12. リスタート・メソッド

 なんでこんなことにと改めて自分の境遇をかこちつつ、本の先へと読み進む。

 鏡の記述以外にも、序章には変更点がありそうだったが、あやふやな記憶では判断できない。カップが空になるまでページを繰り、手を止めたのは中盤を過ぎた頃だった。


 何れにせよ以前読んだのはこの辺りまでで、チェック作業は終了だ。同じ場所を往復し始めたの視線に気付き、奈々崎さんは本へ顔を近寄せた。


「何か見つかった?」

「あぅ……や、やっぱり、ここがおかしいよ」


 急接近した彼女に硬直しながらも、逃げずに指で一節を押さえる。リスタート・メソッド、その紹介にどうにも違和感を覚えた。


“小説継続に、九の大技あり”


 本当だろうか。メソッドは、十パターンが載っていなかったか?


「一個足りない気がする。リスタートの方法って、他に何があるの?」

「うーん、修正じゃなくて、ちゃぶ台返しでしょ。主人公が交代するとか?」

「それは“後継者登場”のパターンだね」


 彼女は思い付くままに、物語のリセット方法を挙げていく。

 巨大隕石で大破壊、これはゲドン化。

 実はゲーム世界だった、というのは、入れ子世界化。

 争っている場合か! 魔法陣を潰さないと世界が消滅するぞ――このパターンは、侵略者登場の変種だ。新な脅威の登場で、それまでの敵と手を結ぶ流れを作れる。


 もういっそのこと話を投げ出して、そもそもの始まりを語り出す“エピソードゼロ”、これが過去化。リセット法としては応急処置的なやり方であり、過去編を書いている間に先を考えないと、また詰まってしまう。


「うー、何だったかなあ」

「有名作の延命方法は、大体網羅してるわね。映画の続編とかも同手法だし……あっ、モンドリアン!」

「ホラーの?」


『モンドリアン』は、格子柄の魔人モンドリアンが、閉鎖空間で襲いかかる大ヒットホラー映画である。

 人気故に、続編もパート6まで作られた。

 一人だった魔人が、2では二十人に、3では三百人に増え、最新作に至っては魔人口が人類の数を超える。


「敵の数が、等比級数的に増えていくパターンよ」

「それは長編化テンプレの“無限増殖”だね。等差級数にしないと、短編になるから注意」

「書けないくせに、詳しいわねえ」

「書けないからだよう。必死だったんだから」


 口を尖らせる仕草が面白かったのか、彼女はまたクスリと笑った。羊のせいで、この顔を忘れていたと思うと、何だかやるせない。


 二人で考えに耽る内に、時計はもう六時前を指していた。夕食の準備をしましょうと言う奈々崎さんに、『読ませる技術』を持たせる。


「羊が見つけると、また消されちまう。預かってくれないかな」

「構わないけど、後半は読んでないんでしょ?」

「上級テクニックは、まだ早いよ。他の二冊もあるし」

「まあ、宝の持ち腐れだもんね」


 意外と毒舌系らしい彼女の言葉も、舞い上がり気味の俺には小気味よいスパイスだった。

 本を鞄に仕舞った奈々崎さんは、俺に断ってから冷蔵庫を覗く。最初から料理もするつもりだったようで、ハンバーガーを温め直している間に、余った野菜でミネストローネ風のスープを作ってくれた。


 トマトが入っていないのに何故か赤いスープを皿に分け、小さなテーブルで晩餐を味わう。冷えてきた部屋では、熱いスープがありがたい。


「美味いよ、これ!」

「そう? ならよかった。ケチャップで代用したんだよ」


 ハンバーガーは三つ、サイドメニューにはサーモンとポテトのフィッシュ&チップス。彼女がサーモンフライをニコニコ食べる姿には、鮭好きの俺も嬉しくなる。


 幻の第三版については奈々崎さんも調べてみて、何か分かれば連絡してくれるそうだ。

 羊が本当にいるとなれば、彼女の気合いも入ろうというもの。まだ自分も契約する気があるらしく、そこはの不安材料だった。


 止めるように説得する俺に、二百万字くらい半年もかからないと主張する奈々崎さん。電話のやり取りを再燃させていると、刻限が訪れる。

 午後八時。


「それが言ってた人?」

「はい、羊ファンだそうです」

「ふーん」


 独り芝居を始めたように見えるのだろう。奈々崎さんが訝しげな視線を送ってくる。これは本物ではないのか――病気的な意味で、そう言わんばかりの眼差しだ。


 畳の上を座ったまま後退り始めた女は、俺が差し出した原稿を見て動きを止めた。印字されたコピー用紙が、魔法の如く白紙に戻っていく。


「ギュルギュルギュルッ!」

「ひぃっ!」


 不吉な鳴き声に、黒塗りの悪夢を思い出しておののいた。用紙に近寄っていた奈々崎さんも、俺の悲鳴に合わせて体を跳ねさせる。


「ちょっとお、脅かさないでよ」

「ヤバい、ヤバいって! 奈々崎さん、逃げて!」

「な、なに?」


 ラルサが言うに、彼女の目に映るのはわななく俺だけ。しかし、文字の消滅を直接見た以上、超常現象を信じないわけにもいかないはず。

 言われた通りにドアから飛び出して、彼女は部屋から脱出した。不吉な軋み・・を立て続けるラルサへ、残された俺は怯えた目を向ける。

 また、消される。何がマズかった、機械に頼ったことか?


