覚悟 二

 悲鳴がうるさい。

 秋刀魚さんまに似た女に大げさに騒がれた。何も命を取ろうというわけではないのに、必死になって、財布を渡すまいとした。

 とりあえず振り切って逃げたが、声が追いかけてくる。折角取ったものもわざわざ投げ返してやったというのに、うるさい奴だ。


 いざとなったら切り捨てるまでだが、それは最後の手段だ。 


 とにかくひた走っていたら突然、何かにつまずいてすっころんだ。勢いが勢いだから、たまったものではない。

 急いで顔を上げ、上体をひねって見回すと、ひらめに似た男が、にこやかに笑いかけてきた。


「何やったかしらないけど、大人しくつかまっとけば?」 

「貴様ッ…!」

「ほら、来た」


 やはりなごやかに、後方を視線で示す。

 秋刀魚女と、警邏けいらが駆けつけてきているようだった。警邏らしい先頭の男は、あじに似ていた。くそっ、今日は魚尽くしか。


 逃げるかと一瞬だけ迷ったが、こうなったら最後の手段と、刀に手をのばす。

 これだけは、どれだけ食い詰めても、手放さずにいた。たった一つの、俺のり所。

 ところが、まずははじめの犠牲と思った鮃男は、すうと、目を細めた。それだけで空気が変わり、ぞくりと、背筋が冷たくなった。


「それに手をかけるなら、切り捨てられても文句がないってことだ、って取るけど、いい?」


 腹の立つくらいに穏やかな調子は、変わらない。

 それなのに、刀を抜けばそれで最期だと、到底太刀打ちのできない相手が牙をくのだと、わかった。たった一つの拠り所。それが、通用しないと。

 体が、震えた。

 畜生。なんて日だ。なんて、奴だ。


「…くっ!」


 手を放し、土を握り締める。こんな奴に向かって刀を抜くなんて、死にたいと言うようなものだ。

 俺は、それすらもわからない莫迦ではない。そして、死にたくは、ない。

 そうすると、途端とたんに、男の空気は元に戻った。穏やかな、どこにでもいそうな少し気の弱そうな青年に。

 俺は、わらわらとやってきた鯵たちに、易々やすやすと捕まった。

 男は、俺に逃げる気がないと見て取ると、鯵たちに捕まるのを最後までは見届けずに、身をひるがえした。

 そうして、一言呟いたのが、耳に届いた。


「さあ、団子ダンゴ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る