13. 奮闘
「いくら話を続けたいからって、小説や映画じゃ、つまらない内容にはできないわ」
「そうだね。モンドリアン6は酷かったけど」
「6はやり過ぎよねえ。いや、格子魔人の話はいいのよ」
魔人が社会を形成し、権利拡大を求めて人間と衝突するシリアスドラマは、ホラーとしては最低の評判だった。
駄作の映像を追い払うように宙で手を振ると、奈々崎さんは話を本題に戻す。
「普通は主人公を交替したり、舞台を変えて、少しでも新味を足そうとする。続編で同じことを繰り返しちゃ、飽きられるでしょ」
「……あっ」
「でもね、今回は大丈夫。終わりそうになったら、最初に戻ればいい」
振り出しに戻って、全く同じストーリーを語る。その技法名を思い出した。十番目のリスタート・メソッド、確か名前は――。
「――循環化だ。テンプレの
「超面白くない話が生まれるけどね。私は読みたくないわ」
少しくらい細部を変えても、基本的には同筋をなぞるだけで話が何度も繰り返す。面白くなくていいのだから、ほとんどコピーと言っていい単純作業で字を埋められるだろう。
「最初に書くのは、一万字でも二万字でもいい。話を膨らませるのは簡単よ」
「でもさ、相当つまらないよね。羊が怒るんじゃないかな」
「そこよ。いい、考えてもみて――」
仮に一万字の本編を書き、それを五回ループさせたとしよう。五万字を食べたラルサは、不味いと怒り狂うかもしれない。
二度と横着できないように、循環化の記憶と共に全てを忘れさせようとすることも考えられる。
では、百回ループならどうだ? 出来る原稿は
「ゴミで一気に百万字クリア。だから羊さんは嫌がったのよ。そう思わない?」
「なるほど……」
理屈は通っている。
羊が隠そうとしたのは、裏技みたいな方法を知られたくなかったから。つまりは、これでクリア可能だとも言える。
素晴らしい発見に、思わず彼女の手を握って礼を言いたくなるが、実際には頭を下げた。一瞬、空中を
「ありがとう!」
「やだ、土下座なんてしないでよ!」
一筋の光明なんてものではない。彼女がくれたのは、黒羊を消し去る必殺技だ。
もう時間も遅く、奈々崎さんは家に帰ると言う。コートの襟を立てて北風から首筋を守る彼女に、俺は駅まで同行した。
「波賀くんは、今から原稿を書くの?」
「うん。やっと決着が付けられそうだよ」
「小説は酷かったけど、実録記はちょっと楽しかったわ。羊さんの話も書いてみたら?」
「気が向いたらね。でも、しばらくは書きたくないかな」
苦笑いする俺へ、奈々崎さんも笑顔を返す。小さく手を振り合い、彼女が改札の奥へ消えて行くったのを見送ると、俺も最終決戦へと踵を返した。
◇
いくらループさせるからと言って、一言一句同じにしたら羊に却下されてしまう。語尾や言い回しを変えた程度でも同様、これは最初の『木人無双』で痛い目に遭った。
話の構造上、情景描写はそのままでいい。主人公以外の言動が一緒なのも当然である。変えるべきは、主役のセリフだ。
三人称で進むドライな作風にして、主人公は口数の少ない高校生男子にする。他の登場人物も少なくして、手間を省こう。
波賀アツシ、これが主人公。痛い奴だと笑う者はいないんだから、遠慮してる場合じゃない。
ある日、彼が登校すると、異様な光景に愕然とする。クラスの友人全員が、奈々崎麗美になっていたのだ。
本人には悪いけど、この名前のおかげで俺のモチベは
同じ顔が並ぶ奇妙な教室で、普段通りの授業が始まる。一限目は数学。
前に出て例題を解く奈々崎さんと、その間違いを指摘する奈々崎さん。そう、数学教師もまた、スーツ姿の彼女が務めていた。パラダイスだな。
数学の問題を十個用意して、キッチリと字数を稼いだあとは、世界史、化学と授業が進む。
ネットで調べれば例題には事欠かないので、執筆スピードは上々だ。参考書もどきにならない程度に、実際の試験問題を織り交ぜていく。
名前がアツシと奈々崎さんしかないことで、予想以上に楽ができた。
無口なアツシに奈々崎さんも絡まないので淡々と一日が過ぎ、放課後はすぐに帰宅する。電車の中も奈々崎さんだらけ、家に帰れば、奈々崎さんな両親と妹が主人公を待つ。
やれやれと溜め息をつき、さっさと寝たアツシは、翌日まだ悪夢が覚めていないことを知った。リアルだったら天国だけど、ここはあえて悪夢としておく。
家族はやはり奈々崎さんのままであり、学校では数学の授業から始まった。ここで一万字にちょいと足りないため、授業で使う問題を追加挿入する。
字数を整えたら、ループ開始。以降、奈々崎さんの世界を百回コピーする。
『君だけがやたらいる街』、初稿を書き上げたのは、午前三時のことだった。
コピー&ペーストの成果ではあるが、百万字の分量があるテキストファイルに目頭も熱くなる。
