第2話

「おはよ」

「…おはよう」


 元気溌剌とした声に、あかりは、ぼそりと返した。たが、相手が気にした様子はない。毎朝のことだ。


「ちゃんと寝た? 今日、朝一で体育でしょ。今度寝不足で倒れたら、説教何時間コースか…賭ける?」

「賭けない」

「なーんだ、つまんない」


 少年のように口を尖らせて、幼馴染は空を仰いだ。仰いで、即座に眼をらす。

 頭上では、群れ泳ぐ魚のうろこが太陽の光を浴びてきらきらと輝いていた。


 空の海には、いくつか水の海とは違った特徴がある。

 そのうちの一つが、無機物は浮かばない、ということだろう。人でも息ができる、というのもある。しかし、いくつかの水の特性も備えている。


 そのため一時いっとき、空の海での自殺がはやった。


 手首を切っての自殺はなかなか成功しないものだが、太い血管を切り、血が止まらないようにすればあるいは成立する。

 自殺志望者が湯船に水を張り、そこに切った部分をつけて血が固まるのをふせぐ。空の海でそれをすれば、空を漂い綺麗な景色を見ながら最期を迎えられる――と、流行した。

 今でも、年に何件かはあるらしい。


 そして自殺者は、事切れた瞬間に空から落下する。


 灯の幼馴染、秦野はたの美希みきは、落下するその瞬間に遭遇してからというもの、空を泳ぐものが苦手になってしまった。

 暇さえあれば見入っている灯とは対照的だ。


「ねえ灯、あんたもそろそろ卒業なさいよ? 暗くって飛行機とか鳥や魚にぶつかったとか、もうずっとあそこに浮かんで降りてこないとか、たまにあるけど、ああなってからじゃ遅いのよ」

「ありがと。忠告だけ貰っとく」

「…馬鹿」


 言葉だけではなく本当に、ありがたいと思っている。美希だけが、灯のことを心配してくれる。

 灯は既に両親にも見放され、夜の外出も我関せずで、学校に通わなくても何もいわないだろう。ただ、顔を合わせるたびに溜息を落とされる。

 クラスメイトたちにも、存在はほぼ無視されている。これは、半年ほどもたつのにろくに顔も覚えていない灯にも問題があるだろうが。


「空での事故死なんて悲惨なんだからね。落下して、ばらばらになって。顔の区別すらつかない肉片になって」

「うん」

「あ。ちょっと急ごう」


 話を変えたかったのか、腕時計を確認して足早になる。頷いて、灯も、小柄な美希を追った。

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