「ギュルッ、ギュルーッ!」

「くっ……」


 歯を食い縛り、細めた目で羊を睨む。消すなら昔の記憶にしてくれ。もう奈々崎さんは消さないでくれ。


「頼むから、今日の記憶は――」

「おっもしろいねえ、これ! ギュルッ」

「ええっ!?」

「もう爆笑だよ。“不燃性ボックス、作って死ぬ。台風でしょう”って。ギュルギュルッ!」


 ツ、ツボが分からん。そこが爆笑ポイントなんだ。


「……“発光物質くん”」

「ギュハッ! やめてよ、笑い死ぬ。死なないけど」


 どうやら、ラルサの勘所を突いたらしく、しばらくギュヒギュヒと悶えていた。

 息が整うのを待って、今日の換算は二万百三字と宣言される。面白いからと言って、加算はされないようだ。


「あれっ、見学の人は?」

「……ちょっとお腹が痛くなったらしくて。あのっ!」

「ん?」

「彼女も契約できるんですか?」

「あの人じゃ、まず呼び出せないと思うよ。足りないもの」


 足りない? 何が? 聞き返す前に、羊が言葉を続ける。


「キミは必死だったからね。どっちにしろ、今は手一杯だよ」

「それは……ここに来てるから?」

「……そうそう。ほら、あれだよ。過密スケジュールだから。全員回ったら、一日が終わっちゃう」


 ラルサが出現するのは自分の所だけではないと、この言葉で分かる。

 何人に憑いているのか、誰かと交代はできないのか、あと百万字書けば本当に解放してくれるのか。ラルサの機嫌のいい今こそと、俺は一気に質問を浴びせた。

 だが、これは羊の沈黙を招いてしまう。


「気に入らなければ答えなくていいんです。文章の得意な人間はいっぱいいるのに、なんで自分なのかなあって」

「……ボクだって、書ける人間の方が楽だよ。仕方ないじゃん、契約しちゃったんだから」

「でも、他にも担当先があるなら、そっちを優先したほうが――」

「うるさいなあ、文句言わないで書いてよ。これじゃ飢え死にしちゃうじゃん。死なないけど」

「だけど――」

「黙れ」

「はい」


 目を光らせてしまった。本日の会話は、ここまでだ。

 ぷいと背を向けたラルサは、鏡の向こうへ帰って行く。


 質問が鬱陶しいのは本当だろうが、どうも教えたくないことがあるように感じる。何を隠してるんだ? さっきの会話、どこかおかしくなかったか?


 額に手を当てて熟考し始めたを、ノックの音が現実に引き戻した。

 ドアを開けると、奈々崎さんが寒さに震えて立っている。


「ま、まだ、入っちゃ、ダメなの?」

「ゴメン、中に入って! 毛布を出すよ」


 毛布と熱いティーバッグの紅茶で、彼女は暖を取りつつ、真っ白になった紙を手に取った。蛍光灯に透かしても、印字の痕跡は微かにも見えない。


 元々、羊の話に乗り気だった奈々崎さんは、紙の変化だけで完全に信じたようだ。

 自分には羊が見えなかったのが相当悔しかったらしく、彼女はやや乱暴な口調で喋った内容を尋ねた。


「私も契約できるか聞いた?」

「足りないって言われた。必死さが、かなあ」

「えー、波賀くんより、執筆意欲はあると思うのに」


 契約に必要なものを、具体的には聞き出せていない。次はもっと問い詰めろと言う彼女へ、俺は懇々と諭す。

 羊の怖さは尋常ではなく、逆らうのは無謀である。下手に怒らせると記憶を消去されるし、実際にされた。

 この説明は、もう三回目だ。


「せっかく長文を書いて凌げるようになっても、忘れたら元の木阿弥じゃん」

「上手く騙せば、こう、ポロッと教えてくれたり……」

「ダメダメ、あいつヤバいんだって。振り出しに戻るのは勘弁だよ」


 奈々崎さんが焦げ茶の瞳で、俺をじっと見据える。色気のある表情ではなく、射るような視線に堪らず目を逸らした。


「そんな顔したって、無理なものは無理だよ……」

「違う」

「違うって?」


 奈々崎さんは、トントンと自分の鼻の頭を中指で叩く。


「鼻?」

「鼻じゃないって。そっか忘れたんだね、これも」

「ごめん、覚えてない」

「分かってる、謝らなくていいよ。私、ミステリ好きなんだ。前も話したけどね」


 本格推理が特に好みで、彼女の作中にも鼻の頭を叩く名探偵が出てくるらしい。自分自身を投影したキャラクターで、深く思考を巡らせる時の癖だと言う。


「既存の小説を参考にしたら、出てこないはずだわ」

「何の話なの?」


 理解が追いつかず、両手を万歳した俺へ、人差し指が突き付けられる。これもまた、彼女が書くミステリでは定番の決めポーズだ。

 自作の探偵を気取った奈々崎さんは、その推理を得意げに披露した。

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