っていた。

 耳を密着させて外の音を聞こうとしても、耳に入るのは草木が風に踊る音が殆どだった。


「…………だぁーもう! 考えても仕方ねえ!」


 このままシェルターの中にいても事態が進展するとも思えなかった大我は、髪をわしゃわしゃとさせた後、扉の取っ手に手を置く。


「誰でもいい、誰かに助けを求めるんだ!」


 そして大我は、全力を振り絞って、一度触れた時よりもかなり重く感じるようになった扉を開けた。

 日光が容赦無く降り注ぎ、反射的に腕で光を遮る。

 そのポーズのまま、ゆっくりと大我は外へと歩き出す。


「まぶしい……」


 強く爽やかな風が吹き、草木の音が耳に心地よい。闇の次は光に慣れ始めた大我はゆっくりと腕を下げて、真っ直ぐと外の光景を見る。

 その様子に、大我は言葉を失った。


「っっ……!!」


 大我の目の前に広がったのは、辺り一面の森林だった。

 大木が幾つもそびえ立ち、この場所に誰かが立ち寄ったという形跡は、ぱっと見では全く見られない。


「なんだよこれ……どこなんだここは……俺が知ってる場所じゃねえ」


 何がなんだか分からなくなってきた大我は、街は、もっと先の様子はどうなっているんだと気になり、今の場所と過去の光景を照らし合わせ、その脳内に描かれた道をなぞって樫ノ山を登り始める。

 大我は昔、遠足や探検等で何度も登った事があり、どのような道を歩けば手早く移動できるか、どこからなら山からの景色を一望出来るか等を熟知していた。

 心理的な行動の枷が外れた大我は、急いで山を登る。


* * *


 登り始めてから暫くすると、大我は激しい息切れを起こし、膝を曲げて日光を背に立ち止まっていた。


「はぁ……はぁ……はぁ……こんなに……疲れてたか……俺……この道で……」


 歩き慣れた筈の山道。そのルートも、以前と殆ど変わっている様子は無く、生えている植物や周辺の光景が丸々変わっている事以外はそれまでと同じはずだった。

 それだけに、到着してもいない内に極度に疲労している自分が信じられなかった。体力に自信がある、という程でもないが、大我にとってこの山道は面倒臭いがそこそこに疲れる程度という認識が身体と記憶に染み付いていた。

 腹の中に内容物があれば今にも膝をついて吐き出してしまいそうな、全身を襲う重くのしかかる疲労は大我の足を何度も何度も止める。


「なんなんだよ一体……何が起きてるんだよ……」


 疲労困憊の大我は、飢えた身体に鞭を打ってひたすらに歩き続けた。

 そしてそれから暫くして、大我は景色を一望できる、樫ノ山の拓けた場所へと到達する。

 咳き込みながら、早歩きで目的の場所まで移動する。


「やっと着いたか……こんなこと思ったのは幼稚園以来だな」


 思い出に浸りながら、大我は崖のようになっている斜面まで足を運び、今の世界の全貌を確かめる。

 その光景に、大我は驚嘆の言葉を漏らした。


「っっ…………!! 俺は……本当に夢から醒めたのか……? ここが……俺が住んでた世界なのか……?」


 大我が目にしたのは、あまりにも現実離れした光景だった。

 樫ノ山の麓からは緑一色と言っても差し支えがない程の森が広がっており、そのずっとずっと先には、それまで影も形も存在していなかった、中世の雰囲気を醸し出す巨大な街。そしてその街の中心には天を貫くような高さと、巨大さを感じさせる、人一人が蟻のような大きさに思える程の現実離れした大樹がそびえ立っていた。

 しかし、かつて自身が住んでいた樫賀谷市や、その周辺の道路、建物、そういった光景は影も形もなく、まさにこの緑の海に飲み込まれたと勘違いしてもおかしくないような圧巻の景色だった。

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