しかし、感慨に耽っている場合ではない。勝負はここから、このテキストを、如何に餌へ変形するかが最大の関門だ。
「…………」という沈黙のセリフは、最初のループでは十回登場する。これを百パターンに変化させる作業が第一。
「…………!」
「……っ」
「…………!?」
「なっ……」
「なん……?」
「まさか……」
簡単だった。
どうとでもなるもんだな、と安心しつつ、次の工程へ移る。
「繰り返してるのか!? もう二回目だぞ」、これがループを知った時の主人公の言葉。ループ回数に合わせて数を変更していくだけだが、単調な作業が眠気を誘い、三度ほど数字を間違えた。
途中を飛ばしたカウントは、ループを追加挿入しておく。下手に修正するより、オーバー気味に文字数を確保したい。最終的に、百二回の巻き戻しになった。
コーヒーを飲み、脳をカフェインで覚醒させて徹夜に備える。
ラルサに削減させないためには、まだ足りない。この先は、時間が許す限りループ毎の変化を付けていく。
二周目は玄関で
三周目は校門で躓き、四周目は教室の入り口で躓いた。
弁当のおかずを食べる順番も、毎回変える。一緒に食べる相手も変えまくるが、全部見た目は奈々崎さんだ。妄想力を爆発させろ。
二十三周目で、ご飯だけを先に全部食べた時は、むせる描写も加えた。
三十一周目では、しゃっくりが止まらず、四十五周目では鼻水が止まらない。
六十二周からは奇声を発するわ、突然走り回るわと主人公の精神状態が悪化するが、それもまた一興。奇声はバリエーションが付け易いので、度々使用することにする。
七十八周目、右手と左手でジャンケンをし続ける主人公を書き上げた頃、朝日が部屋に差し込んだ。もう少し。終わりが見えてきた。
八十一周目、除夜の鐘を真似て叫び続ける。
八十八周目、授業中、いきなりの自己紹介。
九十二周目、唐突に「我はサーモーン也!」。
九十九周目、「くっ、俺の左ヒレが疼く……」。
百二周目はラスト、教室の真ん中で魚神を呼んで大団円。「
ああ、奈々崎さん、ありがとう!
まさかの完結に気を良くして、簡単なプロローグも追加する。やり遂げた。誰に馬鹿にされようと、これが俺の百万字だ。
最後は改変作業に力が入り過ぎたために、予定より随分と遅くなってしまった。もう朝の十時を回っている。
印刷したら数時間でも寝ようと考えながら、大きく背を伸ばした。
プリンターの電源を入れ、全ページ印刷を選択する。快調に刷り始めた駆動音は、三ページで停止した。
「なんで!? えっ?」
プリンターのコントロールパネルは、赤い警告ランプを点滅させてトナー切れを訴える。
「そんな……まだ大して刷ってないのに」
“三万枚がドラム交換無しで刷れます”
店員の言葉は、あくまでドラムに関してのものだった。新品のレーザープリンターには、お試し用の少量トナーしか付属していない。そう言えば、昨日から警告ランプは点滅していた。
トナー切れ予想は既に出ていたのだから、見逃した俺に責がある。なんでこうも自分は詰めが甘いんだ。
「月曜日か……」
目的地は駅前の電器店。定休日でないことを祈りつつ、俺は全力で疾走した。
◇
店が営業中であるのを見て神に感謝する。羊顔以外の神に。
「いらっしゃいませ!」
周辺機器売り場に直行すると、先日と同じ若い店員が営業スマイルで出迎えた。やや焦った口調で、制服の彼へ窮状を伝える。
「刷れなくなったんだ、今日中に要るのに」
「また故障ですか? メーカーに発送するので、やっぱり一ヶ月は待ってもらわないと……」
「違うって。トナー切れだよ」
「あー……少々お待ちください」
店員は手持ちの端末をピポピポと操作して、登録された在庫リストを確認した。
「先週ご購入されたプリンター用のトナーですよね?」
「そう!」
一度バックヤードに引っ込んだは、しばらくして首を傾けて帰ってくる。
「何分、古い機種でして、在庫には有りませんねえ。十五日以内にお取り寄せできます」
「十五日! そんなに待てないよ」
「そうは仰られても……」
無い物は無い。駄々をこねたくもなるが、大学生のすることでもないし、その時間すら惜しかった。背を向けて立ち去る俺へ、店員が声を張り上げる。
「お客様、トナーのご注文は!」
「今日はいらない!」
オンラインショップなら、明日届く物も見つかるかもしれない。半月待つよりはずっとマシだ。しかしながら、今夜の原稿はどうするのかという課題が残る。
書く。手で書くしかない。
コンビニでシャーペンの芯と濃縮カフェイン入りのガムを買った俺は、アパートへと特急で帰った。
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