『留守番』
「それじゃ、留守は頼んだわよ」
「はっ!」
「……オ、オリヴィア様、やはり、私も」
「だーめ。シャロンとブレンダンには、帝都にいてもらわないと」
「うぅ」
港に停泊している飛空艇前で、私はオリヴィア様にたしなめられた。
このやり取り、今日この日がくるまでに何度したことだろう。
あの手、この手を使い、何とか翻意していただこうと努力に努力を重ねたが……力及ばず。嗚呼、我が身が不甲斐ない。
隣で「お気をつけて」とか言っている男を睨む。
貴方、裏切ったわね!
「お土産、楽しみにしておいてねー」と言いながら、飛空艇の中へオリヴィア様が吸い込まれていく。
……見えた。私には見えた。入った瞬間、オリヴィア様が、あいつに、忌々しい元『黒色道化』ノルンへ抱きつかれているのが。
……何よ、デレデレして。
無性に苛々する。どうして、あんな男が一緒に行けて、私は行けないのか。
確かに、あいつは強い。性格は崩壊しているけど、強い。
今、やりあっても、訓練場ならいざ知らず、戦場でやり合えば、まともに抗戦すら出来ないことは自分でも分かっている。
けれど、だからといって……今回の、南方視察に供回りがほぼ、あいつと黒羽猫だけというのは……駄目だ。やっぱり、駄目。
今からでも遅くない。やはり御止め――ブレンダン、何よその手は?
「……どういうつもり?」
「手遅れだ。今回は、敗北を認め、大人しく残留しよう」
「なっ!? ……ブレンダン、貴方、正気!? ……大方、昔の話であいつに脅されたんでしょう! 情けない。それ位、はねつけ――」
「ほい、これ、お前の分だ。そろそろ下がるぞ。離陸する」
「…………」
突然、渡されたのは小さな、一見何の変哲もない茶色の書類鞄。
使われている革は、何だかよく分からないし、金具も安っぽい。
だけど――い、嫌っ。こ、これ、開けたくない。開けたくないっ!
呆然としている私を後目に、ブレンダンは歩いていく。
その背中には悲壮感。とても大帝国の宰相には見えない。
仕方なく、鞄を持ち後に続く。
後方では、魔導機関の稼働音。
海面が波打ち始める。
見ると、オリヴィア様が甲板に出て来られていて、手を振って下さっていた。
見送りに来ている総員が敬礼。
少しずつ、飛空艇が動いてゆき――離陸。やがて、空へ消えていった
敬礼を解き、隣にいる男をジト目で見る。
「……で、これは何よ? あんまり見たくないんだけど」
「見なくてもいいぞ。ただし、帰ってきたあいつに、虐められるだけだが」
「……やっぱり、あいつの?」
「……ああ。ここ最近なかったからな。油断した。正直、亡命も考えたが、困った事に、この大陸には国が一つしかない」
「……ねぇ、ブレンダン」
「断る」
「ま、まだ、何も言ってないでしょう!?」
「聞かなくても分かる。俺にやらせようっていうのだろう。断る。何があろうと断る。自分の分だけで……危うい」
「……そんなに?」
「見れば分かるだろう。ではな。時間が惜しい。何せ、僅か十日しかないんだ。お互い……頑張ろう。打開策を思いついたら教えてくれ」
私の返答を待たず、帝国宰相は悲壮な様子で皇宮へ戻っていった。
鞄をちらりと見る。見たくない。だけど、何れ見るのなら……意を決して、開け中身を確認。
………………やっぱり、あいつ悪魔だわ。ううん、悪魔よりも悪魔ね。
い、何時か殺す! ぜっったいにっ殺す!!
中に入っていたのは、僅か数枚の紙だった。
そこには、あいつの――ノルンの直筆で、軍の問題点が列記されており、辛辣な表現で、容赦ない論評がされていた。
同時に改革案も提示されており、悔しい事に正しい。
『軍とは国家が認めた暴力機関である。その暴力機関の暴走により、滅んだ国家は枚挙にいとまがない。これを放置しているのは、明らかな怠慢であり、早急な改善は必要と考える。―—別に従わなくても構わないが、その場合は『再教育』だ』
身体が震える。さ、再教育ですって。
過去の忌まわしい黒歴史が脳裏に蘇る。
まだ、私が何も知らず、単なる評論家擬きだった頃―—あいつは、私やブレンダンを含め、今は帝国の重鎮となっている人達の、教育係だった。
それは、極々短期間だったけれど……い、嫌っ。絶対に、嫌っ。
あ、あんな事をもう一度やったら、こ、心がもたないわっ!
……回避しなくては。たとえ、この手を血に染めてでも。
もし、反対者が出たら実力行使で強制排除して、改革を断行――もう一枚、紙が出てくる。
『ああ、分かっていると思うが、こいつは一応念の為だ。勿論、実力行使は認めない。皇帝陛下の兵たる、皆々様が血で血を洗うなんてことはないと思うが……帝国は法治国家だからな。穏便に、全てをまとめるように』
視界が真っ暗になる。
……こ、これだけの利害関係を、と、十日で調整して、かつまともな形にしろですって?
あ、あの男はぁぁぁぁぁ!!!
沸々と怒りが沸き上がってきた。ええ、そうね、忘れていたわ。最近は、大人しかったし、こんな事なかったから。
―—あいつの異名は『黒色道化』。
この帝国内で、最も嫌われ、憎まれ……最も強引で、嫌味で……最も、多くの人材を育てあげた、性格が死んでも治らない位に悪い……偉大な教育者だってことを。
取りあえず、帰って来たら殺す。今度こそ殺す。たとえ、お土産があっても――少し考えた後に殺す。
私は決意を固め、鞄に書類を叩きこみ歩き出す。時間がない。
ここに、私とブレンダン……ひいては帝都全体を巻き込む死闘の幕は上がったのだった。
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