『影』
「おお……聖女様……!」
「なんてお美しい……!」
「皇帝陛下、万歳! 帝国、万歳!」
私の姿を見て、多くの人達が歓声をあげています。
無理からぬ事です。
オリヴィア様は、平和の象徴にして希望。この時代に生まれた奇跡。
……二年前まで、私もあの人達と同じようにしていましたから、気持ちはよく分かります。
「ふんっ。呑気な連中じゃのぉ。あの狂人をあそこまで称賛出来るとは。人とは、相も変わらず愚かな生き物よ」
「…………お言葉が過ぎるのではありませんか?」
表情を変えず、馬車の中から手を振りつつ、後方へ、魔法で言葉を投げかけます。大きな欠伸が聞こえてきました。
「ああ、言い間違えたわ。愚かではなく、恐ろしい生き物じゃ……あのような、怪物を狂信出来るのじゃからな。我のような臆病な生き物には到底真似出来ぬ」
「臆病……お戯れを。貴女様と『黒色道化』様の事、オリヴィア様から、よくよくうかがっております」
厳密に言えば、夜話で聞かされました。
ノルン様との出会い。国盗り。旧帝国平定。同盟相手の化かしあい。教会との暗闘。共和国との死戦。そして……別れ。
私が、『影』となったのは、ノルン様と黒羽猫様が、帝国を、ひいてはオリヴィア様を守られて、去られた後。
直接的には、この御方達の事を知りません。けれど――私は知っているのです。
「貴女様方は、本来であれば帝国の大英雄。……いえ、今でもそうです。貴女達に勝る存在などいない! とオリヴィア様はよく仰られています」
「そうじゃの。二年前に歯ごたえのある連中は喰ろうたし、黒狼も随分と牙が欠け、またバラバラになっておる。主と我に勝てる相手は、まずいなかろうよ」
「ならば」
「じゃが、それとこれとは話が別じゃ。お主、何か勘違いしておるのではないか? 主も我も、戦争、戦闘は大嫌いじゃ。何で、自分から痛い目に飛び込まねばならぬ? 我は、主と共に日がな一日、日向ぼっこする方が好みじゃの」
「!」
思わず振り向きそうになるのを、理性の力で押し留めます。
―—馬車がトンネルに入りました。
これ以降は、今日の宿泊先まで手を振る仕事はありません。
カーテンを閉め振り返り、長い黒髪を輝かしている絶世の美女に話しかけます。
「先程の話は本当なのですか?」
「うん? 嘘をつく必要はあるまい。まぁ、我はほれこの通り。契約に縛られておる身じゃったからの。当時は嫌でも喰らう必要があった。じゃが、主は違う。あの狂人がよく言っておろう? 『ノルンは、誰よりも優しい人です』とな」
「確かに、そう言われていますが……不思議なのです。では、何故、ノルン様は、オリヴィア様へ御力をお貸しになられたのですか?」
「そんなのは当然じゃ。我が主は、泣いている小さきモノが本心から望み、かつ己に縋り付いたのを、振り払うような男では決してない。そんな事をする位ならば、世界を滅ぼした方がマシ、と真顔で言う男なのじゃよ。くくく……ある意味、主も狂うておるな。じゃが、だからこそ好ましく愛らしい。我が仕えるに相応しい男よ。あの時、あの狂人はこう言ったと聞いておる。『私に世界をください』と」
「はい。私もそう聞いています」
「人族は運が良かったの」
「? どういう意味でしょうか?」
楽しそうにメイド服姿の美女が笑われます。
それは、ゾッとする程美しく、とても人の身では体現出来ない程に蠱惑的。
「なに、簡単な話じゃ――逆もあったということよ」
「逆?」
「仮に、あの狂人が世界に絶望していたのなら、こう告げる可能性もあった。『この世界を滅ぼしてください』とな。主は……まぁ、それを成したじゃろう」
「っ!」
「が――結果は、おぬしも知っての通り。今や世界は統一され、戦火も去った。無論、束の間の平和じゃろうが……少なくとも歴史に遺る大偉業と言えよう。主と我、忌々しいがあの狂人とが、同じ時代、同じ方向を向いたからこその奇跡。天界も冥界も、大騒ぎじゃろうよ。何せあ奴らは、世界創生以後、何度も同じような事をしようとし……悉く失敗してきておるからのぉ」
「はぁ」
話が大きくなり過ぎて、ついていけません。
今でこそ、オリヴィア様の『影』という大役を担っていますが、所詮、私は村娘。世界の話は分かりません。
ただ……。
「オリヴィア様は」
「ん?」
「今、お幸せなんでしょうか?」
「……それを、我に聞くのか? おぬし、あ奴の影だけあって、随分と鬼畜じゃのの……」
「え? あ、その、申し訳ありません」
「……まぁ良い。娘よ、覚えておけ。今の質問を愚問と言うのじゃ! こ、この十日間、あ、主と、四六時中、一緒なのじゃぞっ!? 幸せに決まっておろうがっ!」
「で、ですが……この二年間は……」
「過去の事など知らぬ。大事なのは今じゃ、今。おぬし、過去に生きておるのか? それとも、未来に生きているとでも言うつもりか? 違う。人も我も、神であろうとも、命あるモノはすべからく、『今』を生きておるのじゃ。で、あの狂人は、主にここぞとばかりに、甘えておるに違いないわっ! あ奴はあれで単純じゃからの。それで、過去の事など綺麗さっぱりと忘れおるわ」
呆気にとられました。そして――少しだけ納得します。
嗚呼……こういう御方なのですね。だからオリヴィア様は、何時もノルン様のお話をされながら、この御方の話を悪態をつかれつつも、心底楽しそうに。
「おい? おーい? 娘ー?」
「は、はい」
「……おぬし、そういう所まで似せておるのか? やめい、やめい。阿呆がうつるぞ。うむ――娘と言うのも不便じゃ。おぬし、名は?」
「え? 私は『影』ですので」
「やはり、阿呆かの? 汝は汝じゃろうが。ほれ、言うてみよ。十日間、一緒にいる誼じゃ」
「…………私の名前は」
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