『視察』

「……オリヴィア様、今、その……何と仰いましたか?」

「え? そろそろ、南方に視察に行こうかな、と言ったのだけれど? あ、シャロン、このお菓子、美味しいわね」


 特大の爆弾が投下されたのはある日の午後。

 今日の分の書類処理を終え、執務室で優雅にお茶の時間。

 私の目の前で平然と、そう言われたのは、我が主にして、帝国の女帝である『聖女』オリヴィア様。

 その御姿は、まるで神話の世界の女神様のようにお美しい。

 ……けれど、時折、とんでもない事を言われるので心臓が止まりそうになる。

 隣では帝国宰相を務めているブレンダンが顔面蒼白。膝が震えている。

 多分、私も似たようなものだろう。

 私達の動揺を他所に、我が主君は淡々と続ける。


「二年前の一件で中止になってしまったっきり、南方の視察を私はしていないし、各地の問題も大方、片付いたわ。そろそろ行っても問題はないでしょう」

「……お待ちください、陛下」

「何かしら? ブレンダン」

「……具体的には、どれ程の御予定を想定されているのですか?」

「そうねぇ……南方と言っても、それなりに広いし……そこだけに行って、他に行かないという訳にもいかないし……ざっと、一か月位じゃないかしら?」

「「一か月っ!!?」」


 同時に悲鳴をあげてしまう。

 そんな私達を見てオリヴィア様は苦笑。そして、立ち上がり、伸びをした。


「ん~ん……はぁ。もう、今日はいいわよね。それじゃ、視察の予定は任せるわ。ああ、護衛はいらないから」

「「……はっ!?」」

「厳密に言えば、一人だけでいいわ。あの人がいればいい」

「オ、オリヴィア様っ!! そ、それだけは……それだけは承認出来ませんっ!!!」

「……陛下、御気持ちは分かるのですが、あいつは未だ公式において謀反人。公の場で護衛の任につくのは」

「え? だって、そんなの私もそこに立たなければいいだけじゃない? 宝珠なりで見てるわよ。あ、あと、シャロン」

「はっ!」 

「……貴女、この前、私に許可を取らずに、あの人を親衛の訓練役として使ったのでしょう? しかも……その後で、一緒に食事まで……。うふふ……まさか、こんな身内に恋敵がいるなんて思わなかったわ……」

「なっ!!!?」

「ほぉ」


 オリヴィア様の目が笑っていません。

 それよりも何よりも……あ、あの男……絶対に言うなって、あれだけ約束したのに!! ……殺す。今度殺す。必ず殺す。

 それと、ブレンダン! あんたも、隣で笑ってないで、説明しなさいよ!?


「陛下、今のお話、誤解かと」

「へぇ……理由は?」

「それは――陛下が一番、御分かりかと」

「私が?」

「はい」

「それってどういう――ああ、そっか。そうよね。あの人は、そういう人だものね。それに……まぁ、いいわ。シャロン、今度、こういう事をする時は、私に一言頂戴ね」


 そう言われると、オリヴィア様は執務室から出ていかれました。慌てて、護衛の騎士達が追いかけていきます。

 ……はぁ、怖かった。

 まだ、心臓が動揺しています。深呼吸をして、隣で先程から肩を震わせている、ブレンダンを睨みつけます。


「……ちょっと」

「いや、だって、お前……よりにもよって、陛下と、男を奪いあうなんて……」

「奪い合ってないわよっ!!!」

「そうなのかぁ? 随分と噂になっていたが」

「なぁぁぁ!?」


 ふふふ不名誉過ぎる! 

 よりにもよって……な、何で、あの馬鹿男となんてっ!!

 どうせなら、カッコよくて、優しくて、普段は駄目だけどいざという時に頼りになって――ブレンダン、言いたい事があるなら聞くわよ?


「……何もな、い……ぶふっ! あ、ちょっと、待て。これ以上は、腹が痛くて……」

「……そう。長い付き合いだったわね。取りあえず――死んで?」

「ほぉ。俺を殺せば……陛下がいない間、ここを死守するのは誰になるんだろうなぁ?」

「ぐっ……き、汚いわよっ! あ、でも、オリヴィア様は、ああ言われたけれど、私は護衛として向こうに行くし」

「させぬっ! そんな事はさせぬっ……いざとなれば、新たな噂を流してでも――あ」


 笑みを浮かべながら、ゆっくりと剣を抜きます。

 ほらぁ? 人の噂で楽しむような、宰相なんて……何度か死なすべきですしね?



※※※


 執務を終え、急いで中庭へ。ああ、気持ちいいです。

 椅子で寝ている――ふりをしている彼の隣においてある椅子へ腰かけます。


「ふふ~ん♪」

「…………どうした? 熱でもあるのか?」

「べっつにぃ~何もないですよ♪」


 そして、足をぶらぶらさせながら、鼻唄を歌っていると、珍しく心配そうな声。

 周囲を見渡すと、あのお邪魔猫の姿がありません。

 これは――チャンス。大チャンスです。


「ノルン♪」

「……何だ、気持ち悪い声だな」

「ふふふ♪ お話があるんです♪」

「……断る」

「えーそうなんですかぁ? ああ……そう言えばぁ、この前、妙な話を聞いたんですよ」

「…………」

「シャロンと貴女が、仲良く一緒にお昼ご飯を食べていたって。まぁ単なる噂なんでしょうけど、ねぇ?」

「……何が望みだ」


 良し! 勝ちました!

 ここまでくれば大丈夫です。

 何を言っても――何を言っても? あ、あれ? もしかして、これって私が思っている以上の……はっ!


「主よー今、戻った……ちっ、また来ておったのか。毎日毎日、暇じゃの」

「お呼びじゃないんですよっ! 毎回毎回、邪魔ばっかりしてっ!」

「……阿呆共、うるさいぞ。少しは静かにしろ。ああ、それと」

「何です!」

「あいつとは、単に昼飯を奢られただけだ。気にするな」


 そう言って、ノルンは私の頭を優しくぽんぽんしてきます。

 むぅ~!!

 何時も何時も、そうやって、子ども扱いするんですからっ!

 

 ――でもでも、もっとしてくれてもいいんですよ? えへへ。

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