03. オリジナル

 いくらなんでも四文字はないだろうと必死に抗弁するものの、ラルサはにべもない。

 腹が減ったという羊を宥めるため、明日の朝食用に買ったサンドイッチが供された。頭を相変わらず揺らしながら、獣はモグモグと口を動かしてサーモンサンドを齧る。


「他人の言葉は、ングッ……食べ物にならないよ」

「で、でも! 全部イクラに合わせて直したのに」


 卵から生えるのは稚魚、口を開けて雨水を飲んで成長する。表皮で光合成できるスキルを獲得する一文は、後からが足した設定だ。

 その元もネットからのコピペだけどさ。辻妻を合わせるのに、半時間は悩んだというのに。


「カレンダーの日付に言葉の力は無い、分かるよね?」

「……機械的だから?」

「そう。“賞味期限”とか“原材料”とか、こんなのと一緒」


 サンドイッチの包装を、ラルサが蹄で追いやる。

 特価品のチラシも、プリンターのレシートも、クロスワードパズルの解答も食べる気はしないらしい。

 俺がパズルの問題文を書いたなら、それは食事となり得る。つまり、他者に導かれた言葉では駄目なのだ。


 木人無双の序盤、瀕死の若い騎士に、木陰を提供するシーン。雨宿りをさせたくても、葉が少なくてロクに役に立てない。主人公の悔しさが、更なる成長の契機となる名場面である。

 この小さな葉を鮭のひれに置き換えても、俺の創作とは言えない。生臭いだけだ。


「まあ、ちょっと厳しめの評価だけどね。今後、安直なことをされても困るからね」

「そんなあ、四文字は厳し過ぎなんじゃ……」

「字数を簡単に増やす方法はあるよ」


 羊の言葉に、絶望に打ちひしがれていた俺は飛びつく。


「御教示ください」

「鮭をシャケにすれば、六文字になる」

「……それで行きます」


 半泣きの俺はプリンターの電源を入れ、最初のページだけを刷り直す。

 これで残るノルマは、九十九万九千九百九十四字。


「じゃあ、ボクは帰るよ」

「待って、プリントしなくても食べてもらえるの?」

「構わないけど、効率悪いよ。噛み応えが無いから、十分の一扱いかなあ」


 それは困る。紙に印刷するのは必須ってことだ。

 だが、そうやって印刷しても六文字じゃ資源を無駄にしているだけ。


「魚類がマズいんでしょうか……」

「分かってて聞いてるよね、それ」

「シャケに転生して、世界イクラになる展開なら!」

「ま、それならキミの物語だね」


 言ってはみたものの、そんな話が書けたら苦労はしない。木が大きく茂って行くから長く続くのであって、卵に回帰したら話が終わってしまう。


「今日のところは許すけどさ。明日もこんなのだったら、食べるから」

「は、はい……」


 頭を細かく震動させるのは、ラルサなりの怒りの表現だろうか。

 羊が沈み消えた後も、俺は呆然と鏡を見つめ続ける。


 どうすんだよ。本気で書けねえぞ。

 もう一度、創作論を検索するところから、この夜の苦行は再開した。





“小説 創作 オリジナリティ”


 検索結果には、昨夜見たエッセイや創作論が多い。

 ちゃんと読めば、独自性をどうやって獲得するかについても書かれていた。


“自分の経験や仕事を元にした話には、リアリティが生まれます”


 新大学生では限界がある。自分がよく知る学園物なんて、古くからネタが繰り返される巨大ジャンルだ。パクらないで書けなんて、ハードルが高過ぎるだろ。


“ありがちなテーマでも、組み合わせることで新しい魅力が生まれます”


 これは役立ちそうなアドバイスだが、その組み合わせる元ネタが大して思い浮かばない。後々のために覚えておき、他のテクニックを探す。


“キーワードから想像を膨らませるのも一つの手法です。イメージの湧く言葉を、まず探してみましょう”


 これか。

 羊に蹴られていたサンドイッチの包みに、俺は視線を落とした。サーモンサンド、明日の楽しみが消えたことも地味に悲しい。近くのコンビニの定番商品であり、大好物でもあった。


 羊に食われたのは腹立たしいが、小説の題材として扱われることは少なく、メインテーマとして申し分ないだろう。

 これをどう話にまとめるか、その手法も創作論が示してくれる。練習のつもりなら、難しく書かなくていい、と。


“自分の言葉で、飾らず、思いを連ねてみよう”


「面白くなくたって、いいんだもんな」


 今度こそ、俺は生まれて初めての小説・・を書き始めた。

 ポツポツと押される打鍵音は、昨日よりも随分と遅く、弱い。四百字に達するまでに、一時間を要した。


 区切りがついたのは深夜三時、連日のモニター凝視で目が痛い。

 拙く、幼稚な文字の羅列。然しながら、これは立派な“オリジナル”であった。



◇◆◇


『サーモン・ライク・ミー』


 俺はサーモンが好きだ。サーモンは俺が好きか?

 俺は塩ジャケも好きだ。焼きジャケもいい。

 紅ジャケの缶詰は、最高に美味い。最近はあまり売ってないのが寂しい。


 君は何ジャケに似てる?

 今まで、シャケに似ていると言われたことは無い。あそこまでアゴは出ていない。

 たくさん食べ続ければ、俺もシャケに似るんだろうか。


 シャケの皮は生臭い。しかし、しっかり焼くとちょっとした珍味になる。美味いと思う。

 だけど、皮は体に悪いとも聞いた。血がドロドロになると。

 少しなら食べても構わない。そうだよな?

