3
松葉杖が片方だけになった。ほんの少し身軽になったきみは、ショルダーバッグで登校しても一人で階段を使えるようになった。今度前のように悠介が手を貸そうとしたら断れるなと思ったのに、その悠介とはあれから全然一緒にならなかった。きみはバスの時刻が決まっているので毎朝同じ時間に学校に来ていたが、悠介は最近始業ギリギリで駆け込んでくるのだった。
まわりの子たちの接し方も前と同じように戻り、移動教室のときに教科書を持ってくれたり、トイレについてきてくれたりする子はあまりいなくなった。ひとに優しくされるのは気が引けるし―これでよかったんだ、と思ってみる。でも、少し拍子抜けしたような気持ちがあるのもたしかだった。
同情されたいんだろうか、ときみは思う。自立して、ひとりで生きていける人間になりたいと思っているのに。片足の自由を失ったヒロインを、六週間演じたいんだろうか。
鼻で笑う。矛盾に絡まっている自分が滑稽だった。きみはいつも自愛と自己嫌悪の間で揺らいでいる。
きらきら光る夜の街がきれいだった。今日は久々に部活が長引き、暗くなってから校門を出た。そういえば、星を見るのは何週間ぶりだろう。
バスを降りたところで、ネオンに目をやる。あと二ヶ月もすれば気の早いクリスマスイルミネーションが始まるだろう。毎年スポットになるのは、こっちのメインストリート―振り向いて、きみははっとした。電光掲示板すらない殺風景なバス停に、きみのよく知るシルエットが立っていた。
「よう、椎野」
シルエットは軽く手を振った。きみのよく知る声だった。
「うそ」
「同じバス乗ってたのにさあ、気づかないのかよ」
「びっくりした……ひさしぶりじゃん」
きみがつぶやくように言うと、シルエットは笑ってこっちにやってきた。きみのよく知る笑顔―彼だった。
「って……おまえ、その足どうしたの?」
「いや」
「いやってなんだよ」
「たいしたことないけどね、松葉杖なんておおげさ」
「なにしたんだよ」
「捻挫。あと一ヶ月くらい使えない」
「初めて聞いたんだけど」
「そりゃそうでしょうね」
だってあなたは、彼女といちゃいちゃでもしてたんじゃないの。きみは声に出さずにつぶやく。ずっとずっと会いたいと思っていたのに、いざ目の前にしてみると、なにを話そうと思っていたのかわからなくなってしまう。
「こっからどうやって帰るの?」
「歩いて帰る」
「その足で?」
「この足で」
彼がなんと言うか、きみはかなり正確に予想がついた。
「後ろ乗れば?」
バス停の駐輪スペースに停めてあった自転車を出しながら、彼は言った。思っていたとおりだった。でも、こっちから頼んだわけじゃないからね―きみは言い訳みたいに考える。
「いいよ、重いから」
「んなことないだろ」
「中学のときより体重増えた」
「変わんないって、チャリなら」
「送ってってくれるの?」
「ほかにどうするんだよ。おまえ拉致っても全然得しないから、俺」
そうだね。きみはほとんど息だけの声で答える。中学の頃のきみなら、きっとおかしくなって笑いだして、拉致ってもいいよのひとことくらい、なんの迷いもなく言えただろう。でも、あの頃といまは同じではない。現実に一年半という時間が経っているのだ。
「乗れば」
彼がうながした。きみは杖を注意深く持ち上げて、初めてのデートみたいにおそるおそる彼に近づく。
歩けば三十分ある道が、自転車だと一瞬だった。彼はかなりゆっくり漕いでくれてはいたが、それでもきみの家はすぐにやってきてしまった。
「早いね」
きみは正直に言った。
「今度ゆっくり話す?」
「ほんと?」
彼の答えに、一瞬心が弾んだ。
「俺、今週末は暇だから。土曜日にでも会う?」
「そんなこと言うなんて、ぽくないね」
「俺が?」
「だっていつもグループでしか遊んでくれなかったじゃん。冗談でも二人っきりの買い物誘うと怒ってたし」
「思春期だったんじゃない? もう卒業したよ」
「勝手に一人で巣立つなよ」
きみは笑って言ったが、内心は少し辛辣だった。
「土曜講習あるけど、十二時半には終わる」
「じゃあ、十二時半におまえの高校迎え行くよ。そしたら一緒にカフェでも行くか」
きみは笑ってうなずいた。素直に笑えた自分がかわいらしいと思えた。
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