『嘆息』

「まったくもうっ! もうったら、もうっ! 信じられませんっ。どうして、起こしてくれなかったんですか? はっ! もしかして、これが好きな子を虐めてしまう、という男の子心理……って! そんな訳あるかー!!」


 うぅ……グラグラを揺れおる頭に、狂人の金切り声はしんどいのぉ……。

 ようやく、飛空艇、と人間共が呼ぶ空飛ぶ船、という訳の分からん物から解放されて、大地に降り立ったというに……主よ、我を少し労わってくれまいか。籠の中はやはり慣れぬ。

 ―—あーあー。そこ、そこじゃ。羽の付け根じゃ。

 流石は主。我の事を、誰よりも深く分かってくれておる。

 ふふん。何をそんなに羨ましそうに見ておるのじゃ? 物欲しそうにしても無駄無駄。これからは、ずっと我の番。狂った帝国皇帝は、とっとと仕事をすべし。


「がるるるるっ」

「ひっ。あ、主よ。つ、ついにこ奴、人を……」

「……お前等はほんと昔から、よく飽きんな。まぁ許せ。よく寝れたんだから良しとしろ」

「…………足りません。取りあえず、ぎゅーってしてください」

「主よ、無視じゃ無視。こ奴は我がいない間に、自ら機会を喪った愚か者……これから、十日間みっちりと仕事をすればいいのじゃ」

「……嫌です」

「何じゃと?」

「ぜっったいに、嫌です! 今回は私がノルンといちゃいちゃするんです。御邪魔な猫は、何処かの野良猫といちゃいちゃしてて下さいっ」

「馬鹿め。我は主と一心同体。我は主と共にあるのだ。な? そうじゃろ、主?」

「あー」

「ノルン。私とこの馬鹿猫、どっちを選ぶんですかっ!」

「んー」


 珍しく主が困惑しておる。

 言葉こそキツイが、我が主はこの大陸――否。世界で一番優しい男。このような狂人相手であっても、本当の事『羽黒猫に決まっている』を伝えるのは心苦しいのであろう。おお、何と慈悲深いのじゃろう。

 ……それに引き換え、こ奴は。

 今や、世界を統べる女帝にして、聖女だと言うのに、餓鬼の頃から何一つとして変わっておらん。嘆かわしいことじゃ。

 ん? 主?


「―—オリヴィア」

「! な、何ですか。い、いきなり、そんな。な、名前で呼んだ位でこの私が、何もかも許すとでも思ってるんですか? な、舐められたもの――」

「お前が寝ている間に、視察日程を点検しておいた。色々と疲れも溜まっているのも分かっている。……今回は、まぁ休め。全て影がこなせるだろう」

「…………」


 こ、こ奴。いきなり、主に軽く抱きしめられたことで、我を忘れておるな!?

 あ、主よ! そ、それは流石に度が過ぎるのではないか? のぉ、我も、我もー!

 頭と背中をさすっている主が口を開く。


「お前は俺が警護するにしても、だ。影と随行員達には暗殺の危険がある」

「…………」

「戦乱の世ならいざ知らず、間違えられて殺されるなんてのは、馬鹿げている。そこで、だ」

「い、嫌じゃぞっ!」

「そうか? 俺は適任だと思うんだが。むしろ、お前以外に託せる奴がいない」

「うぐぐっ……そ、そうやって、少し褒めれば我が納得すると思っておるなっ!? ど、どうして、我が人間共の護衛をせねばならんのだっ! 少数とはいえ、それなりの手練れ揃いの筈じゃ」

「そこにお前がいれば万全だろう? ―—駄目か?」


 め、珍しく、主が素直に頼み事をしたと思えば、このような事とはっ!

 ええいっ。戦場で万の敵軍に相対した時にも、このような気分にはならなかったというにっ。

 ……うぅ。


「分かった。我に任せよ。人間共は守護してみせよう」

「助かる」

「じゃがっ! これは貸しじゃ。大きな大きな貸しじゃっ! 必ず、取り立てるからの。覚悟しておれよ、主。それと――そこの、狂人女っ! 何時まで、抱き着いておるのじゃっ。いい加減に、離れろっ! 貴様の、匂いが主に移ったらどうしてくれるのじゃっ」

「…………大丈夫です。この十日間で、全部上書きしますから」

「き、貴様ぁぁ」

「……だけど……ありがと」

「っ――ふ、ふんっ。我は、情け深いのでの。余りにも羨ましそうにしている、狂人をほんの少しだけ憐れに思っただけじゃ」


「―—陛下、ノルン様、お話は終わられましたでしょうか?」


 静かな声を発しながら入って来たのは、この狂人と瓜二つな容姿の少女じゃった。

 こやつが影か。難儀な事をしているものじゃ。

 多少、魔力は感じるが……これでは、襲われれば一たまりもあるまいて。

 まったく。我ながら物好きな事じゃ。

 飛び上がり、少女に宣告する。


「良いか? これから十日間は我が汝の守護をする」

「―———了解いたしました。よろしくお願いいたします。ですが、一点だけ」 

「なんじゃ」

「その御姿では、目立つかと」

「……ふむ。一理ある」

「仕方ない。化けろ」 

「主よ、我にあの恰好をしろ、というのか? 動き辛いのじゃが」

「それでも、大陸中でお前に勝てる生き物はいないだろ?」

「……そうやって、煽てるのは止めてほしいのぉ」


 溜め息をつきながら、空中で一回転。

 狂人と少女が息を飲む。

 ああ、二足歩行と服は何度化けても、慣れんのぉ。

 長い黒髪を手でかきあげながら、主を見、肩を竦める。



「これで良いかの? どうじゃ? 主好みの娘になっておるかの? そこな狂人よりも、髪を長くし、背も高く、胸も尻も大きくしたぞ」

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