 俺はちょいドロ。ちょいドロなのさ。ちょいドロの美味さが、シャケ皮の醍醐味だ。

 こうやって、俺はシャケに近づいていく。ちょいシャケ、いや、ちょいサーモンか。


 シャーマンじゃない。シャーマンサンドは売っていない。売っていたら、俺もシャケも驚く。

 ジャーマンチキンサンドは、たまに売っている。今度買おうと思う。


 ちょいシャケの俺は、シャケに似ている。次はシャケが歩み寄る番だろう。

 シャケが俺に似る。ちょい俺のシャケ、それが「サーモン・ライク・ミー」


 シャーマンは君に似てる。態度が。

「シャーマン・ライク・ユー」


◇◆◇



 シャーマンが登場してからは、鮭よりも呪術師の話に本筋が移ってしまう。

 小学校の時の同級生が、シャーマンの真似をして、女子を泣かせていた思い出を綴った。クラスのお調子者の山田は、蛇の抜け皮を棒の先に貼付けて、女の子の顔の前で振り回したのだ。

 取り留めのない雑文は、「山田はシャケには似ていなかった」で締められた。


 この段階で、出来上がった原稿は四千字に満たない。

 読み返してみても、その低質な文面に涙が滲みそうになる。昨晩の真逆、自分の文才の欠如がささやかなプライドをさいなむばかりだった。


 せめて文字数だけでも増やしたいところだだけれど、睡眠不足は如何ともし難く、軽くシャワーを浴びて布団に潜り込む。

 翌日の起床時間は、十時を少し過ぎていた。





 小説指南のサイトや投稿エッセイでは、プロが著した創作論も度々紹介されている。

 何冊か定番があるようで、長文を書くヒントになりそうな本のタイトルを俺もメモに写した。おかげでかなりの寝不足だ。


 日が高く昇ってから目覚めた俺は、身支度もそこそこに駅前へ向かう。今日の行き先は電機店の向かい、三階建ての書店だった。

 お目当てを探して、一階から本棚を見て回る。創作関連の書籍は、二階のノンフィクションのコーナーにあった。


 つるぎ夏美なつみの『小説家になった私』、これはすぐに見つかる。荒俣あらまた彦々ひこひこの『読ませる技術』、こちらは背表紙が撚れてタイトルが判別しにくくなっていたが、剣夏美の隣にあったのが幸いして気付くことができた。


 どちらも大長編を得意とする作家の本で、自作を例にして創作の過程を解説したものである。

 二冊を抜き出して左手に抱え、棚に並ぶ背表紙に目を走らせた。あまり優秀とは言えない品揃えのせいか、一番読みたかった本が見当たらない。


「無いなあ。んー……あっ!」


 欲しかった物は、最初から目の前に鎮座していた。分厚過ぎて、意識から外れていたのだ。

 辞書の如く重いその本は『書く物語』、東野ミシンの密着ドキュメンタリーであった。ミシン本人の作ではなく、何人かが取材した創作秘話をまとめてある。

 東野ミシンに注目したのは速筆家として有名だからだ。小説の自動織機とは彼のこと。


“毎日、二万字は書きます。五万字書いたこともあったなあ”


 そのセリフは、世の小説家志望者の間で驚嘆と共に膾炙かいしゃしていた。一日二万字の執筆ペースは、恐ろしい速さなのだ。

 自分がいきなり三万字書こうとしたことがどんなに無謀だったかを、ここでようやく自覚した。


 三冊全てを購入した俺は、近くのドスバーガーへと赴く。一番隅の客席に座り、番号札を置いて、注文品が届くまでミシンの本を流し読んだ。


「十八番の札をお持ちの方ぁー?」


 サーモンバーガーを持ってきたバイトの女の子が、返事をしない客を探してウロウロと客席の間を行き来する。何度か叫ばれて、自分の番号札を倒してしまっていたことに気づいた。


「あ、俺です! すみません」

「えっ……」


 本に集中していて、うっかりしてたんだ。許して。

 ちょっと怒っているのかと思いきや、彼女の視線は俺の持つ本へ向いて離れない。まあ、妙な表情も当然か。とても食事中に読む厚さじゃないからな、これ。

 ファーストフードのランチにかぶりつきながら、気になった箇所を今度はじっくり読み込む。


“大まかなプロットを決めたら、後は即興で書くのみです”


 こんな天才の意見は、役に立たない。


“多少のぎこちなさや、推敲したい表現があっても、とにかく書きます。まずは先に進むことを一番に考えていますね”


 これは肝に銘じるべきだと首肯した。先の作品でも、あのデキで相当悩んで書いた。

 ここはシャケだろうか、それともサーモンが相応しいのか。山田の本名を出して、おかしくないのか。そんな逡巡は、書き上げてから行うべきだった。


“大事だと思う所は、二度、いや三度繰り返して書きます。くどかったら、後で消せばいいんですよ。フフッ”


 目から鮭の鱗が落ちた。そうか、何も一度書いたらおしまいじゃないんだ。繰り返し増殖技法リピーティッド・ライティング、こいつは使える。


 俺はシャケが好き。

 俺はシャケが好きさ。

 俺は、シャケが好きだ!


 これで三倍増じゃないか。プラスαまである。

 大作家たちの創作論には、他にも有用そうな技法が満載だ。コーラを一気飲みしたは、宝の山を発見した気分で、いそいそと店を出た。

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